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51話:ライオン傭兵団の苦い思い出

 部屋に陰りが射し始めた頃、キュッリッキは目を覚ました。


「気がつかれましたかな」


 男の声がして、キュッリッキはゆっくり首を巡らせる。


「マウノさん」

「気分は如何ですかな?」


 ベルトルド邸に住み込みで常駐している総合医のマウノは、柳のような眉をぴくぴくとさせる。


「うん、何ともないよ。もう平気」

「それは良かったです」


 もうすぐ70歳になるマウノは、猫背になった背を揺すりながら笑った。


「あ、あのね、セヴェリさんを呼んで欲しいの。お願いしてもいい?」

「はい、承知しました」


 マウノは立ち上がると、のそのそとした歩調で部屋を出ていった。その様子を目で追いながら、キュッリッキは身体を起こす。

 薄暗くなってくる部屋をぼんやりと見つめ、セヴェリが来るのを待った。

 マウノが出て暫く経って、セヴェリが部屋を訪れた。


「お加減は、もう宜しいですか?」

「うん」

「それはようございました」


 にっこりと笑むセヴェリに、キュッリッキは頭を下げる。


「今日は勝手なことして、ごめんなさいでした!」

「おやおや」


 セヴェリは僅かに驚いて目を見張る。


「アタシがセヴェリさんの案内を断って、勝手に歩き回っちゃったから。そのせいでセヴェリさんが、ベルトルドさんに怒られちゃったらどうしようって…。セヴェリさんが悪いわけじゃないのに。アタシが全部悪いの」


 俯いたまま反省を述べるキュッリッキに、セヴェリはゆっくり首を横に振る。


「お嬢様は悪くありません。そんなにご自分を責めてはいけませんよ」

「ううん、アタシ悪い子なの。自分のことばっかり考えてて、セヴェリさんに迷惑かけちゃって」

「いいえ。お嬢様がお一人で行かれようとしていても、お側を離れず着いていけばよかったのです。それなのに、お嬢様をお一人にしたのはわたくしの責任でございます。お叱りを受けて当然なのは、わたくしのほうでございますよ」

「そんなことない…。アタシが悪いんだもん」


 何を言ってもキュッリッキは自分を責めるだろう様子に、セヴェリは笑いかける。


「では、お互い様、で如何でございましょう?」

「お互い様?」


 涙ぐむ顔をあげて、キュッリッキはぽつりと呟く。


「はい。お嬢様はお一人で行動なさいました。そして、わたくしはそれを許してしまいました。どちらも悪くて、反省ということですね」


 キュッリッキは暫しセヴェリの顔を見つめ、そして俯く。逡巡するように、膝の上で組んだ両手を握り直していたが、やがて顔を上げる。


「セヴェリさんがそう言ってくれるなら。でも、本当にごめんなさいなの」

「はい。では、お互い様ということで」


 ようやくキュッリッキの顔に笑顔が広がって、セヴェリもホッとした。


「お嬢様」

「うん?」

「旦那様方や、ライオン傭兵団の皆様にご相談しづらい、打ち明けづらい悩みなどありましたら、わたくしめやリトヴァ、アリサなどにもお話ください。我々は使用人風情で憚り多きことながら、出来る範囲でお力になりとうございます」


