――昼花火があがった北西の方角では、搭が崩れ始めていた。
「おい! クラウス、爆薬の量あってたのか!?」
げほげほとせき込みながらグロセイアが問う。
「これで良いはずです。……煙の量はちょっと想定外ですが」
「まあ、煙幕代わりにもなるからこれでいいのか……?」
咳き込んでいるのはグロセイアだけではない。粗末なワンピースを着せられた婦人と娘もだった。そして、その二人の手を引いている、ヴィントも。
崩れたのは、王都アロガンツィアの北西にそびえるこの都で一番高い建造物、監獄搭であった。逃げ出した二人の女性は、ヴィントの母と姉である。過去に、無実の罪を着せられて滅ぼされたフィデリア国の王妃と、その娘は、王位継承権を持つヴィントをおびき出すための人質として二年もの間その監獄搭に幽閉されていた。静かにたたずむその搭に襲撃を仕掛けたのは、グロセイアだった。
ユウタと王の断罪を行うこの日、王城前広場に人が集まってしまえば、監獄搭の警備は手薄になると踏んだのだ。万一当てが外れたとしても、非番の兵士や、有事の際に動くコマについては、既に広場の方へ配置されているだろうから、王城から少し離れたこの場所に到着するにはどうしたって少し時間を要する。
少人数で搭の警備を破り、監視を突破して脱獄するにはこの日しかないという判断だった。
「それにしてもヴィント、こんな少人数で来るなんて無茶したわね」
ヴィントと同じ菫色の瞳の娘が、グロセイアとバハル、クラウス、ペトラの顔を見て会釈する。
「少数精鋭ってやつ! ヴェステリケの北に船を泊めてる。行こう」
まだ少年の幼さが残る手が、姉の手を握り直した。ヴィントの母たる王妃は、搭の監視が手薄になっていることに気づいて視線をさ迷わせた。
「ご婦人、安心してくれ。私のかわいい子達が石にしてくれたからな」
「え……」
いつもはきっちりと後頭部で結えている黒髪を下ろしたペトラが、髪の間からにょろんと出た蛇をつまんで優しく微笑む。ひゃっ、と王妃は短く悲鳴を上げたが、実害がないことを理解し、すぐに「ごめんなさい」とペトラに頭を下げた。
「では、これより脱出だ。さて、どうするか……」
捕らわれの身の二人を救出し、搭を破壊して逃亡するという大まかな流れしか考えていなかったな、というペトラに、グロセイアとヴィントは唖然とした。確かに、ここへやってきてすぐに王国軍本部へ増援を要請するために走り去った兵士が数名いた。そいつらと援軍が来ると厄介ではある。
(本当にノープランで来てたの……?)
搭を降りながらのんびり考えているようだから先が思いやられる気もしたが、今までも窮地を切り抜けてきた者たちだ。大丈夫だと思う、とヴィントは母と姉を安心させるように笑って見せる。
「大丈夫大丈夫、僕はちゃんと用意してきていますよ」
クラウスは階段を下りながら、リュックの中身をごそごそやりだした。そこで出てきたのが、爆弾だった。勇の世界でいうところのニトログリセリンによく似た物質に、離れた場所から魔法で点火して起爆することができる代物だ。
「君、爆弾も作れたのか……」
「独学ですが」
さすがのヴィントも、だいじょうぶかなと心配になったがそうも言っていられない。搭の一番下までたどり着くと、まずはペトラが石化していた兵士たちを解放してやった。いきなり石化を解除され、何が起きたのか理解が追い付いていない兵士にペトラが叫ぶ。
「ここにいると危険だ。まもなく搭が崩れる。逃げなさい」
「な、何を言ってるんだこの女ッ……蛇の……化け物が!」
クラウスが瓶の中に入ったゲル状の爆薬をちらつかせる。
「これ、中層階に仕掛けてきたんですけど、もうそろそろどかーんしますよ」
「な、なんだそれ」
「爆弾です」
「ば……!?」
中層階に仕掛けたものは蓋を外しているので、そこ目掛けて火の玉を撃てば起爆する。蓋が閉じてある手元の爆薬を揺らしながら、クラウスは手のひらの上に小さな炎を浮かべて見せた。
「手元が狂っちゃったら危ないかもしれないですねえ~」
「ひ、ひええええ!!」
