目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第60話:イソロク王の決断

「どうしてもやらねばならぬか……。それが血をわけた実の兄弟と言えども……」


 イソロク王は絞り出すように言葉をその喉から出す。実のところ、ドメニク・ボーラン大将軍が二の足を踏むような進軍の仕方を全軍に指令するのはイソロク王のことを思ってのことだ。イソロク王は戦いが優勢になればなるほど、いつもの愚鈍さを発揮していった。


「あたしにも兄弟がいます。その兄弟を討たねばならぬとなったとき、あたしも今の王のように心を大変痛めてしまうでしょう。ですがあえて言わせてもらいます。あたしが王であれば、この大乱を招いた者が血を分けた兄弟であったとしても必ず討ち取るとっ!!」


 イソロク王はじんわりと温まる身体を愛おしそうに自分の腕で抱きしめる。そして、実の弟と民の笑顔を心の中にある秤に乗せる。ギシギシという音を鳴らしながら、その秤が左右へと揺れ動く。その時であった。民の笑顔が乗っている側にエーリカの真摯とした姿がドカンと乗ったのは。


われはとんでもない愚か者よ……。実の弟、そして民の笑顔。そのどれでもない、エーリカがこの無情なる世界に羽ばたいていく姿が見たいと思ってしまったわい)


 イソロク王は自分の腕で抱き込んでいた身体を解放し、王の威厳を持ってして、玉座に座り直す。その後、エーリカに向かい、エーリカの進言通り、自らが陣頭指揮を執ると言いのける。そう告げた瞬間、向日葵の大輪が咲いたごとくにパッとエーリカの顔が明るくなったのだ。その少女の極上の笑顔に惹かれてしまうイソロク王であった。


「エーリカは【おっさんころがし】であるな。年甲斐も無く、われもコロッといかされてしもうたわっ」


「たまに言われるんですよね。でも、あたしはポジティブの方で受け取ってますっ!」


 エーリカの天然っぷりがたっぷりと含まれた返しに、ガーハハッ! と気持ちよく笑うしか無いイソロク王であった。イソロク王は惚れてしまったのだ、エーリカといううら若き18歳の乙女に。惚れた女子おなごのために尽くすのが男である。歳の差20そこそこあるというのに、イソロク王はエーリカが喜ぶことなら、何でもしてあげたくなってしまう。


 エーリカはイソロク王に命と魂を預けてほしいとねだってきた。ならば、エーリカに言われるがままに、応えようと思うイソロク王であった。エーリカに口説かれ、堕ちてしまったイソロク王の行動は早かった。三日も経たぬうちに王都を出立し、この大戦における本州軍の本部であるミノワ城と到着してしまう。


 そのミノワ城で軍全体の総指揮を執っていたドメニク・ボーラン大将軍はまさに寝耳に水であった。いきなり王都からやってきたイソロク王を出迎えることになる。しかしながら、イソロク王は手短にドメニク将軍に自分の意志を伝える。ドメニク将軍は十数秒ほど天を仰ぐ。そうした後、ドメニク将軍はイソロク王の前で片膝をつく。


「イソロク王がそうおっしゃるならば、このドメニク・ボーラン、まったくもって異論はございませぬ。すぐにでもヤングパインの港町を落としましょうぞ」


「うむ。われも同行させてもらおう。弟王の最後を見届けるのは兄王の務めぞ」


 ドメニク将軍は兄王:イソロク・ホバートの心変わりに最初は驚いた。しかしながら、晴れやかな顔つきであるイソロク王を見ていると、自分は王の臣として、間違っていたことに気づかされることになる。ドメニク将軍は出来るなら、弟王が折れる形でこの大戦を終わらせたかった。それが兄王が望むところだと知っていたからだ。


 だが、それとは裏腹に真にホバート国を想うのであれば、どちらかの王に消えてもらわなければならないとも考えていた。しかしながら、それを進言出来るほどの冷酷さを持ち合わせていないドメニク大将軍だったのだ。彼が間違っているわけではない。この世界の成り立ちが間違っているのだ。誰しもが仲良く手を繋いで平和を望めるような世界では無いのだ。


