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第5話

「まあ、証拠は揃っているんですけどね」

 グラナードはそう言うと、肩に乗っているユキモモンガの顎を撫でた。ユキモモンガは「きゅう」と一つ鳴くと、グラナードのささやきに耳を傾ける。

 大きな黒い瞳をぱちくりと瞬かせて、ユキモモンガのユキモは密偵としてユウタ一行に同行していたころの記憶を遡っていく。

「――……リアではこの女をもう制御できないんだろう」

 ユキモモンガの可愛らしいピンク色をした口元から、ユウタの声が発せられた。

「え?」

「なにあれ、ユウタさんの声でしゃべってる……」

 人々は目を疑い、そして耳を澄ます。

「そいつがリングをしたまま死ねばハルピュイアは自由になる。ネージュ、お前が……」

 フィニスホルン山麓、ガランサスの岩戸と庵を繋ぐ大階段でのユウタの発言だ。

 マルタンに麻痺させられたロベリアを見捨てて捕縛のリングをネージュに装備させ、アドラの拘束を解かせないように、と指示をした、あの時の声。

「なに、どういうこと、死ねばって……」

「誰が死ねばって?」

 ざわざわとざわつく人々。ユウタは放心状態のまま、座り込んでしまっている。あの尊大な態度はどこへやら。人々はユウタに追求することは不可能だと悟り、ネージュとロベリアに視線を向けた。ネージュはうつむき気味に言う。

「……実は、先日フィニスホルン方面に行ったとき、ロベリアさんがを負いましたの」

 ネージュの口ぶりで、マルタンは「やっぱり」と確信した。あのとき、もうネージュはマルタンの能力をある程度見破っていたし、死に至らしめるというのは、はったりだったということもわかっていたのだ。それでいて、マルタンの作戦に加勢するように「噛みつかれたせいで、ロベリアが本当に死んでしまう」とユウタに訴えかけて泣き落とし、アドラをマルタンの元へ返すことに協力してくれたのだ。

「ま、麻痺?」

「でも、ユウタさんは死ねば、って……」

 次はロベリアが口を開く。

「そのエビルシルキーマウスが噛みついてきたのよ。呼吸を阻害するタイプの麻痺だったわ。だから私もすっかり勘違いしたの。このまま死んでしまうんじゃないかって」

 組んだ腕を解いて、ロベリアはスリットの入ったドレスを軽くたくし上げ、マルタンに噛まれた場所を露わにした。

「混乱していたから私の呼吸や泣いている声も拾ってるわよね、そのモモンガ。……恥ずかしいけど、実際にあったことだってわかりやすくて良いわね」

 ロベリアはグラナードに視線を流す。グラナードは微笑むと、小さく頷いた。

「待て、捕縛ってなんだ?」

 民衆の中から男が尋ねると、ロベリアは簡潔に指輪の性能を話してやった。術者であるロベリアがあのまま死に絶えると、捕虜であったアドラが解放されるため、権限をネージュに移譲してアドラを捕縛し続けろ、という命令があったこと、アドラをマルタンたちに引き渡せば、解毒薬を渡すと持ち掛けられた交渉を無視し、仲間であるロベリアを見殺しにしようとしたこと、そのすべてを。

 人々は絶句して、それからややあって、ひそひそと囁き合った。

「確かに戦いを有利に進めるには捕虜は必要かもしれないが……」

「いいや、どんな理由があっても仲間を見捨てるのは」

「ロベリアさん、かわいそう」

「そりゃネージュさんも怒るよ」

 ロベリアの説明の後にユキモモンガから再生されたネージュの怒りの声、取り乱して泣いているロベリアの声。それも民衆に刺さったようだ。グラナードは伏せていた瞳をゆっくりと開き、そして静かに告げた。

「まずは、ユウタ殿が人命軽視する傾向にあるということ」

 それから、とグラナードは、またユキモモンガに何かを囁いた。


「――考えてもみてよ。私たちの旅費、どこから捻出されていたか」

 次に聞こえたのは、フレイアの声だった。

 フレイアは小さな白い生き物から自分の声がしたので、少し居心地悪そうにユキモを見た。グラナードは視線で「すまないね」ということを伝えようとする。フレイアはそれに頷いて答えた。使えるものならば使ってくれ、と。

