不機嫌を露わにした王の声に、ユウタの時間が止まる。
(今、何て? やくたたず? ……どういう……)
情報の処理が追い付いていないという感じで、ユウタは固まったまま動かない。
何故自分に「役立たず」という言葉が投げつけられたのかも理解できず、ただ酸素が足りない水槽の魚のように口をパクパクさせているだけ。
「王よ、そのような言い方はないのでは?」
「役立たずに役立たずと言って何が悪い?」
グラナードの助け舟にも思えるような発言は、結果的にユウタの傷をえぐるだけのことになった。
王は、引き連れていた神官に、召喚の儀の際に使用した大きな姿見を持ってこさせる。
「出来損ないの勇者のせいでわしの評価まで下がっては、たまったものではないからな」
出来損ない。
その言葉がずっしりとユウタの胃に落ちていく。
ロベリアは腕組をしたまま、ユウタから王へ視線を移した。この老王は、いったいどんなショーを始めるというのか。大掛かりな台車に乗せて運ばれてきた姿見をユウタの真横に設置すると、神官が何やらむにゃむにゃと呪文を唱え始めた。
「な、何をしているんですか……」
やっと状況を飲み込めてきたユウタが、震える声で神官に尋ねる。神官は答えもせず、ユウタの腕を掴むと鏡の前に引きずり出した。
「えっ、え」
「かの者の過去の姿を映せ」
神官の声に応え、姿見がマーブル模様に光った。
映し出されたのは、薄暗い部屋。
(これって……)
勇はハッとした。
その部屋は、どこか見覚えがある雰囲気だったのだ。
パソコンデスクに、ハイバックのチェア。モニターとキーボードが光っていた。
アロガンツィアの人間は、これが何かきっとわからない。この世界には存在しないものが、鏡の中に映っている。
神官がすい、と指を動かすと、ベッドの上に寝転がっている男へと視点が切り替わった。20代後半くらいだろうか。ぼさぼさの頭に、スウェット。部屋の外からであろう、くぐもった声が聞こえる。
「ユウくん、ご飯どうするの?」
「置いといて」
ユウくん、と言うのはこのぼさぼさ男のことだろう。優し気な女性の声に、携帯電話をいじりながら答える。
「ユウくん、そろそろ外、出てみない? あっ、そうそう、いとこの……」
「うるさいな! 俺は俺なりにやってるってば!」
ユウくんは、手近にあった漫画本をドアに投げつけ、威嚇した。
「ごめんね、ごめんね」
ドアの向こうで母親と思しき女性の声が謝っているのが聞こえる。
「ああっ、あっ、やめっ! やめろっ、やめて!」
ユウタは鏡の前でバタバタとその像を遮ろうと必死になる。しかし、両手首を魔王の術で拘束されたままなので鏡を隠すことは叶わなかった。
民衆は何を見せられているのかわからず、あっけに取られていたが、鏡に映し出された男の態度が悪いことと、横暴であることに眉を顰めている者も多くみられる。
「まさか、このぼさぼさの頭の男……勇者様なの?」
民衆の一人がそう呟いた。
「そ、そそそそんなまさかこれが僕であるはず」
震える声が、鏡の中の男と合致する。皮肉にも、弁明しようとしたその声が鏡の中と全く同じであることが、二人は同一人物であるという証左になってしまった。王と神官に召喚されてこの世界に転生する際に、容姿はすっかり美しい青年に変わっていたが、その声は変わらなかったのである。
民衆の中から、呆れたようなため息が聞こえた。
「こんなのが、俺たちが信じてた勇者様なのか……」
悪態をついて、鏡の中の男は手近にあったエナジードリンクの空き缶を握りつぶした。
『くそ、どいつもこいつも俺を見下しやがって……』
散らかったデスクの上のエナジードリンクをまた一つ開けて、飲み干す。
白く光ってしまってよく見えないその画面の中には、恐らくゲームの世界が広がっているのだろう。薄ら笑いを浮かべながら、男はマウスに手を置いた。その瞬間、モニターが強く光る。そこで、映像は途切れた。
「今のって……」
アドラは勇に耳打ちする。
「うん、多分ユウタの前世じゃないかなと思う」
「あの光る板とか、変な丸い奴とか、あんたの世界にもあった?」
「あれはモニターとマウスだね、オンラインゲーム……『救世の光』をプレイしていたんじゃないかな」
それで視界が途切れて……、それがどういうことか断言はできないが、部屋の中にあったおびただしい量のエナジードリンクの空き缶や、不摂生な生活を想像させる環境を見て、勇はカフェイン中毒の可能性を連想した。その死の瞬間に合わせて、この世界に転生したのではないか、と。
「あくまでも想像だけど」
「ユウタはあっちの世界で死んで、タイミングが合致したからここに転生したってことか」
「多分……どういう仕組みかまではわからないけど」
