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第68話信長、会談する

「久方ぶりの京は蒸し暑いのう。ま、それだけ北海道は寒いということだが」

「……こんなへんてこな場所、見たことない」


 仲間との別れを終えて、信長は京に着ていた。

 無論、アイヌの少年エムシを伴っての上洛だった。


 数年ぶりの京はずいぶんと様変わりしたのうと、信長は感慨深くなった。西洋風の建物がちらほらと見えるが、昔ながらの老舗も多く立ち並んでいる。それらはまるで西洋文化に対する抵抗のようだった。


「北海道では既に煉瓦造りの建物が流行っている。木よりも暖かく過ごしやすいからだ。しかし、京においてはどちらが有用か定まっていないようだ」

「……なあ信長。あんたの目的は戦を止めることだよな。でも見るからにそんな雰囲気はないぞ」


 行き交う人々の顔に余裕がある。それを敏感に察したエムシに「まだ市井の人間には伝わってないからだ」と信長は答えた。


「それにだ、この京が戦場となることはないだろう」

「なんで?」

「御門が居られるからだ。現人神としての権威と尊崇をお持ちになられるあの方がいる限り、ここが戦火に巻き込まれることはない」


 エムシは不思議そうに「ミカドはそんなに偉いのか?」と首をかしげる。アイヌの民は神を信じるが、それらは自身に寄り添ってくれる優しくて厳しい存在だ。あれこれ指示を出すものではない。


「この国の基礎を作られたお方の子孫だからな……ううん、痰が絡まる。茶でも飲みたい気分だ」


 そこへ信長を招いた張本人である伊藤博文が「織田先生、勝手に出歩かないでくださいよ!」とやってきた。大粒の汗をかいているのは彼もまた北海道の気候に慣れてしまったせいだ。


「おお、伊藤。喉が乾いた。茶を馳走してくれ」

「お金くらい持っているでしょう!」

「政府が発行した金だろ? だったら別にわしが使おうがおぬしが使おうが大差ない。さっさと出せよ」


 めちゃくちゃな言い分でたかる信長に「ずるいエカシだ……」とエムシは呆れた顔だ。


「ほれ、さっさと。儂が行きつけだった甘味屋はまだあるかのう……」

「だから勝手に歩かないで……なんで杖なのに早い……待ってください!」


 もはや杖など無しで歩けるのではないかという早さの信長。追いかける伊藤をほんの少し気の毒に思いつつ、エムシは族長に言われたことを思い出す。


『あの織田信長という男と行動しろ。アイヌの民を滅ぼしかねない、危険極まりない男を――お前の目で見定めるのだ』


 エムシは考える。族長は信長が恐ろしいと思っている。それは言葉の節々から伝わってきた。ならばたった一人でやってきたところを捕まえるなりすればいい。力づくで拘束できるほどか弱いはずだ。なのにだ、族長はそれをしない。


 もしかすると族長は信長と組んでいいと考えているのかも――考えすぎだ。そんなことはありえない。何よりも村のことを考えている族長が信長の与太話を信じるわけがない。


 だが一割か二割――信長を信じたいと思う気持ちがあるのは否めない。族長もまた今のアイヌの民の在り方を良しとはしていなかった。だからこそエムシの同行を許可したのだ。


「おーい。何をぼやっとしとるんだ? 甘味屋に行くぞ」


 信長のよく通る声で現実に戻ったエムシは「すぐ行く」と足早に向かった。どうして自分が選ばれたのかは後で考えようと心に決めた。


 エムシが選ばれた理由。それは他のアイヌの民よりも人の心を推し量れるという美点からだったが、当人は知る由もなかった。



◆◇◆◇



 伊藤に茶だけではなく善哉をたかった信長はその後、以前長州藩邸があったところに建てられた、内務省の建物に案内された。そこで大久保利通と会談してほしいと頼まれたのだ。一度だけ会ったが、どうも陰気で人を唆すような性質だと見抜いていた信長はあまり気が進まなかった。


 しかし大久保が就任している内務省の長官たる内務卿は、政府の中でもとりわけ権力の大きい要職である。伊藤が工部卿となり北海道の殖産興業を推進するまではなるだけ機嫌を損ねないほうがいい――そう伊藤は説得した。


