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第66話信長、江戸に赴く

「ノブナガの目的ってなんだ? アイヌシモリを支配することか?」

「北海道を支配……そうではないな」


 京に向かう道中――否、船中と言ったほうが正しい。信長は政府が手配した軍船に乗っていた。ゆらゆらと揺れるのを楽しみながら、甲板にて海を見ていると、不意にエムシに問いかけられた。


「儂の目的、というより夢は北海道を開拓することだ。民を支配することは考えておらん」

「開拓してどうするんだ? 前に言っていた作物をみんなに食わせるためなのか?」

「もちろん金儲けのためでもあるが……どうして今更訊ねる? ずっと一緒にいただろう」

「それは……」


 エムシが言い淀んだのを見て、信長はアイヌの族長の意図があるなと感づいた。出発する前に一度、エムシは集落に戻っている。そのときに何か言い含められたのだろう。


「じゃあ訊くけど、金儲けしてどうするんだ?」

「新たな土地を手に入れて開拓する。他の地方の商人と取引して効率の良い農具や北海道に適した作物を仕入れる。結果として北海道の民が豊かになるのだ」

「その北海道の民には、俺たちも含まれるのか?」


 これは族長ではなく、エムシの疑問だなと信長は思い「儂は当然、そう考えている」と答えた。


「アイヌの民と協力すればますます豊かになるからな」

「それじゃあ俺たちを利用しようと思っているのか?」

「言葉を悪くすればそうなる」


 信長が迂回せずに真っ直ぐ本音を言ったものだから、エムシは何も言えなくなった。てっきりうだうだと言い訳するか、言葉巧みに誤魔化すと思っていた。


 だけど目の前の老人は少年の求める回答をした。加えて飾らない言葉で話してくれている。それはエムシを対等に見てくれているに他ならない。それに気づかないほどエムシは愚かではなかった。


「あんた、本当に変わった人だな……」

「ふひひひ。儂は魔王と恐れられた男だ。ちょっぴりしか生きとらんおぬしに計れるほど浅くはないわ」


 得意げに言った後、信長は「アイヌの言葉、教えてくれよ」とエムシに頼んだ。


「江戸まで数日かかる。暇で仕方がない」

「エド? キョウに行くんじゃないのか?」

「燃料や食料の補充があるんだと。まったく面倒なことだわい」


 そうは言いつつ信長は笑顔だった。

 何か楽しみがあるようだなとエムシは感づいた。


「エドで何かあるのか?」

「儂の仲間がいる。久方ぶりに会おうと思っている」

「へえ。誰なんだ?」

「井上源三郎、原田左之助、島田魁、山崎丞。それに――」


 懐かしさに目を細めながら、信長は京で共に戦った男の名を口にする。


「沖田総司。あやつ、天然理心流宗家を継いだらしい。どれ、道場主に相応しいか見てやろう」



◆◇◆◇



「ノブさん! 久しぶりですね!」


 江戸の試衛館道場――信長が聞いていたよりも大きく広い道場だった――で稽古着の沖田が嬉しそうに歓迎した。周りの弟子たちが誰だろうと訝しげになるが、まったく気にせずに「息災であったか、沖田」と信長は肩に手を置く。その隣でエムシはきょろきょろと様子を窺っていた。