「それにしてもすげえ部屋だったな、なんていうか、魔法機器とはまた違う高度な技術を使ってそうないろんなもんがあったけど……」
うん、と勇は頷く。それはすべて科学技術の発達であの世界の人類が手にしたもの。高価な機械もたくさんあった。しかし、それでユウタは満たされている雰囲気ではなかった。様々な物質で心を埋めようとして、それでなお埋まらない。彼の自尊心を満たしてくれるのは、高額課金して寝る間も惜しんでプレイしたオンラインゲームの中でのコミュニティだったのだろう。
「と、まあ、このように何もなかった異世界の若者が、この世界で力を手に入れたわけだが……」
王は情けなくその場にへたり込んでしまっているユウタを見下して鼻で笑う。
「……残念ながら、その力の行使にも失敗したようである。余の望む太平の世への道を作ることは、この勇者には出来ぬようだ……」
皆の者、すまぬ、と、悪いとも思っていないのに王は謝罪した。民衆が騒めく。
公的に勇者の無能が宣言されてしまった。
これをどのように受け止めればいいのか。
その時、広場に一人の男が乱入した。
「北西の塔が崩れている! 上層階に仕掛けられた火薬の量が多いらしい、こちらへ瓦礫が飛ぶ可能性がある、逃げてくれ!」
男の目には眼帯、ふわりと波打つ黒髪は、汗で額に張りついている。搭からここまで走ってきたのだろう、息が上がっていた。
「グロセイア!」
たまらず、グラナードが叫ぶ。グロセイアは目を見開き、そして弟の覚悟を理解して笑った。
「待たせたな」
民衆の避難を何より優先するべきだろうが、何をしてるんだこの王は? と続けると、王は眉を顰めた。
「王を恐れぬ物言い、貴様は何者か」
「何者でもねえよ。ただ、あんたよりは人の命を考えて行動しようとしてるだけだ」
ふん、と鼻を鳴らすと、鋭い声で「アフィラド」と呼ぶ。
群衆の中で、赤毛の男がターバンを外した。その呼び名を許したのは、このまま亜人への圧政を終わらせ、人々の偏見を取り除けば、もう自分の家族に何かしらの被害が及ぶ心配もないと考えたからだ。海賊のレッテルは貼られているが、後ろ暗いことなんてない。自分たちの正義に従って、ここまで生きてきた。
「はーい!」
周囲がざわつく。男の頭上には丸いヤマネコの耳。腰巻の下に隠していた太い尾も、ついでに披露して見せればさらにどよめきが上がる。
「もー今更、亜人もなんもないっしょ! 避難経路あらい出しといたから、みんなさっさと退避しよ!」
特に女性やお子さんは危ないから早くいこうね、と人懐っこい顔で手を差し伸べる。子連れの婦人は、アフィラドの手を取った。その心は保身ばかりの王ではなく、真に人命を考えるものに傾いていると示す。
「おねーさんは? 走れる?」
アフィラドに問われた娘は、少し戸惑うような顔をして、それからまっすぐに彼の顔を見つめ答えた。
「揺れも、瓦礫も怖いけど……私は見たいの。何が起きてるのか、勇者様が本当はどんな人なのか、王様は何を考えてるのか」
赤い瞳を見開き、アフィラドは言葉を失った。そして、娘の決意を受け取って頷く。
「……そっか、あんたは、知ろうとしてるんだ。偉いよ」
過去に起きたこと、王国の悪事、それらから目を背けない。
周りを見れば、娘の発言に頷く人々がたくさんいた。
しかし、この場に危険が伴っていることは変えようのない事実だった。
「どうしたもんかな……グロセイア!」
「ああ、ある程度は想定内だ」
真実を知るためにこの場を退かない者も出るだろう、と。
(むしろ、そういうやつがいてくれないと困るがな)
マルタンは、おろおろと考える。自分のバリアではここにいる人々は守り切れない。どうするべきか。すると、ソレイユがひらりと舞台を降りて走り出した。
「ソレイユさん!?」
「私の魔法をぶつければ、少しは瓦礫を軽減できるかもしれないので」
危険だ、というマルタンに、笑って見せる。
「大丈夫、威力が強い魔法は打てないけど、命中率は高いんです」
ぐっと拳を握って、出来もしない力こぶを見せつけるようにしてソレイユは振り向いた。
それなら私だって、とメリアが地を蹴って飛んだその時。
北西の塔の方で爆音が響いた。ひとつ、大きな瓦礫が広場目掛けて飛んで来ようとしているのが見える。
(間に合って……!)
メリアとソレイユは、その塊目掛けて二人同時に手を伸ばした。メリアの光魔法と、ソレイユの炎の球が瓦礫に命中する。しかし、それだけでは瓦礫はまだまだ小さくはなってくれなかった。連続で魔法を撃つことは出来ない。王は、魔法兵に自分の周りにだけバリアを展開させていた。
吹き飛んだ石造りの塔の一部が、広場の上へと迫っていた。