 恭しく頭を下げるセヴェリの言葉に、キュッリッキの心は温かくなっていった。


「ありがとう、セヴェリさん」

「それではわたくしはこれで。――ああ、お茶でも召し上がりますか?」

「ううん、ライオンのみんなが帰ってくるまでゴロゴロしてるの」

「判りました。皆様がお戻りになられましたら、おしらせしに参ります」

「うん。お願いします」


 こうしたやり取りでセヴェリとも心が近くなった気がして、キュッリッキは嬉しくなった。



* * *



「本部にキューリきてたのか? なんだよ、教えてくれりゃいいのに」


 ザカリーはソファにひっくり返りながら特大の不満を顔に貼り付け、口を尖らせ文句を垂れる。


「ばーか、迷子になってたまたま来てただけだ。アルカネットのところへすぐに連れて行った」


 ギャリーはビールをグラスへは注がず、瓶のまま飲み干す。

 夜になり出向していたライオン傭兵団の皆が帰ってくると、スモーキングルームに集まって、酒盛りしながら今日のキュッリッキの迷子について盛り上がっていた。

 キュッリッキもセヴェリから知らせを受けて、スモーキングルームに来ていた。


「一体なんの用事で呼び出されたんです?」


 カーティスに問われると、キュッリッキは暫し考え込み、小さく首を横に振った。


「内緒だから教えちゃダメって、ベルトルドさんに言われてるの」


 これには「なんだとー」と部屋のあちこちから不満の声が上がる。


「キューリさんに口止めするとか、怪しさ大爆発ですね」


 シビルがほたほたと歩きながら、キュッリッキの座るソファに飛び乗った。


「キューリちゃ~ん喋っちゃいなよぉ~。アタシらもナイショにしとくからぁ」


 マリオンは背後からキュッリッキを抱きしめる。そして両掌を胸に被せ、イヤらしく揉み始めた。


「だってダメなんだもん。あっ、やだもぉ、胸揉まないでってばっ」

「ヤイコラ! 羨ましいことしてんじゃねーよ痴女!」

「アタシとキューリちゃんの仲だも~ん。スキンシップ、スキンシップぅ」


 ザカリーがマリオンに食ってかかるが、マリオンはおかまいなしにキュッリッキの胸を揉む手を止めない。


「やだったら……あんっ」


 キュッリッキの発した艶声に、ザカリーとメルヴィンがドキリと顔を赤らめた。それをチラリと見やって、カーティスが小さくため息をつく。


「マリオン、そのくらいにしておかないと、椅子から立ち上がれなさそうなひとが若干名いますよ」

「へ~い」


 カーティスに軽くたしなめられて、マリオンは揉む手を止めて、再びキュッリッキを抱きしめた。

 ザカリーはなんとも言えない表情で明後日のほうを向き、メルヴィンは顔を赤らめたまま俯いて息を吐き出した。


「あ、そうだ。ねね、コッコラ王国の悲劇ってなあに?」


 ふと思い出したキュッリッキの問いに、一同はしーんと静まり返った。


「??」


 急に黙りこくったみんなの様子に、キュッリッキは目を瞬かせる。


「キューリちゃん……それ、どこで聞いたのぉ~?」


 マリオンに耳元で囁くように言われて、キュッリッキはくすぐったさに目を閉じる。


「シロクマのおじいちゃんが話してて、詳しくはみんなに聞けって、ベルトルドさんが」

「コラ! キューリてめー、古傷に塩をすりこむような無慈悲なコトをきーてんじゃねーぞ!!」


 カーペットの上でゴロゴロしていたヴァルトが、憤然と立ち上がって怒鳴りつけた。

 ベルトルドやアルカネットが絡むと異常に反応するヴァルトなだけに、キュッリッキの好奇心はますます掻き立てられた。


「……話してくれたら、今日呼び出された内容のこと、喋っちゃってもいいかも~」


 キュッリッキが強気に出ると、みんな「うっ」という表情を浮かべた。


「しょうがないですねえ…。――3年前、我々は今はもうないコッコラ王国から、破格の報酬で雇われたことがあります」


 たっぷりと間を置いたあとカーティスがそう切り出し、みんな悪夢にうなされたように渋面を浮かべた。




 ハワドウレ皇国の拠点であるワイ・メア大陸には、属国である小国が5つ領土を構えていた。

 その中の一つ、北に位置するコッコラ王国は、石油が豊かでハワドウレ皇国のエネルギー面を大きく支えていた。

 ところがコッコラ王国が突如反旗を翻し、豊かな財力を活かして多くの兵力を募り、大規模な戦争を仕掛けてきたのだ。


「それがちょうど3年前です。あの頃はまだ、いくつかの傭兵ギルドから依頼を受けているような状態で、今ほど我々も有名ではありませんでした。大々的に傭兵を募っていたコッコラ王国からもたらされた報酬額は、なんと5年は遊んで暮らせそうな額でしたから、断る理由がありません」


 ため息とともに、カーティスは懐かしそうに目を閉じた。


ライオン傭兵団ウチの後ろ盾がハワドウレ皇国の副宰相であっても、我々には関係ありません。食べていかなくてはいけませんから。――これも仕事だからと意気揚々とコッコラ王国側に与したわけです」

「しかしその判断が甘かった……」


 ギャリーが脂汗を浮かべて呟く。


「そう……あの頃の私たちは、ベルトルド卿の恐ろしさを知らず、完全にナメてかかってましたからねえ」



* *


 コッコラ王国の傭兵として戦争に参加したライオン傭兵団は、持ち前の圧倒的なパワーでハワドウレ皇国の兵士たちを蹴散らしていった。中にはもと同僚たちも含まれていたが、すでに辞めた身、遠慮の欠片もない。

 この戦いでライオン傭兵団の強さが傭兵界に轟き、現在の地位を築いて確固たるものになった。

 当初兵力差では圧倒的にコッコラ王国不利と目されていたが、多くの傭兵団と共にライオン傭兵団も大活躍して、戦況は一転し、ハワドウレ皇国軍のほうが圧される形に塗り変わっていった。これに気をよくしたコッコラ王国側は、ハワドウレ皇国を挑発し、より状況を悪化させていく。

