目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第6話

 いけない。

 マルタンは咄嗟に地を蹴った。

 飛び掛った先は、王が指示を出した男――魔法兵だ。

 彼にどれほどの力があるのかは知れないが、もし強大な力を持つ魔法使いであれば、この広場に集う人々を焼き払うなど造作もないことだ。

 彼が魔族だけでなく、集っている民衆すべてに危害を加えようとしていることにマルタンが瞬時に気づいたのは、彼が詠唱する先、視線の先が舞台の下のすべてに向けられていたからだ。無差別に攻撃しようとしている。そう気づいたマルタンができるのは、術者の詠唱をなんとか止めることだった。

 もふりとした体が細身の魔法兵の男に突っ込む。

「貴様ッ、何をする……!」

 もみ合いになり、マルタンは爪のついた小さな桃色の手を男の手にちくりと食い込ませた。

「だめです、どこに魔法を放とうとしましたか、今!」

「……」

 男は口を噤み、そして視線を泳がせた。事前に、都合の悪いことがあったならこの場にいる者を葬って口封じしてしまえとでも言われていたのだろう。想像したくはなかったが、それしか考えられない。

「あなたは人々を守る王国兵でしょう!? どうして国民を巻き込むような攻撃をするんですか、わたしたち魔族だけを狙えばいいでしょう!」

 そして、決定的な言葉を引き出すためにもマルタンは敢えてそう叫ぶ。

 グラナードは剣を抜くと、静かに王に尋ねた。

「……ここにいる全員を殺し、口封じをしようなどとお考えではありませんよね?」

 王は喉の奥で笑った。その笑顔は、一国の治世者とは思えなかった。そのすぐそばで静かにたたずむ魔王より、よほど魔王だった。

「ちょうどなあ……搭から瓦礫が飛んできておる。魔族もおる。ここで人が死んでも、まあ……自然なことだろう、わしらでは守り切れんかった。かわいそうな人々はここで死に絶えた……」

 搭の崩落と魔族の襲撃という扱いにして、人々を粛清してしまおうと、そういうつもりだ。

 自ら口を割るのも、ここにいる人々をすべて消してしまえば漏れないと思ってのことだ。

 民衆は青ざめた。

「余に歯向かうものをすべて消せば、今まで通りの統治に戻るだけ。目を閉じろ、また衆愚に戻り、幸せな夢を見ていろ」

 ざわめきはすぐに悲鳴に変わった。民衆を守るために配備されていたはずの兵士が次々と剣を抜く。

 まず、王を口汚く罵ったあの壮年男性の断末魔が響いた。赤褐色のレンガに、鮮血が流れていく。重たい音を立てて男がそこへ倒れこむのを、周囲の人々はしっかりと見てしまった。返り血に濡れる兵士の顔、それが向けられた女はヒッと引きつった悲鳴を上げる。


「やめろ! 何をしている!」

 グラナードは壇上から飛び降りると、武器を持たない人々に襲い掛かろうとする兵士の一人を羽交い絞めにした。

「近衛隊長殿が裏切ったと気づいてすぐ、城の中で私たちに王から命が下されたのですよ」

 兵士は背後から抱えるように自分を抑えるグラナードの足を思いきり踏みつける。

「いっ……」

 しかし、グラナードはそれで拘束を解くような男ではなかった。

「……お前も、家族を人質に取られたか?」

 踏まれた足の痛みなどものともせず、グラナードは声を潜めて兵士の耳へと問いかける。

「……」

 言葉を詰まらせたことを肯定と取ると、グラナードは奥歯を強く噛んだ。

 できるならば、人の命を奪いたくはない。しかし、ここで戦わなければより多くの命が失われることになる。何を取ればいいのか、わからなくなる。


(あ……)

 ロベリアは、魔王がかけた禁呪魔法が解けていることに気づいた。

 ちらりと視線を魔王の方へやると、魔王は何も言わずに涼しい顔で立っているだけ。しかし、ロベリアの視線に気づくと、好きに動いていいとばかりに笑顔になった。

「わかったわ」

 私も好きなようにやらせてもらおうじゃない。小さな声でそう言うと、ロベリアはマルタンが飛び掛っていった魔法兵にまっすぐに手を伸ばした。彼女も呪術師だ。魔法に関することは熟知している。魔法兵の男は、自分の唇が動かなくなったことに動揺した。ぱくぱくと口を動かそうとするが、うまく詠唱を紡げない。マルタンは、誰かが詠唱阻害をかけたのだと気づいて男から離れた。

 持ち込まれた豪奢な椅子に、王が腰掛ける。そして、ユウタに向かって唾を吐きかけるように言い捨てた。

「呆けている場合か? 異世界の勇者よ。お前のせいでこの騒ぎだ。余の駒としての使命を果たせなかったばかりにこの様だ。最後くらい余の役に立って見せようとは思わぬのか」

 ユウタは、動けないままだった。

 異世界――勇がいた『日本』から召喚され、頼ることができる存在はアロガンツィア王だけだった。

どうしてこんなことに。

 ――誰からも求められていないのは、前世も同じだった。そう認めるのは怖かった。

 この世界に来て、勇者と呼ばれて、人々の希望として生きることができると、そう思ったのに。

 蓋を開けてみれば、全て嘘だった。

 ゲームの設定の通り、魔族が悪であるならば、それを滅ぼすことで『ユウタ』と言う存在が皆に愛されて、伝説の勇者として歴史に名を刻み、輝かしい日々を送ることができると、本気で信じていた。