 他者を蹴飛ばす。敗者を崖下へと落とす。民の上に立ち、その民を導く。そうしなければ、この世界に平和なぞ訪れない。こんな世界自体が間違っていると言われれば、間違っていると言っても良いだろう。だが、こんな世界で生きていくには、それをしなければならないのだ。


 そして、我が王はそれを為すと心に決めたのだ。ならば臣がやるべきことは王の支えとなることだ。それが地獄への一本道だとしてもだ。ドメニク将軍は重い腰をあげ、本部であるミノワ城から本隊すべてを連れて出立する。イソロク王に総指揮官の地位をお返しする。そのイソロク王は各地で駐屯する将軍たちを慰労しながら東へ進む。かのギユウ城へ到着すると、その城を預かっているファルス将軍と面会する。


 ファルス将軍もまたイソロク王の登場により、面食らうことになる。あっけにとられた顔つきでドメニク大将軍の方を見る。ドメニク大将軍は力強くコクリと頷き、自分と王の意志をファルス将軍に伝えるのであった。


「委細承知いたしました。これより自分は全力をもってして、ヤングパインの港町を攻めます。王の決断を尊重いたします」


「うむ。苦労をかけた。われが優柔不断がゆえに、いたずらに戦火を広げた。この戦いを終わらせ、ホバート王国内に再び平和が戻そうではないか。そして、われは自分の罪を償った後、息子に王座を譲ろうと思う」


 そこまで王は決断されていたかと思うドメニク将軍とファルス将軍であった。イソロク王は40半ばを間近となっていた。そろそろ自分の後継者も正式に選ばなければならない歳になっていた。まずは分断されたホバーク王国の統一を。次に戦後処理。最後に自分の息子に問題無く王位を譲り渡す。ここまでがイソロク王がやらねばならぬ仕事であった。


 イソロク王はドメニク将軍以下、諸将をまとめ上げ、全軍をもってしてギユウ城から北北東へとまっすぐ進軍していく。南に大回りで進軍していたオーガス将軍と道中で合流し、本州軍は総勢6万に膨れ上がっていた。さらには行方不明であったゼクロス・マークス大将軍もそこに合流する。ゼクロス大将軍はとある城にて牢に入れられていた。そのゼクロス大将軍を救ったのがオーガス将軍であった。


 一方、北島軍はすでに撤退戦の様相を見せており、北進してくる本州軍になすすべなく、蹴散らされていた。本州の東北地方の各地で敗戦を続けた北島軍はそれでも散り散りになりながらもヤングパインの港町に集結していた。その数およそ1万5千。北進してくる本州軍6万に抗うには数が少なすぎた。


 北島軍はヤングパインの港町の防衛を捨てる。その代わりにもうひとつの天然の要害をもってして、本州軍を足止めしてしまうのであった。その天然の要害とは【海】であった。北東部と本州は海で切断されている。ヤングパインの港町から見て、北島部までの距離は5キュロミャートルほどしかないが、それでも海戦となれば、分は明らかに北島軍のほうにあった。


 本州と北島部を横断する海域は【黒川海峡】と称されていた。この海峡の最短部では5キュロミャートルの幅しか無いため、晴れた日にはヤングパインの港町から北島部の南端にあるコメザワの港町が見えるほどであった。その黒川海峡のあらゆる場所に北島軍の舟が浮かんでいる状況であった。


「黒川海峡をそのまま要害にするか。まだまだ北島軍は健在だと主張したいのであろう。渡海の準備は進んでいるか?」


 ドメニク大将軍は諸将に舟の調達は進んでいるのか? と問う。諸将たちは1週間以内に西から船団を連れてこれると主張する。ドメニク将軍はうむと頷き、その間に軍議を開き、黒川海峡を舟で防いでいる北島軍を全滅させる方策を練るのであった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?