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60話:オーバリー到着

 よほど強い薬を盛られたのか、キュッリッキとフローズヴィトニルの眠りは深かった。汽車自体はびくともせず穏やかなものだったが、防御壁に弾かれたエルプティオ・ヘリオスの着弾音やらが騒々しく、火炎による閃光も賑やかだった。

 メルヴィンは膝の上で寝るフローズヴィトニルをキュッリッキの膝に移し、キュッリッキを自らの膝の上に抱き上げた。フェンリルは目を覚ましているようで、キュッリッキの膝の上でじっとしている。


「薬の効果時間は、長いんですか?」


 少佐を見上げながら問うと、少佐は「ええ」と短く返事をした。


「お嬢様は回復されてまだ間もありません。いくらリハビリをされていたとはいっても、体力の全回復はまだまだでしょう。そのことをアルカネット様はいたく心配なさっていました。――あなた方の合流地点であるフェルトに到着する前に、ベルトルド様とアルカネット様がお迎えに参じるそうです。その時までお嬢様は眠ったままです」

「あの2人が迎えにくるのは、初めて聞きました」


 メルヴィンが怪訝そうに首をかしげる。


「わたくしも詳しいことは知らされておりませんが、ご予定が変わったとか」

「そうですか……」


 そのことについては、それ以上興味はなかった。

 メルヴィンが一番心配なのは、睡眠薬を飲ませ、事あるごとにキュッリッキを眠らせてしまうことだ。

 身体に害のあるものを、あの2人がキュッリッキに服用させることは絶対にないだろう。それでもこうして何かある度に薬で眠らせ、知らないうちに全てが片付いているというのは心情的に受け入れにくい。


(遺跡での大怪我からこれまで、臥せっていた時間が長かった。以前のような体力を回復するために、毎日何時間もリハビリを頑張っていて。そしてみんなと一緒に仕事が出来ることを喜び、うんと張り切っていたというのに)


 今回の短い旅もどこか挙動不審な面は見られたが、自力で頑張ろうとしていた。それなのに薬で眠らされ、全てが終わったあとで目覚めさせられては、心底ガッカリするだろう。

 どうにもベルトルドとアルカネットのやっていることは、キュッリッキを必要以上に過保護にしすぎる。キュッリッキの気持ちを無視し、蔑ろにしているようにメルヴィンには思われてならなかった。




 走り続ける汽車の外では、賑やかな魔法攻撃がひっきりなしに続いていたが、防御を突破できるような一撃は向かってこなかった。


「少佐、そろそろ線路が」


 少佐のそばにいた中尉が、敬礼と共に報告をする。それに小さく頷いて、少佐は2人に告げた。


「これからこの汽車を、爆破された線路の”上”を走らせます。多少強い衝撃が突き上げてくると思いますので、お嬢様をしっかりと抱いていてください」


 メルヴィンは無言で頷くと、キュッリッキを抱き上げる手に若干力をこめて、椅子に踏ん張るようにして身構えた。

 ルーファスは2人になるべく衝撃が及ばないように、衝撃を吸収する防御を張り巡らせる。超能力サイ使い以外には目にすることのできない、薄い膜のようなものが丸く2人を包み込んだ。

 それを確認すると、少佐はその場で身体を浮かせて、するりと車両の天井をすり抜けて車外に出た。

 汽車の周囲を同じ速度で飛びながら、必死に攻撃を仕掛けてくる魔法使いと超能力サイ使いたちを、少佐は侮蔑を顕に一瞥して片膝をつく。指を立てるようにして車両に両手をついた。

 すると先頭車両から順に、ガタンと激しく車体を揺らして、線路から離れて浮いていく。

 6両編成の汽車は全車両が線路から浮いて、しかし速度はそのまま維持され宙を滑走していた。その汽車の様子に、逆臣軍の魔法使いや超能力サイ使いたちはギョッと驚いて狼狽する。今まで休むことなく続けていた攻撃の手が止まった。