「アロガンツィアの軍費だろうな」

 ユウタの声が、さも当然のこと、というように答えた。

「軍費は? どうやって集めてるかわかってる? 税金だよ?」

「それがどうしたっていうんだ? 世界を救う僕たちのために使われるんだ、民衆も喜ぶだろう!」

 ユキモモンガから再生された声に、弾かれるように民衆の中から男が叫んだ。

「なんだって!?」

 男の声に、グラナードは人差し指を己の唇に押し当てて、ユキモモンガには過去の再生を促す。

「――必要最低限ならね。私たち、行く先々で歓待されたね? いい宿を用意してもらったね? ご飯に困ったこともなかった」

「ああ」

「一切私たちの財布から出すことは無かったよね、『勇者』って称号を出せば」

 明かされていくユウタ一行の旅の様子、旅費の出どころ。その贅沢を共に享受していたフレイアもネージュも同罪になると思われるが、フレイアはもう裁きを受ける覚悟は整っていた。何不自由なく旅ができる理由を知ったとき、世間知らずのお嬢様だったフレイアは愕然とした。とんでもないことをしてしまった、と頭を抱えた。どうすれば、どれだけの時間をかければそれを人々に返すことができるのか、と。そして、そんな自分の傍らで、その旅費を捻出してくれている人々の厚意を当たり前だと思って、感謝もせずにのうのうと生活している男が勇者と呼ばれていることに絶望した。

 それから、すぐに絶望している場合ではないと己を鼓舞した。この事実を白日の下に晒して、人々にユウタと王が誠実な人物であるかを見極めてもらうのだ。すぐに何かを変えることができなくても、まず自分にできることは、それだ、と。


「私はあれはムダ金だと思ってる。ほんとに王様が世界のこと真面目に考えてんならこんなとこにお金かける?」

 フレイアの問いかけに応えるユウタの声。

「かけるさ、それだけ僕は期待されているんだ!」

 小さな声で何かを囁き合っていた民衆は、その叫びを聞いて水を打ったように静まり返った。

「ねえ」

 フレイアは馬をそこに落ち着かせると、膝を着いているユウタの元へ静かに歩み寄る。民衆は自然とフレイアのために道を開けた。綺麗に一本道が作られ、フレイアはまっすぐにユウタの眼前にたどり着く。

「ユウタ、あなたが期待されていたのは、『あなた』だからじゃない。『勇者』の肩書に期待されていただけだ。もうわかったでしょう」

 ――望まれていたのは、『あなた』ではないんだ。

 フレイアの声をどこか遠くに聞く。

 ユウタは、何も移さない瞳でぼんやりとフレイアを見上げた。

「あなたは空っぽだった。操り人形にしてしまったのは」

 フレイアは身体を45度回転させて王の方へつま先を向けた。

「アロガンツィア王、あなたと、そして」

 王とユウタに背を向け、フレイアは舞台上から民衆に呼びかける。

「勇者という称号に浮足立って勝手に期待した私たちだ。私たちは『勇者』の登場を喜ぶばかりで、その勇者がどんな人物かを知る前に、勇者というだけで彼を持て囃した。騙されていた、では通らない」

「……エルダリアの娘」

 王がようやく口を開いた。

 空気が張り詰める。民衆は王とフレイアをじっと見つめた。魔王とマルタンが静観していることもあり、異様な雰囲気のまま広場は凍り付いていた。

「それを、余の罪、と?」

「はい。他にも言いたいことはありますが、私の言い分は以上です」

 言いたいこと。

 ユウタがどんな人物であるかということは意図的に伏せていたであろうこと。ユウタの戦績の虚偽報告も恐らくわかっていて野放しにしていたこと。そのすべては、アロガンツィア独裁のためにやっていたということ。もっと感情的にアロガンツィア王を責め立てたい気持ちはあったが、王を断罪するのは自分の役目ではない、とフレイアは理解していた。

「下らんな。まったく」

 王のその言葉に、民衆の中から壮年男性が声をあげた。

「ふ、ふざけるな!!」

 横にいた男が目を剥く。

「お、お、おまえ王に向かってなんてことを!?」

「お前らだって腹は立たないのか!? 復活した魔王を倒して平和なリベルテネスを再興すると聞かされていたよな!?」

 勇は、ああ、あのゲームの冒頭の文言の通りに王は人々を騙してきたのだ、と目を閉じた。

「そうだそうだ! 何が魔王の復活だ! そこに立っている魔王は何もしてこないじゃないか!!」

「いや、待てって、最後に一気に何かしてくるのかも」

「そうならさっきのがれきを止めようとなんてしてくれないでしょ!?」

「ねえっ、それよりもあたしは税金の行き場が気になるんだけどね!?」

「勇者様は良いモン食ってたらしいじゃねえか! なあ!?」

 魔族は危険ではない、いや、危険だ。混迷を極める。それぞれが好きに喚き散らしていた。しかし、その誰もが王とユウタを批難することを言っている。

 マルタンは、直感する。

 これは良くない方向に向かってしまう前兆だ。

 なんとかして、止めないと……。

「みんな!」

 マルタンが人々に何か呼びかけようと声をあげたその時だった。


「――やれ」

 深いため息の後、傍らの兵に、王が短くそう指示を下した。


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