腰を抜かして逃げていくアロガンツィア兵に、クラウスは「あははは」なんて笑って手を振った。
「相変わらずだな」
ペトラが額を抑えてそういうと、クラウスは炎を引っ込め、頷いた。
「でも、これで無為な殺生は回避できましたね」
「……ああ」
二人のやり取りを見て、王妃と王女は顔を見合わせる。やはり、魔族というのは人間にとって危険な存在ではない。だからこそ、中立を保ってきたというのに。唐突にアロガンツィアに攻め入られてしまった二人にとっては、アロガンツィアという国の方が狂った存在であったので、自分たちの手を引いてくれる魔族は少しも怖くなかった。
兵がいた場所に蓋を取った爆薬の瓶を置くと、全員搭から離れる。
「よし、良いですね、……では~」
クラウスは少し大きめの炎の球を杖に宿すと、「発破!」の掛け声とともに開けっ放しにした搭の入口目掛けて振り下ろした。
そういうわけで、搭はダルマ落としよろしく下の方から起爆させた爆薬により、煙と炎を上げながら、ずん、ずん、と低くなっていったのである。
その音と振動は王城前広場にしっかりと伝わっており、あたりは騒然となった。地震と勘違いした人々は、高い建物から離れるために広場の中心の方へ寄る者、急いでここを抜け出して自分の家の安否確認へ向かおうとするものに分かれる。
(これ、地震じゃないな……)
マルタンはすんっ、と鼻を鳴らす。ふんふんと風に乗って流れてくるにおいを嗅げば、何かが焼け焦げたにおいだとすぐにわかった。グラナードは音がした方で煙が上がっているのを見て、ひょっとすると、と勘づく。以前、グロセイアと手紙のやり取りをしているときに、彼が「
国の一大事、監獄搭が炎と煙をあげながら崩れている今、さすがの王も姿を現さないわけにはいかなくなった。
城の扉が重たい音を立てて開いた瞬間、民衆のざわめきがぴたりと止んだ。
奥から、両脇に兵士を従え、赤いマントを揺らして現れた年老いた男――王の姿に、民衆の誰もが息を飲む。
王が城を出て目にしたのは、正面に近衛部隊長であるはずのグラナードが腕組みという不遜な態度でこちらを見つめている姿だった。 グラナードの右手にはユウタとネージュ、ロベリア、数名の兵士たち、左手には魔王をはじめとする魔族たち。 そして、その背後を取り囲むように、事態の成り行きを見守る民衆の群れがいた。
「……近衛兵のはずのお前がわしの警備を外れ、何をしておるのかと思えば……」
ぽつり、とため息交じりにそう言った王の顔を、グラナードは冷めた瞳で見据えた。
「もう、私が仕えるべき主ではないと、そう確信しましたので」
「……ほう、つまり、貴殿にはアロガンツィアへの叛意がある、と?」
揺れはまだ収まっていない。
逃げそびれた人々は怯えた顔で二人のやり取りを見つめている。
「……国へ、というより、アロガンツィア二十五世、あなたに対してですね」
ユウタはというと、わなわなと震えながらグラナードを見ていた。王は、その様子へ視線を向け、そして、グラナードを挟んでユウタの反対側に立つ魔王へとゆっくり視線を移す。
「……このような異物まで国の中へ入れて、一体何を考えておる?」
「異物! これはまた変わった呼び方をするものだな」
魔王は声をあげて笑うと、恭しく一礼をした。
「事前に連絡を入れなかった我にもまあ非はあるか……いや、しかし、もし事前連絡をしたなら貴殿は我を受け入れはしなかったであろう? アロガンツィアよ」
「……」
張り詰めた空気、依然として北西から響く轟音。情けない顔をしたままのユウタへと視線を戻すと、アロガンツィア王は低いしわがれた声で尋ねた。
「勇者よ、何をしておる?」
「あっ……」
「余が授けた魔法石はどうした……」
「く、砕けてしまい、まして」
それについては正直に話している。自分の手ごと砕かれたということは言えなかったようだが。アロガンツィアはため息をひとつ吐くと、ユウタから視線を外した。
「それで? 敗北してしまったお前はみすみす魔王をここへ引き入れたわけだな」
「……」
「役立たずが」