 少佐はゆっくり立ち上がると、優雅に腕を組んだ。亜麻色の若干長めの髪の毛が、強風にあおられ踊る。


「ベルトルド様なら、これに加速をつけて移動させてしまうのでしょうが……。わたくしにはそこまでは無理のようです」


 誰にともなく呟いて、自嘲するような笑みを薄い唇に滲ませた。




 車窓から頭を出して地面を見ると、十分な高さをもって線路の上に汽車は浮いていた。しかも線路を走っていた時と同じように宙を滑走している。

 頭を引っ込め、両手を腰についたポーズで、ルーファスは薄く笑ってげっそりとため息をついた。


「実に面白いものが見れるヨ……外」

「なんとなく、想像はつきます」


 ルーファスの表情から察して、メルヴィンは苦笑した。

 走る車輪の振動を全く感じず、穏やかに汽車は全速していた。車窓に映る風景もまた、流れるように変わっていく。


超能力サイ使いは凄いですね。こんなことは、造作もないんでしょう?」

「んー、人それぞれだと思うけどね~。――少佐は念動力特化タイプとみた」


 ルーファスはそばに控えるように立っている赤毛の中尉を、ちらりと見る。

 まだ20代前半に見える若い赤毛の中尉は、ルーファスの視線を受けて微笑みながら無言で肯定した。


超能力サイ使いも魔法使いと一緒で、一応は一通りの力を使うことはできるのよ。それでも個性があって、得意な能力と不得意な能力があるから、オレ達みたいに傭兵とか軍人やる場合は、得意な能力を徹底的に磨いたほうが役に立つってわけ。少佐は念動力――物体を浮かせたり操作する能力を、徹底的に磨いて強化したようだね。色々ある能力の中でも、空間転移だけはベルトルド様限定のようだけど」

「普段ルーファスさんはなんでも使いこなすので、得意不得意があるとは思いませんでした」


 感心したようにメルヴィンは言う。それに対しルーファスは苦笑した。


「オレは透視が得意なんだけどネ。あくまで女性限定でっ」


 真顔で言うルーファスに、メルヴィンの冷ややかな視線が投げかけられる。


「リッキーさんに、そんなふしだらな透視は絶対にしないでくださいよ」


 声まで冷ややかなメルヴィンに、ルーファスは慌てて手を振る。


「ンなことしないって! キューリちゃんは確かに麗しい美少女だけど、透視したくなるほどの豊満さに欠けるから…おっぱいちっさいし」

「…………」


 起きていたらフェンリルかフローズヴィトニルの尻尾を掴んで、バシッと殴られそうなことを言ってのけ、ルーファスは真剣に頷いた。

 メルヴィンは小さくため息をつくと、腕の中でスヤスヤと眠るキュッリッキの顔を覗き込んだ。

 年齢のわりには匂い立つ色気に欠ける部分もあるが、出会った当初に比べると、この頃は女性らしい柔らかな空気を感じることはある。生憎女性についてそれほど詳しくもないが、時折見せるキュッリッキの仕草に、ドキリとすることはあるのだ。

 ナルバ山の遺跡で大怪我をしたキュッリッキのそばに長く居るようになってから、彼女に対する見方が変わったのだろうか。出会った当初は気にも留めていなかった。

 過保護にしすぎるベルトルドとアルカネットの、キュッリッキに対する過剰な愛情の接し方を目にすると、心中穏やかではなかった。


(この小さく華奢な身体を我が物のように抱き寄せ、触れているのを見るのが辛い。滑らかで柔らかな肌にキスをしているのも嫌だ。同じベッドで寝起きしていることも不愉快に感じる。さも当然のように独占しているのも腹立たしい)


 いつからそんな風に思うようになったのか、メルヴィンははっきりと自分の心を掴めないでいた。それに、まさかキュッリッキが自分に恋心を向けてきているなど、気づいてもいないし想像もしていなかった。

 顔を赤くして恥ずかしそうにしているのは、男性と共に行動することに、女性として抵抗感があるのだろう。年頃なのだからしょうがないと、そう思っている。そして恥ずかしそうにするキュッリッキを、いじらしく、愛らしいと思っていた。

