目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

最終幕【明治後始末】

第63話信長、政府からの使者と話す

 果てしなく続く大空。どこまでも広がる大地。そしてそこに暮らす人々。

 北の果て――北海道は雄大な自然に溢れていた。


 北海道が蝦夷から改称して数年が経っている。その都市になりつつある札幌では元新選組の隊士たちが農作業に勤しんでいた。季節は七月の終わりであともう少しで収穫が見込めるという時期だ。


「ふひひひ。今年も収穫が楽しみだのう」


 広がる稲を見つつほくそ笑むのは元新選組局長の織田信長である。なんの因果か、戦乱の世から現世に帰ってきた彼は今、北海道で自身の夢を追いかけていた。


「信長さん。今年の作物は出来が良い。おそらく改良した成果が出たんです」


 汗を手拭いで拭きながら信長の横に来たのは元新選組二番隊隊長の永倉新八だった。新選組の隊士がそれぞれの道を歩む中、信長と共に北海道で農業に従事していた。


「おぬしが努力したからな。お手柄だ」

「何をおっしゃる。信長さんが取り寄せた書物のおかげですよ。あれが無ければ数年はひもじい思いをすることになった」

「謙虚だのう。それならば儂たちの手柄とするか」


 そう言って笑い合う二人。

 京にいた頃はこんなに朗らかに笑うことはなかった。人を斬ることをやめたのが影響しているのだろう。


「とうもろこしはどうなっている? あれは龍馬が高く買い取る。できれば畑を広げたいのだが」

「やはりそうお考えですか。俺も願望はあるですが……」

「……アイヌの者か」


 信長はため息をついた。

 これ以上、畑を広げようとするとアイヌ――独自の言葉と文化を持つ民だ――との摩擦が懸念される。その程度ならば話し合いで解決できそうだが、衝突してしまえば争うことになる。それは信長も永倉も避けて通りたかった。


「奴等は交渉しても譲らん。しかも目の前でアイヌの言葉で話すから手に負えぬ」

「こちらを敵視しているのでしょう」

「せめて言葉が分かれば良いのだが」


 せっかく実りつつある稲を見て晴れやかな気分となったのに、信長は今後のことを考えて暗澹なる気持ちになってしまう。

 永倉はそんな信長を慮って「今日の晩御飯には特別なものが出ます」とわざと明るく言った。


「新鮮な鮭が手に入りました。鍋で食べましょう」

「おっ。それは良いのう。ふひひひ、楽しみだわい」


 永倉が気を使ったことを分からない信長ではない。

 アイヌの民のことは後回しにしようと思い、改めて指示を出そうとした――


「局長! ああ、ここにいらしたのですか!」


 息を切らし信長たちの元に走ってきたのは元隊士の山野八十八である。美しい顔立ちの彼は汗を流しつつ「大変です!」と言う。


「どうした? 何があったのだ? まさか作物に異変か?」

「違います! 局長に使者が来ております!」


 信長は永倉と顔を見合わせた。

 心当たりがなかったからだ。


「その使者とは誰ぞ?」

「政府の者です。至急に会わせろとのこと。美しい私の考えですが、何か厄介なことが起こりそうです――」



◆◇◆◇



「お初にお目にかかります。私は伊藤博文いとうひろぶみと申します」


 信長の屋敷で折り目正しく挨拶したのは年若い男だった。三十手前だろうか、精悍な顔つきをしていて、性根が真っ直ぐな印象を受ける。初対面で好意をもたれるような紳士然とした清潔さも兼ね備えていた。それは高級スーツを纏っているからではない。生来の気質なのだろう。


「いとう? なんじゃ、伊東甲子太郎の縁者か?」

「いえ。無関係です。私は長州の出ですから」

「そうか……ま、なんでもいいわい」


 信長は退屈そうに胡座をかいている。

 伊藤は対照的にきちんとした正座で対応している。


 部屋の中には信長と伊藤の他にはいない。一応、何かあったときのために隣の部屋で永倉と山野が控えている。しかし信長は伊藤に敵意がないことは分かっていた。殺気がないのもそうだが、害意があれば礼儀正しくしない。