 そしてついに、ハワドウレ皇国は切り札を投入する。

 というより、切り札の方が勝手に――切り札以下数名しか事情は知らない――乗り込んできたのだ。

 ハワドウレ皇国副宰相ベルトルドと、軍を辞め、ベルトルド邸の執事をしているアルカネットの2人だった。


「ベルトルド卿の超能力サイの実力は、噂ばかりで我々もよく判っていませんでした。アルカネットさんについては、並ぶものが居ないほどの魔法〈才能〉スキルの持ち主であることは知っていました。しかし、2人が本気で力を振るうところなど、見たことがなかったんです」


 ベルトルドは軍を全て引かせ、アルカネットと2人だけで戦場のど真ん中に降り立った。

 その様子を遠巻きに見ていたコッコラ王国軍と雇われ傭兵たちは訝しんだが、


「かかってこい」


 キザったらしく片手で挑発してくるベルトルドの態度に、全員カチンときて、2人に向けて容赦のない集中砲火が浴びせられた。

 しかし砲弾も矢も魔力も全てが2人に着弾する数メートル手前で空間に消失し、何事もなかったように2人は無傷。驚きどよめくコッコラ王国側は、それでも2人に集中砲火を浴びせ続けたが全く効果なし。

 その様子に好奇心を掻き立てられたライオン傭兵団が出撃すると、ベルトルドとアルカネットは「待ってました!」と言わんばかりに反撃に転じた。

 ベルトルドもアルカネットもその場を動かず、ライオン傭兵団の攻撃も全て着弾前に空間に吸収され届かず、ガエルとヴァルトの拳も見えない壁に弾き飛ばされた。完璧な防御をベルトルドが、そしてアルカネットの無詠唱魔法が容赦なく炸裂し、辺りをイラアルータ・トニトルスの雷光が無数に踊り狂った。

 為すすべもなく逃げ腰になるライオン傭兵団を嘲笑うかのように、念動力により地面に無数の亀裂が走り、岩や小石などが宙を舞って襲いかかった。更に最上位攻撃風魔法トゥムルトゥス・リーフが勢いに拍車をかけ、トドメの氷結封印ケーラ・ベークシスで完全に動きを封じられた。

 それでもガエルやヴァルトなどは抵抗を試みて封印を破ろうともがいたが、トコトコと歩いてきたベルトルドの容赦のない一蹴りでサクッと沈められる。

 時間にすればほんの10分程度だっただろう。しかし、攻撃を食らっていたライオン傭兵団にしてみれば、永遠に感じる猛威の10分間だった。


「出し惜しみするんじゃないぞお前たち! もう終わりなのか?」


 不敵な笑みを浮かべてベルトルドが叫ぶと、コッコラ王国軍は恐れ慄き、蜘蛛の子を散らす勢いで敵前逃亡を始めた。


「張り合いのない連中だな…。それにしてもお前たち、もうちょっと頑張れば面白かったものを。あっさりと沈みおって情けない」


 無様に地面に転がるライオン傭兵団を睥睨すると、ベルトルドはうつ伏せに倒れるザカリーの背中を踏みつけ、軽やかな足取りでコッコラ王国軍を追って領内を突き進んで行った。

