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欲望と策謀(9)



 両腕が拘束されていなかったら、まちがいなく灰色の巻毛を掻きむしっていた。と、狂犬アルザことアルファザルト・ブロイアは、何ひとつ思いどおりならない夜に苛立っていた。



 敵陣のド真ん中で、こんなにも感情的になるなんて、俺はどうかしている。



 しかし、この不可解な貴族の女を前にして、どうしても平静を保てない。それに、どうかしているのはエルディオン・プロキリアも同様だった。



 あれは俺以上に、どうかしている。



 抜け殻のようだった男は、何もかもが「シア」中心に回っていた。



 稀にみる『重たい男』の代表格で、シルヴィア・バイロンの視線が10秒以上、こちらに留まるだけで眉間にシワを寄せて、嫉妬していた。



 それにしても、領地からほとんど出たことがないと聞いていた辺境伯令嬢の情報網は、異常だった。



 どうやって入手したのか。自分の過去、現在、近い未来の情報まで掴まれていた。アルザにとっては、丸裸にされているのと同じで、シルヴィア・バイロンの質問に答えようが黙秘しようが、



「知っているんだけどね」



 そのひと言で、片付けられてしまう。



 これまでひた隠しにきてた出自のことや、絶対にバレてはいけない二重間諜のことについて、つまびらかに披露され、ぐうの音もでない。



 さらには、間諜であり『赤口』のギルドマスターを相手に、取引を持ちかける豪胆さもみせてきた。



「もう何年も、あなたが探しつづけている『モノ』の在りかを、わたくしが知っていると云ったら、アルファザルト・ブロイア――あなたは、わたくしにだけ、尻尾を振ってくれるかしら」



 アルザが探しつづけているモノ――それは『出生証明書』である。



 ナバロン王国の現国王の御落胤であるアルファザルトには、じつは【呪い】がかかっていて、その呪いを解く鍵が、『出生証明書』そのものだった。



 ナバロン国王の正妻である王妃が、世継ぎ問題の火種になる可能性を懸念して、かけた呪い。



 呪いの媒介となる『出生証明書』を、大金と引き換えに王妃に渡したのは、アルファザルトの実母だ。



 その【呪い】とは、或る日を起点に、身体の成長が止まるというもので、アルファザルトは現在25歳であるが、その身体は10年前にピタリと成長を止めていた。



 大人になりかけの中途半端な身体のまま、もう10年の月日を過ごしてきた。そして命の期限は、もうあと5年しかない。それまでに【呪い】を解かなければ、30歳を迎えた日に、アルファザルトの命は尽きる。



 それを回避するための解呪の方法はいたって簡単だ。呪いの媒介となった『出生証明書』を、アルファザルト本人が破くだけでいい。



 たったそれだけのことで、命のカウントダウンから解放されるというのに、その『出生証明書』が見つからなかった。



 その在りかを知っているという、シルヴィア・バイロン取引条件は、



「まず、これより1年間、わたくしに忠誠を誓いなさい。レグルス辺境領についてのいかなる情報も、側妃ヘレネに渡さないこと。これには、エルディオン・プロキリアと第一騎士団の動向も含みます。逆に、わたくしには、側妃ヘレネの情報をどんどん寄越してちょうだい。あと、ナバロン王国についてもよ」



 かなり厳しい。



「お嬢様は、俺が二重間諜をしているのを知っていて、そんな難しいことを云うわけ?」



 異常な情報網を持つシルヴィアお嬢様は、ケロリと云った。



「二重ができるなら、三重もできるわよ。いざとなったら、その顔と身体で誤魔化せばいいじゃない。あと5年で、死ぬよりマシでしょ」



 呪いによる命の期限。



 その余命を正確にいい当てたときのアルザの表情は、なかなか見ものだったわね。



 『赤口』のギルドマスターの夜の訪問を受けてから数日後。バイロン城に呼び寄せた記者の取材に答えながら、シルヴィアはほくそ笑む。



 あの夜の取引はさすがに保留中だけど、自分の命と引き換えになるのだから、遅かれ早かれ、アルザはこの条件をのまざるを得ない。



 完璧だわ。『赤口』のギルドマスターをこちら側に引き込めば、情報戦を制したも同然。



 記者を前にして、弛みかける頬を引き締めたシルヴィアは、



「このたびの鉱山調査で、セロス山から幻の鉱石オリハルコンを発見できたのは、プロキリア王国第一騎士団の皆様のご尽力の賜物ですわ」



 第一騎士団の功績を大いにアピールしていた。



「冬になり、山岳地帯の討伐作戦が一時休戦となるなか、セロス山での魔物討伐を決行してくれたのです。第一騎士団の皆様の同行がなければ、我々は鉱山調査をできなかったでしょう」



 そこからは当然、第一騎士団に対する軍部の冷遇ぶりを非難する。



「わたくし、驚きました! 第一騎士団は冬場の遠征の必需品である『温石』を、ここ数年、軍部から支給されていなかったというではありませんか! この話を聞いた元王国軍総帥の父も憤慨しておりましたわ」



 英雄マクシム・バイロンの名前に、記者の持つペンに力が入った。



「閣下が、ご立腹とっ!」



「ええ、それはもう。怒りに満ち満ちていますわ」







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