「儂が会いたいと言ったわけではあるまい……しかし、西郷を説得する前に一度会っておくべきか」

「そうでしょうとも。それに大久保先生はできることなら、西郷先生と戦いたくないと思っております」


 ガキ大将同士の喧嘩に思える信長だったが、彼の目的を思えば会わないという選択肢はなかった。

 そういうわけで内務卿の執務室に入る信長と伊藤、そして何故か信長に連れてこられたエムシ。西洋風の立派な調度品が機能的に配置されている、整然とした部屋の中にいたのは大久保だけではなかった。


「なんじゃ。おぬしもいたのか――桂小五郎」

「どうも。今は木戸孝允と名乗っております」


 大きな机の前に座る大久保の左右に置かれたソファの前で木戸は立っていた。

 どうやら信長が来るのを知っていたようだ。だから立って待っていたのだろう。

 大久保と木戸は西洋風の装いをしている。きっちりとネクタイまできめていて、これからの日本人の在り方を体現しているようだった。


「ふん。木戸だけに気取った名前だのう」

「あまり面白くないです」

「まあ立ち話もなんですから、どうぞお座りください」


 木戸に促されるように、信長は向かって右側のソファにどかりと座った。その隣にエムシも無言で勢いよく座った。虚勢を張っているようだなとこの場の大人は全員思った。

 木戸は信長の真向かいに座り、伊藤はその隣に座った。これで話し合う体勢となった。


「単刀直入に言うが、西郷と折り合いをつけられないのか?」

「できませんね」

「私もできないと考えているよ」


 木戸と大久保の方針は同じようだと信長はため息をついた。

 厄介な二人が手を組んだと内心辟易している。


「織田さん。私はね、日本が世界に乗り出すのは時期尚早だと考えている。欧米諸国を回ってそれが思い知らされたよ」


 大久保は無表情だったが、どうも気疲れしていると信長は感じた。

 西郷とは無二の親友と言われていたのは信長も覚えていた。しかし人を唆す才能がある大久保が西郷一人に気を遣っているのは、人間味があって逆に気味が悪いと感じた。


「西郷は陸軍大将だ。つまり士族の不満を一身に受ける立場にある。だから朝鮮に出兵して打開しようと考えている。私は出兵に反対しているわけではない。国内の諸制度を創設し撤廃し改善したうえでなければ勝てる戦も勝てない」

「ま、道理だな」

「征韓論を推す人たちは海外の事情を知らないんですよ」


 木戸はぶつぶつ文句を言う。

 こんな愚痴の多い奴だったかと信長は首を傾げた。

 理想主義者が現実主義者に変容したのを見た気分だった。


「儂は伊藤に頼まれて、戦を止めるために来た。しかしおぬしたちが頑なだと西郷も挙げた拳の落としどころが見つからないだろう」

「分かっていますよ、そんなことぐらい。僕と大久保さんはなんとか妥協案を探しましたが……」

「西郷はまだ、己の中で決着がついていないみたいだよ」


 大久保は机に手を置いて「はっきりと言おう」と信長を見つめた。


「織田さんが私や西郷を許してしまった弊害が、ここまでこじらせてしまっている」

「なんじゃい。だったら自害でもなんでもすればよかったじゃねえか」

「するなと言ったのはあなたではないか?」

「そんな昔なこと、覚えとらん……と言いたいが、言ったとは思う」


 大久保は「せめて私だけでも殺すべきだった」と自嘲気味に笑った。


「あなたにはそれだけの恨みが私にあったはずだ」

「……近藤のことを言うのなら、覚悟はあるんだろうな?」


 信長はもちろん、全てを知っていた。

 大久保が伊東甲子太郎を唆して、近藤を斬ったことを。

 しかしそれを飲み込んで――大久保を生かした。


「の、信長、どうしたんだ?」


 事情を知らないエムシはどうして信長が殺気を放っているのか分からない。

 弱々しい老人のはずが、凄まじい迫力を醸し出しているのが――怖い。


「織田さん。今更どうにかする気、ないんでしょう? 収めてください」

「……ふん」


 どうでも良さそうに木戸が言うと、信長は気を削がれたのかそっぽを向いた。


「織田さん。あなたなら何か考えがあるはずだ。でなければわざわざ北海道から出向くわけがない」


 大久保が期待を込めて問うと「あるにはある」と信長は即答した。


「しかし、おぬしらに話しても西郷が納得するかは分からん」

「ではこうしましょう」


 木戸がまとめるように手を叩いた。


「西郷さんは今、陸軍省にいます。三日後に開催する御前会議に出席するために、いろいろと策を練っているんでしょう。そこへ織田さんが考える策を西郷さんに話してください。いや、いっそのこと説得してください。そうすれば万事解決です」

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