「かの高名な織田信長先生に、どうしてもお頼みしたいことがありまして」

「先生と呼ばれるほど立派な男ではないわ」

「戊辰戦争でのご活躍はそれほどの価値があります」

「おぬしは長州の出だろ? 被害を被った側じゃないのか?」


 被害を被るという言い方をしているが、それは皮肉だった。信長が介入しなければ本来の勝者は彼らだったはずなのだ。まさか帝を奪うというやり方は予想を超えていたのだろう。


「私は吉田松陰先生の遺志を継ぎ、日本を強い国にしたいと思っています。そのためには日本を一つにしなければならない」

「ま、道理だな」

「織田先生のおかげで早く統一ができたと考えます。それに私個人としては被害を被ったという認識はありません。こうして政府に仕えられていますから」


 こやつ、なかなか口が上手いなと信長は笑った。以前会った桂小五郎――今は木戸孝允だ――と似ていると感じた。


「それで本題はなんだ? どうせ厄介事なのだろう?」

「そうですね。政府の厄介事と言えるでしょう……実は政府が真っ二つに割れて争いが起きようとしているのです」

「あん? まさか、徳川慶喜を排除しようという話じゃねえだろな?」


 剣呑な表情に信長はなるが、それに臆すことなく「違います」と伊藤は否定した。


「これは派閥の争いではなく、方針の違いから起こった政争です。織田先生は征韓論をご存じですか?」

「なんだそりゃ?」


 京や江戸にいるならばともかく、北の果てにいる信長は知る由もなかった。


「かつて日本が支配していた三韓――朝鮮を征そうという考えです。かの国は我々の開国の呼びかけを無視し続けた。それに焦れた一部の政府高官が武力をもって侵略しようと考えております」


 信長は「別に良いではないか」と鼻で笑った。

 戦国乱世の者である彼は武力を他国に振るうことを厭わない。

 むしろ正当に国を取る方法とも考える。


「まだ時期尚早です。私たちの課題は海外に負けない国を作ること。つまりは富国強兵を行なわねばならないのです」

「ということは、おぬしはその征韓論とやらの反対派なのだな」


 信長は笑みを絶やさずに「征韓論を唱えている輩を言えよ」と訊く。

 少しだけ興味を持ったようだ。


板垣退助いたがきたいすけ後藤象二郎ごとうしょうじろう江藤新平えとうしんぺいなどです」

「知らんわ。そんな小物共」

「……ええそうでしょうとも。織田先生の名に比べればみんな小物でしょう」


 伊藤はさっきから小馬鹿にしたような信長に苛立ちを覚えていた。

 それもそのはず、伊藤の今後の去就が関わっているのだ。

 だから――信長の興味を引く人物の名を出す。


「征韓論を主導している人物には――あの西郷隆盛先生もいますよ」

「……であるか。それはなかなかに困った話だな」


 信長は笑みをやめて真剣に考え始めた。

 信長が一廉の人物だと認めている西郷が中心であると見ると、これはただの政争では収まらない。

 確実に――血が流れる戦が起こる。


「大久保利通や木戸孝允はどの立場だ?」

「二人とも反対派ですよ。私も含めて海外の国を見てきましたから」

「おぬしも言ったが、単なる派閥争いではないようだな」


 西郷と大久保は薩摩藩の仲間だったと信長は記憶している。

 最後に会ったとき、二人には友情があると知れた。


「それで、おぬしは儂に何を頼みに来たのだ?」


 ようやく本題が言えると伊東は背筋をより正した。


「木戸先生がおっしゃっていました。あなたなら解決してくれると」

「…………」

「お願い申し上げます。どうか、西郷隆盛を止めてください。このままでは政府が二つに割れてしまうのです」


 伊藤はそこで頭を深々と下げた。

 必死に懇願する姿勢を見せた。


「なるほどのう……」


 信長はあごを触りながら思案し始めた――

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?