 そのたった半日で、コッコラ王国軍は壊滅状態に追い込まれて惨敗。雇われた傭兵たちも殆どが倒され、数日後、地図からコッコラ王国の名が消え失せた。

 まさに、トリプルハリケーンが通り過ぎていったごとき勢いだった。



* *



「部下だから大目に見てくれるだろう、などとチラッとでも思ったのがそもそもの間違いでした。あの方々の容赦のない攻撃といったら、筆舌に尽くしがたい凶暴さでした」

「手加減とか容赦するとか、あいつらの辞書には絶対載ってねえ……」


 ザカリーは頭を振って吐き捨てた。気を失っていたので背中を踏まれたことは、仲間たちからあとで聞かされた。


「ベルトルドさんとアルカネットさんの2人でやっちゃったんだ~……すっごーい」


 キュッリッキはわくわくした表情で、その時の様子を想像してみる。腕自慢の彼らがコテンパンにやられたのだ。

 みんな思うところが色々あるのだろう。どんよりと暗雲を垂れこめたような雰囲気をまとわせて、力なく俯いてしまっていた。


「俺が帰ったぞ!」


 そこへやしきの主が元気に帰宅を告げる声が聞こえてきて、みんな一斉にビクリと身体をひきつらせた。


「ここにいたかリッキー」

「おかえりなさ~い」


 スモーキングルームに姿を見せたベルトルドに、キュッリッキは小走りに駆け寄って飛びついた。

 最近こうして「おかえりなさい」をしないと、ベルトルドがいつまでも拗ねる。というよりイジケる。

 飛びついてきたキュッリッキを嬉しそうに抱きしめ、たっぷりと抱擁を堪能する。


「今日は済まなかった。身体はもう大丈夫か? 痛いところや苦しいところはないか?」

「大丈夫だよ。もう平気だから」

「そうか。本当に済まなかったな」

「アタシのほうこそ、ごめんなさい」

「もういいんだよ。イイ子だ、リッキー」


 もう一度ギュッとキュッリッキを抱きしめ、


「なんだお前たち、全力で落ち込んで」


 やっと気づいたと言わんばかりに室内を見渡す。

 青ざめた表情をした幾人かと視線が交わったが、サッと一方的にそらされ、ベルトルドは面白そうに目を見開く。


「こいつら、何を落ち込んでいるのかな?」


 キュッリッキに優しく問いかけると、


「ちょうど、コッコラ王国のお話しを聞いてたの」

「ほほう」


 ベルトルドはニヤリと口の端をあげると、キュッリッキを素早く抱き上げた。いきなりのことで、キュッリッキは慌ててベルトルドの首に両腕を回してしがみつく。


「そうか。3年前の、あの、コッコラ王国の反乱のことか」


 ことさら嫌味ったらしく「あの」を強調して言うと、ライオン傭兵団の顔がますます青ざめていく。

「思い出したくない、思い出させないで、お願いっ!」とでも言いたげなオーラが室内に垂れこめた。


「胃がキリキリしてきたっ」


 ザカリーは胃の辺りを押さえ、ソファに沈み込んだ。マリオンもルーファスも、無言でその場にしゃがみこんでいる。

 彼らの様子があまりにも面白くて、ベルトルドは顔をニヤニヤさせていた。


「こいつらはな、今でこそ最強などとおだて上げられて調子にのっているが、あの頃はもう、それはそれは無様を絵に描いたような、恥ずかしい腰抜けっぷりだったぞ」


 ライオン傭兵団はますます暗雲を濃くしていった。そのうち本当に雨でも降ってきそうだ。


「そんなに酷かったの?」

「ああ、哀れなほど酷かったぞ」


 信じられない、といったキュッリッキの顔に、ベルトルドはここぞとばかりに頬ずりする。マシュマロ肌の感触に、ベルトルドは鼻を膨らませ大満足だ。


「ただいま戻りました」


 廊下からアルカネットの声が聞こえ、出迎えたセヴェリやリトヴァの声がする。

 アルカネットの声にも、一同ビクリと身体を反応させた。


(なんか、よっぽど激しいトラウマになっているんだね……)


 みんなの可哀想な様子に、キュッリッキは憐れむ気持ちが芽生えてきた。深く心に刻み込まれているのだろう。今の彼らには、自信の二文字はどこにもない。

 ライオン傭兵団はとても強いと心から思う。しかしその彼ら以上に圧倒するほど強いベルトルドとアルカネットの戦いぶりを、キュッリッキは見てみたいと思っていた。一体どんな凄い戦闘なんだろう。興味は尽きない。


「おや、みなさんこちらにいらしたんですか。ただいま、リッキーさん」

「おかえりなさい」


 いつもの可愛らしい笑顔のキュッリッキに、アルカネットは顔を曇らせ目を伏せた。


「昼間は本当に済みませんでした。身体の方は、もう大丈夫ですか? 起きていて辛くありませんか?」

「うん。もう平気なの」

「大事にならなくて、本当に良かった。リッキーさんの顔を見るまで、気が気じゃなかったです、今日はもう」

「心配かけてごめんなさい、アルカネットさん」

「いいえ、いいえ、あなたが謝る必要なんてないのですよ」


 今にも倒れそうな顔になって、アルカネットは頭を振った。


「ちょうどいいところに帰ってきた。懐かしい話で盛り上がっていたようだぞ」

「懐かしい?」

「コッコラ王国のお話し」


 ニタニタ顔のベルトルドと、苦笑を浮かべたキュッリッキの顔を見て、アルカネットは少し間を置いて「ああ」と頷いた。

 スッと天使のような微笑みになって、さらりとトドメの一言を突き刺す。


「彼らの無様な顛末ですね」

「のおおおおおおおおおおっ!」


 異口同音に地の底から湧き上がるような悲鳴が、スモーキングルームにこだまする。

 ベルトルドとアルカネットの爆笑をバックミュージックに、天下のライオン傭兵団は力なく床に沈んでいった。

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