 転生するときに与えられた力が、まさかこの世界を蝕むものだったとは。あたたかく世界に迎え入れてくれた王が、自国と己の事しか考えない利己的な男だったとは。ユウタの曇った目では見抜くことができなかった。

 ――否、何度も気づくチャンスは与えられたはずだった。頭の片隅ではわかっていたはずなのに、ユウタは見て見ぬふりを繰り返してきた。本能が拒否していた。それを認めてしまったら、“僕”は英雄ではなくなる。王に操られるまま力を振るい、他者から奪うだけの、この世界にとっての『害』でしかなくなる。何者でもなかった自分が初めて輝くことを許された世界で、落ちていくのが怖かった。


「屑が」

 アロガンツィア王は、目の焦点が定まらないユウタを見てそう呟くと、剣を携えた兵を差し向けた。勇はひゅっと息を飲む。広場では一般人と兵士がもみ合って、もう何人か犠牲になっているのが見える。混乱という言葉では片づけられない状況が広がる。

 民を守るために王国兵に応戦しているのは、グラナードとグロセイア、ナル、アフィラドだった。どうしたって手が足りない。しかし、それでも彼らが膝を着かないのは、魔王によってアロガンツィア兵の足に鈍化の魔法がかけられているからだった。

「振り向くな! 逃げろ!」

 アフィラドが鋭い声で叫ぶ。

 悲鳴をあげながら、女子供は広場から出ていこうとした。

 走る中で気づく。王城前広場の扉が封鎖されている。閉じ込めて皆殺しにする気だ。

 ナルは喉が凍り付きそうになった。かひゅ、と情けない音が漏れる。退路を塞ぎ、なで斬りにするつもりだ。あの時の、父や兄たちがそうされたように、ここにいる人々も……。

 させない。

 頭を軽く左右に振ると、ナルはグロセイアに叫ぶ。

「扉が閉じてる!!」

 グロセイアは小さく舌を打った。

「いつの間に。扉の外にいる王国兵がやったのか」

「わからない。……でも、きっと」

 俺なら開けられる。

 そう言うと、ナルは自分に斬りかかってきた王国兵士を屈んで躱し、足払いをかけて転ばせてから言った。

「ここ、お願いできますか」

「任せろ、こんな雑魚ども俺たち三人で十分だ」

 煽るようにグロセイアは転んだ兵士にちっちっ、と舌を鳴らし、右の口角を吊り上げた。激昂した兵士が立ち上がる。それをちらりと見てから、ナルは民衆を追い越すように閉ざされた扉に向かって走った。


「だめ!!」

 ユウタ目掛けて剣が振り下ろされる。その瞬間、マルタンは呆けて動けないユウタに抱き着くようしてバリアを展開した。王国兵の鋼の剣が高い音を立てて弾かれる。

 ぼーっと虚ろな目をしているユウタに、マルタンは必死に呼びかけた。

「ユウタさん! ユウタさん!!」

 アロガンツィア王は、目の前で起きたことがうまく呑み込めずに目を丸くしている。

「……大ネズミ、何をしている?」

「なに、って……自分が動ける、間に合うところにいる人の命を守ろうとしただけです」

 ユウタを背に庇い、マルタンは必死に訴えかける。

「いらなくなったら、殺すんですか!? ユウタさんは、今まであなたのために働いてきたのに」

「過程などどうでもいい。結果的にわしの役に立ったか、立っていないか、問題はそこだ」

「それじゃあ、道具じゃないですか、道具以下じゃないですか!」

 人の命を何だと思っているんですか、とマルタンは怒りを露わにする。

 敵であったはずの男のことを、身を挺して庇った魔族。それを、逃げ惑いながらも民衆は見ていた。聞いていた。閉ざされた扉を力任せに叩いて開けてと騒いでいる人々の後ろに、頭一つ以上高いナルがぬっと立つ。

「みんな、一度離れて」

 ナルのがっしりとした体躯を見た女は、あっ、と声をあげた。そして、扉から離れる。女につられるようにして、人々は扉の前からそろそろ、と離れる。追ってくる王国兵の妨害は、アドラとフレイアが物理戦で、ロベリアとソレイユが魔法攻撃でそれぞれ担う。

「おい、きついぞこの量、さすがに討ち漏らすぜこんなの……!」

 アドラがこぼした言葉に、メリアは首肯した。

「わたしの障壁魔法も長時間の持続は無理だわ、ここを突破されたらまずい……」

 肩で息をするメリアの魔力が限界に近付いていることは明らかだった。このままでは彼女も倒れてしまう。アドラは歯噛みして、舞台の上に視線を移した。


 ナルは一度扉から離れると、民衆が開けた空間で助走をつけて扉へ体当たりする。

 どん、という大きな音。

 それを聞いて、王は何が起きているのかと伸びあがって扉の方を見た。

 どん、もう一度、大きな音。

 ユウタは、まだ立ち上がれずにいる。

 そのユウタに剣を突き付けていた兵士が剣を下ろして、わずかに微笑んだことに、マルタンは気づいた。

 アロガンツィアの紋章がついた鎧を纏う兵士は、振り向くと、剣の切っ先をゆっくり持ち上げる。そして、それを静かに王の喉元へと突きつけた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?