むかしから打たれ強さには定評があったアルザ。意識を飛ばしていた時間は、そう長くなかったようだ。
冷たい雪面の上をひっくり返され、背中側に両腕を拘束されているときには、意識が戻っていた。
荒縄で縛り上げているのは、第一騎士団の奴らで「コイツは縄抜けが得意だった」と、余計なことを云って、間接という間接が曲がらないように雁字搦めにされていく。
金の瞳の獣野郎はというと──
2階のバルコニーにいた。
自分の外套を脱いで、薄着の女にグルリと巻き付けて、何やらふたりで騒いでいる。聴力が人並み以上のアルザには筒抜けだった。
「シア、ダメだ。どうして、あんなヤツを……」
「血が見えました。怪我をしているのでしょう?」
「たいしたことはない。どれも、かすり傷だ」
ふざけんな。
どれもこれも大怪我だ、馬鹿ヤロウと、罵りたかったが、口に布を咬ませられて声は発せられない。
「聞きたいことがあるのです。だから……ここに連れてきて」
「絶対にダメだ! どうして、シアの部屋に? 俺だって今、入ったばかりなのに……ここに押し入ろうとした、あんな側妃の犬を、なぜ連れて来なければならないんだ?!」
こちらを指差して、「アイツは地下牢だ!」と毛を逆立たせるように、猛反対している。
それに対して、女は困り顔だった。
「冬場の地下牢は寒すぎます。王城はどうか知りませんが、バイロン城の地下牢には暖炉もありませんし……」
そんなものは、王城の地下牢にだってない。
自分の命を狙った相手に──なんとも情け深い。オマエの頭は花畑か──と、その甘さにアルザが失笑したところで、
「地下牢は備蓄品の食糧でいっぱいです。何を持っているか分からない人を、無闇に近づけたくありません。かといって、これ以上、城内を連れ回すと城塞の見取り図を、タダでくれやるようなものではないですか。目隠しなんて当てになりませんよ。彼はきっと、特殊な訓練を受けているでしょうから」
理路整然とした答えに、驚かされる。
これを聞いただけでシルヴィア・バイロンが、ただの貴族の女ではないと気づかされたが、つづく言葉にアルザは、豹変したエルディオン・プロキリア以上の戦慄を覚えた。
「知っていますか。彼は、ナバロン国王の
これまで、決して楽な生き方はしてこなかったと、自負するアルザだった。生き残るために、あらゆる手段を講じてきた。
二重間諜にしても、自分の素性に関しても、漏れることがないように、疑いを持たれることがないようにと、情報操作は徹底してきたというのに……
自分を構成しうる、およそすべての情報が、シルヴィア・バイロンに掴まれていたなんて、これ以上の戦意喪失はなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
暖炉の焔が、赤々と燃える室内。
今宵、辺境伯令嬢の私室に押し入ろうとした、侵入者アルファザルト・ブロイアが、これでもかという仏頂面で連れてこられ、シルヴィアの前に座らされた。
灰色の髪に榛色の瞳を持つ侵入者のうしろには、護衛騎士隊長のエルマーがいて、バルコニーには第一騎士団のグレイブ、部屋の外にはバイロン兵と残りの第一騎士団が等間隔で配置されている。
そして、シルヴィアの真後ろには影のように、鬼の形相のエルディオンがピタリといた。
……落ち着かない。
しかし、これがアルファザルト・ブロイアを入室させる絶対条件だったので、致し方ない。
それに、この部屋の落ち着きのなさと空気の悪さは、エルディオンだけが原因ではなかった。
敵味方関係なくシルヴィア以外、この部屋にいる誰もかれもが、この状況に腹を立てている。
10分ほど前──
エルディオンをはじめ、エルマーやデニスを説得して、ようやく私室に連れてきてもらった侵入者は、荒縄でグルグル巻きにされた上、暖炉から一番遠い場所に乱暴に転がされた。
「そんなにキツク縛らなくても……」
そう云いかけたシルヴィアに、真後ろから「止血だ。やむを得ない」と、負傷した侵入者の太腿を指差し、冷たい顔で見下ろしていエルディオン。
見下ろさせた侵入者は、首をグルリとコチラに向け、榛色の瞳はあきらかに『ふざけんなっ』と口枷をされた顔で云っていた。
「話しを聞きたいから、椅子に座らせてあげて」
せめて両脚の縄を解いて、暖炉のそばにある対面する一人掛けのソファーに座らせるようにと指示してから、シルヴィアが待つこと10分。
どこから持ってきたのか、粗末な木材の丸椅子を手にして戻ってきたたグレイブが、部屋の中央に設置。そこにアルファザルトを座らせて、一度解いた縄を、今度は膝下からグルグル巻きにした。
「シルヴィア嬢、ふざけた顔をしたコイツは、アルザといい、元プロキリア王国軍の密偵部隊にいた影です。とにかく、性格が悪いんです!」
本人に訊ねる前に、色々と教えてくれたグレイブだったが、それ以上のことを、すでに知っているシルヴィアは「そうなのね」と頷き、太腿を負傷し、顔面を腫れ上がらせたアルファザルトに、「痛そうね」と治癒魔法を施した。
すると、大ブーイングが起きた。