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第7章:それぞれの想い

第71話:エーリカへの視線

 北島部は本州に比べれば、国土の広さは2分の1程度しかない。しかしながら、国土の狭さを感じさせないほどに本州と舟による交易が盛んであった。本州と北島部は海を使っての交易により、互いを支えあってきた仲であった。しかしながら、先代の王:トーゴー・ホバートが崩御してからのここ4年余り、兄王と弟王の後継争いが沈静化することなど一切無かった。


 それにより、北島部を治める弟王は足らぬ資源を補うかのように私掠船を海に放ち、本州の経済を荒らしに荒らした。それだけではない。兄王が弟王のしでかしている蛮行にまともに対処しなかったため、弟王は兄王を舐め切って、ついには本州に直接、軍隊を送りつけた。そしてついには元々の王都であったキャマクラを攻略してみせる。


 しかしながら、北島軍は本州軍の反攻作戦により、各地で痛い敗戦を喰らわされることになる。その中でも本州軍のゴンドール将軍に負わされた敗戦は、この大戦における潮目を変えるものであった。北島軍は本州にある新王都:シンプにまであと20キュロミャートル地点まで南下してみせた。しかしながら、その新王都攻略の重要拠点としていた旧王都:キャマクラを1週間も経たずに落とされた。


 さらにゴンドール将軍はその勢いを止めず、北島軍が第2拠点と定めていたギユウ城にまで兵を進めてきた。北島軍はゴンドール将軍を討ち取るために、北島軍随一の将軍であるドン・キ・ホーテイ大将軍に1万6千の兵を預けた。ドン将軍はゴンドール将軍を一気に打ち破るために野戦に打って出る。


 ドン将軍が野戦をおこなったこと自体は、戦略的に見ても間違いではなかった。もし、この大一番のいくさでドン将軍がゴンドール将軍を打ち破っていれば、北島軍は息を吹き返し、旧王都:キャマクラまで一気に押し切っていたに違いない。


 しかし、歴史の神はゴンドール将軍に微笑んだ。ゴンドール将軍は2倍以上の兵力差を覆しただけではなく、ドン大将軍を捕縛してみせる。ドン大将軍を失った後の北島軍はジワジワと本州の北端へと押しやられることになる。そんな北島軍ではあったが、まだかすかに希望は残されていた。


 それは本州のあるじであるイソロク王の存在であり、イソロク王の意を汲む総指揮官:ドメニク・ボーラン大将軍の存在が北島軍が息を吹き返すために欠かせないものであった。だが、実際に北島軍が息を吹き返すことはなかった。イソロク王を説き伏せた少女の存在を消すことこそが、北島軍がこの大戦おおいくさでやらねばならなかったことだったのだ。


 その少女は今現在、ドメニク大将軍が開く軍議の末席に招かれていた。イソロク王がここにはいないゴンドール将軍の代理として、彼女を指名したのである。将軍でもない彼女が大事な軍議に出席することを、ドメニク大将軍を始め、諸将たちは眉をひそめた。


 しかしながらイソロク王が『朱いドメル川の戦い』において、北島軍1万をたった2千で釘付けにしただけでは無く、その1万を突破し、ゴンドール将軍に勝利をもたらした女神だと諸将たちに言ってのける。諸将の中には眉唾ものの話だと一蹴しようとする者もいた。だが、ゴンドール将軍の見舞いをしたことがあるたファルス将軍はその話をゴンドール将軍から直接その話を聞かされていた。それゆえにその少女の肩を持つことになり、少女が置かれていた状況は一変することにになる。


「ファルス将軍に借りを作ってしまったようね」


「いやいや。ゴンドール将軍と同じく、エーリカ殿と関係を持っていた方が、今後の出世で何かと有利になりそうだという直感がおりてきてな」


「ふんっ。いやらしい言い方ね。ゴンドール将軍はあたしに命を預けてくれた。ファルス将軍はそこのところ、どうなの??」


「私は一夜を共にした女性に命を預けるタイプでね。どうだい? なるべく痛くしないように優しくお相手をしてさしあげよう」


 エーリカはプイッと顔を横に背け、ファルス将軍の前から去っていく。ファルス将軍は振られてしまいましたかと思いながらも、含み笑いが口から零れてしまう。諸将たちが集まる軍議の1日目が終わり、静かに末席を汚すのみであったエーリカに声をかけたファルス将軍であった。


 ファルス将軍はエーリカには不思議な力が宿っているという直感めいた何かがあった。一介の傭兵団の首魁とも思えぬエーリカの立ち振る舞いだ。武術大会で準優勝を収め、さらにオダワーランの窮地を救ったというその手柄をもってして、王と面会を果たした。その場で王を説得し、この大戦が開かれたとも噂されている。


 しかし、噂はあくまでも噂だ。だが王宮での大立ち回りを実際にこの目で見ていれば、ファルス将軍はエーリカをゴンドール将軍の旗下には決して置かなかったであろう。手元に置いて、愛でようとしたことは間違いない。だからこそ、あくまでもファルス将軍の直感なのだ。ここでエーリカに恩を売っておけば、自分にとっての女神になってくれるであろうと。


 しかしながら、エーリカは女神になってほしければ、その命を差し出せと言ってきた。ファルス将軍はそんな彼女に軽口を叩いてしまう。あのような気の強い乙女をベッドの上でアヒンアヒン言わせたいという劣情は少しだけあった。しかしながら、あくまでも軽口である。壮年となっていたファルス将軍の守備範囲からはエーリカはかなりかけ離れていたのだ。


 ファルス将軍の性癖はエーリカにとっても幸運であったと言えよう。ファルス将軍はエーリカに肩を貸した程度の恩しか売れなかったのである。連日のように軍議は開かれる。ドメニク大将軍を始め、イソロク王に進言をおこなう者は後を絶たなかった。だが、エーリカは黙って、諸将たちの意見に耳を傾けるのみに注視する。


 そんな彼女を不気味がる将がいた。それはオーガス将軍であった。オーガス将軍は南回りに北島軍を討伐していった。しかしながら、それが出来たのは北島軍の目が西を向いていたからだという負い目に近い感情を抱くオーガス将軍である。北島軍により被害を被っている町をいくつも解放していった。そして捕らわれの身となっていたゼクロス・マークス大将軍を救った。だが、その功に見合うほどにはオーガス将軍の名声が高まることにはならなかったのだ。。


 それほどまでにゴンドール将軍の名のほうが圧倒的に高まっていたし、ゴンドール将軍の後詰のようにゴンドール将軍の後を追ったファルス将軍がこの大戦おおいくさにおける軍功と名誉を占有していったのである。そのふたりに関わっていた少女がエーリカ・スミスなのである。オーガス将軍は連日開かれる軍議において、エーリカのわずかな動きにすら注視した。


 エーリカがこっくりこっくりと舟をこぐ姿に、あれは擬態に過ぎぬと断じる。ふあぁぁぁと伸びをする姿に、あれは諸将たちを油断させる所作だと断じる。手持ちぶたさに髪の先端を指でクルクルといじる姿を、まじないを発動させるための動作だと断じる。


 だが、軍議が開かれて1週間も経つと、オーガス将軍は自分がエーリカに抱く疑念そのものが杞憂だと感じるようになる。所詮、18歳の小娘に過ぎないのだ、エーリカは。高尚な軍議についてこれずに、ただただ時間を持て余しているのだろうと。それゆえに8日目となった軍議において、オーガス将軍はエーリカから視線を自然と外すようになった。

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