「鍛錬は怠っていないようだな」

「もちろんですよ。五代目宗家を継いでからも鍛え続けています――みんな! この方に挨拶しなさい! あの織田信長さんですよ!」


 織田信長の名前が出た瞬間、五十人近い弟子たちは驚愕した。

 沖田が常々言っていた、伝説の人物が目の前にいる――


「ほ、本当にいたんですか!?」

「てっきり師匠の与太話だとばかり……」


 ざわつく弟子たちに眉を上げて「こら! 挨拶しなさい!」と沖田は怒鳴る。

 慌てて背筋を伸ばして「おはようございます!」と頭を下げた。

 それを見て信長は満足そうに「うむ。良い声だ」と笑った。


「儂が織田信長である。そしてこっちはエムシという」

「あー、よろしく」

「はい。よろしくお願いします。それで、ノブさんはどうして江戸へ?」

「なに、これから京に行くのだが、その道すがら寄っただけだ」


 沖田は口を尖らせて「ついでで寄ったんですか」と不満を言う。


「私たちに会いに来たんじゃないんですね」

「なんじゃい。そんぐらいでへそを曲げるな……他の者は?」

「源さんと左之助さんは夜に戻ってきます。島田さんと山崎さんは多摩で出稽古に行って数日後に帰りますね」

「そうか。島田と山崎には会えんか……」


 寂しそうな顔になる信長に若干の違和感を沖田は覚えた。

 そして何か言おうとしたときに「なあノブナガ。腹減った」とエムシは遠慮なく言った。


「さっき食べただろ」

「あれだけじゃ足りない。和人は少食なんだな」

「ノブさん。この子……エムシさんは何者なんですか?」

「北海道で知り合ったアイヌの民だ。儂にアイヌ語を教えてくれる。そうじゃの、こやつに飯を食わせてやってくれ」

「承知しました。ノブさんのも用意しますか?」

「いや。結構だ」


 沖田は弟子たちに向かって「今日の稽古はここまでです!」と言う。

 弟子たちの間に弛緩した空気が漂う――敏感に察知した沖田は「道場の掃除が残っていますよ」と厳しく告げた。


「埃一つ残っていたら明日の稽古は足腰が立てなくなるまでやります」

「は、はい!」


 弟子たちは慌てて雑巾を取りに駆け出す。

 信長は「相変わらず厳しいな」と喉奥で笑った。


「京で隊士を鍛えていたときを思い出すわい」

「ふふふ。さあ奥へ。源さんが漬けた漬物があります」



◆◇◆◇



「へえ。政府の仕事ですか。ノブさんもゆっくりと休めばいいのに」

「まったくだぜ。余生を楽しめよ」

「…………」

「御ふた方、言葉が過ぎますよ……すみません、局長」

「源、局長はやめよ。前のように信長さんと呼べ」


 夜になって原田左之助と井上源三郎が帰ってきた。

 さらに斉藤一も沖田に誘われて加わった。今は藤田五郎に改名しているが、仲間内なので斉藤と呼ばれていた。

 信長を囲んで宴を開いていた。とは言っても五人だけのささやかなものだ。

 この場にはエムシはいない。食事を終えて眠くなったと寝てしまった。


「儂も休みたいのだが……巻き込まれてしまってな」

「ノブさんは昔からそうですよね。いろんなことに巻き込まれちゃう。結果として大きくなってしまって、さらに巻き込まれる。こういうのなんて言うんでしたっけ?」

「一難去ってまた一難って言うんじゃねえのか?」


 適当な左之助の言葉に信長は「言い当て妙だのう」と茶を飲んだ。

 信長以外は酒を飲んでいるが、馬鹿騒ぎにならないように節度を保っている。


「戦国の世でも、京にいたときも、渦中にいたのは否めないな」

「……信長さんはそれを楽しんでいるように思えた」


 ぼそぼそと喋る斉藤の言葉に皆が耳を傾ける。

 新選組のときも、無口な斉藤が話すときは静かになるのが常だった。


「常人なら困り果てるところを楽しそうに解決してしまう……おかしな話だが、見ていて痛快だった」

「斉藤がそう思っていたのは驚きだな。今だから言えるが儂を殺そうとしていただろう」


 信長の言葉に沖田は「そうなんですか?」と訊ねる。

 しかし驚いた様子はない。

 それは左之助と井上も同じだった。京での経験で人殺しを許容していた。


「土方さんの頼みだった。それに俺自身、殺すべきと思っていた」

「ほう。ならばどうして殺さなかった?」

「機を逸した、としか言えないな」


 左之助は「なんだそりゃ! 斉藤は変わらねえな!」と噴き出した。


「逆に言えば殺せたってことだろ? よく当人に言えるなあ」

「……嘘や誤魔化しはこの人には通じない」

「素直なんだかひねくれているのか分かりませんねえ」


 沖田の揶揄に斉藤は「俺も自分が分からないときがある」と呟いた。


「あれ? 局長……じゃなかった、信長さん食が進んでいませんね。お口に合いませんか?」


 井上が不思議そうに信長の膳を見た。

 ほとんど手を付けていない。信長の好物ばかりを揃えたつもりだった。


「源。お前は気配り上手だな。それゆえに気苦労も絶えないのではないか?」

「私が好きでやっていることですので」

「……実を言えば食欲がないのだ」


 信長が小さい声でぼそりと言う。

 沖田は「お身体が悪いのですか?」と訊ねた。


「それか、昼間食べ過ぎたとか――」

「違うのだ、沖田。そうではない」


 四人はどうしたのかと次の言葉を待つ。


「おぬしたちには言わねばならん」


 皆の顔を見渡す信長は一拍置いて告げる。

 その寂しげな表情を見て、全員、山南の顔が思い浮かんだ。


「儂は不治の病に冒されている。もう長くはないだろう」

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