「あの……ね。私はレオと契約を結んで結婚の約束をした。まさか自分のグラシアがこんな事になるとは思っていなくて、結局、レオと、その……交わるって事になっちゃったけど……。私はきっと、この先レオのことを心から好きになったり、愛しちゃったりすることはないと思うの。だからレオも、この厄介な儀式みたいな事が終わって、レオの大事なものをレイモンドから取り返したら……こんな私なんか、とっとと捨てちゃっていいからね。グラシアが元に戻るなら、あの時私が願った
「…………」
いきなり何を言い出すのかと、レオヴァルトが双眸を見開いた。「いや、世界征服じゃなかっただろ」なんてツッコミを入れる空気でもない。
「実は……私っ。もう顔も覚えてないんだけど、大切な人がいたんだ。あっ、間違ってもルグランじゃないわよ? もっと、その……遙か彼方から持ってきた記憶というか、そういうのがあって。不思議なんだけど、ずっとその人の事が忘れなれないっていうか。ふふ……まるでおとぎ話、笑っちゃうでしょ? でも……そうなの。私はきっとその人の事を、心の底から愛してた。たぶん、今も、愛してる」
見れば、ユフィリアの頬がほんのり紅く染まっている。
レオヴァルトにも散々悪態を吐いていた威勢の良い我がまま聖女は、すっかり
──ユフィリアにこんな顔をさせてしまうその相手とは。いったい何処の、どんな奴なんだ……?
翼の睫毛を伏せると、レオヴァルトは音のない深い息を吐いた。そして俯くユフィリアの頬に掛かった髪を指先でそっと耳に掛けてやる。
「罪深い男だな、こんなに一途で可愛い人を放っておいて。その男は今、どこにいるんだ?」
いつも通りの彼女なら、「一途で可愛い」なんて言えば「揶揄わないで!」と一蹴してくるはずだ。
俯いたままのユフィリアはユフィリアらしくない表情でいる。なんというか、とても儚げに見える。
「……わからない。けど私が
ユフィリアの言っている事はいまいち意味がよくわからない。だがそんな祈りにも似た真摯な言葉を聞けば、今の自分の気持ちには矛盾しているものの、レオヴァルトとて何か力になってやれないかと思ってしまう。
「せめてその者の名を思い出せないのか? 隣国なら、私のツテを辿って探し出す事が叶うかもしれない」
レオヴァルトの問いかけに、ユフィリアはふるふると首を振る。
「覚えてない。でも、その人の名前をもし覚えていたとしても……私のようなクズ聖女にはとても手が届かないような、高貴で立派な人なの。会う事すら叶わないわ」
レオヴァルトが認めた《真の聖女》は、まるで茶化すように、けれどとても寂しそうに笑う。
「……ごめんね? こんな時に、レオにこんな話しちゃって。でもこんな時だからこそ、ちゃんと伝えておかなきゃって思って」
叶わぬ恋心に身をやつし、自分を抱こうとしている夫を前にして、無謀にも今でもその男を愛しているからあなたは愛せないと涙目で訴える。
派手な髪型も、去勢を張ろうとする姿も。ユフィリアが内面に秘めた切なる想いや弱さを隠そうとするためのものなのかも知れない。
緩やかにウェーブ掛かった銀糸のような長い髪は、今は華奢な背中に流れるように落ちている。
「……ッ」
人目を引く風変わりな髪型に惑わされてしまうものの、生来は整った面差しの綺麗な子なのだ。
憂いを帯びた蒼い瞳を伏せ、強がりと奔放さの鎧を脱ぎ去った姿は消え入りそうに儚げで美しい。
レオヴァルトの眼前に座すのは、清廉無垢な輝きを放つ《聖女》だった。
「私との交わりは、あくまでも儀式的なものだと……私にそう割り切れと、言いたいのだな?」
レオヴァルトの問いかけに、ユフィリアは小さくこくりとうなづく。
遠い目をするユフィリアを見て、レオヴァルトは腹の底から強い《嫉妬》という感情がふつふつと湧き始めるのを感じていた。
──嫉妬心など、欲深く浅ましい者が持つ感情だと卑下していた。なのにこの私が、それも一人の女を巡ってその感情を知るとはな。ますます相手の男がどんな奴なのかが知りたくなる。
それ以上に、ユフィリアを私のものにしたいと。身体だけではない。心も全て、その男から奪い取ってやりたいと思ってしまう。こんなに激しい情欲や傲慢さが、私の中にも眠っていたのか。
「ユフィリア」
ギリ、と奥歯を噛み締めたあと、想いの全てを込めて名を呼んだ。
「この交わりがあなたにとって儀式的なものでも構わない。だが今夜くらいはその男のことを忘れて、私に抱かれろ」
「れっ、レオ……?」
唐突に鋭く煌めいた黄金の瞳に驚いたのだろう。
身構えるようにユフィリアが身を硬くしたのがわかった。
しかしそんな抵抗の片鱗は、レオヴァルトの嫉妬心を過剰に掻き立てる。
「?!……んっ!」
息を呑み、はっと開いた口を否応なしに唇で塞ぐと、華奢な身体を押し倒した。
抵抗しようとする細い両腕を強引に掴んで、シーツの上に縫い止める。