 そうした経緯いきさつもあり、今ではキュッリッキを大事に守らなければという使命感が、強く心を支配している。

 身じろぎもせず眠るキュッリッキを、ほんのわずか胸に抱き寄せるようにして腕に力をこめた。




 破壊された線路の上を優雅に滑走すること数分、ようやく敵の攻撃が再開された。

 あまりにも凄い光景を目の当たりにして、逆臣軍は度肝を抜かれていたようだったが、さすがに立ち直り、本来の目的を思い出して――勘違いしているが――攻撃を再開したのだ。


「おーお、攻撃再開してきたよ。懲りない連中だねえ」

「全て防がれてるとはいえ、万が一のことがあったら彼らはどうするんでしょう。目的は、リッキーさんの誘拐ですよね?」

「タブンね。生きて連れてこい、って命令なんだろうケド。誘拐の仕方がまるでなってないな」

「まずは車両に取り付いて、侵入を試みる。それを援護するために、攻撃を仕掛けるなら理解できますが…」

「完全に命令系統がアヤフヤになってる感じだネ」


 生死は問わずなら、これでも問題はなさそうだが。死体になったキュッリッキを連れ戻ったところで、首をはねられるだけだろうに。

 現在の世界は、平和、と呼べるほど、あまり大きな戦争はない。

 ヴィプネン族のお膝元である惑星ヒイシだけでなく、アイオン族の治める惑星ペッコでも、トゥーリ族の治める惑星タピオでも、傭兵たちが諸手を挙げて張り切るほどの戦場は見当たらなかった。

 今回の大規模な戦争では、世界中でくすぶり続ける傭兵たちにとっては千載一遇のチャンスであり、稼ぎ時である。とくにハワドウレ皇国並みの戦力を保有していない逆臣軍サイドにとって、傭兵たちは貴重な戦力となっていた。

 逆臣軍は多くの傭兵を雇用しているが、それだけに正規の軍人たちと違って統率が取りづらく、命令内容も正確に伝達されていないことも多々発生していた。

 少佐が見抜いたように、奇襲をかけてきているこの兵士たちは、全て傭兵によって構成されているようだ。軍服をまとっていても軍人ではない。

 彼らも稼がなくてはならない、それは理解出来るし共感もできるとルーファスは思っている。しかしだからといって、やられてやる必要は全くないのだ。


「ハエは早めに落としてしまいましょう」


 天井からはっきりとした少佐の声が、車内に伝わってきた。


「エーリス少尉、アンテロ少尉、ヘイッキ軍曹の3人で、汽車にまとわりつくハエを全て落としてしまってください。彼らは所詮傭兵のようですから、遠慮はしなくて結構ですよ」


 近くに控えていた赤毛の中尉が、不思議そうにするルーファスとメルヴィンに「3人は魔法〈才能〉スキル持ちです」と教えてくれた。

 軍人ならば捕虜にして聞き出せることも色々ありそうだが、傭兵たちならそれは無駄な行為である。最低限の情報しか与えられていない、それが捨て駒にされる傭兵たちだ。

 汽車に向け放たれる火炎攻撃に、やがて稲妻が混じるようになってきた。

 ダエヴァの魔法使いたちによる攻撃が始まったのだ。


「オーバリーに着く前に、すぐ終わるでしょう」


 赤毛の中尉は、さも当然といった口調で言った。

 哀れだが、そうだろうなとルーファスも思った。

 超能力サイや魔法〈才能〉スキルを持つ者たちが見れば、外にいる逆臣軍の傭兵たちの実力は明らかだった。それを大きく上回るダエヴァの能力者達が、負ける要素は何もない。

 ルーファスは椅子に座りなおすと、蛇のように蠢く稲妻のムチで叩き落とされる傭兵たちに、同情的な視線を向け肩をすくめた。




 大した時間もかからず、20人ほどの奇襲部隊は呆気なく始末されてしまい、汽車には穏やかな静けさが戻った。


「そろそろオーバリーのステーションに到着します」


 赤毛の中尉が業務連絡的に告げる。


「さすが、ラクに着いたな」

「そうですね。ダエヴァの皆さんに守られていましたし」


 ルーファスとメルヴィンが胸をなでおろしていると、


「ステーションに着く前に、お2人共戦闘準備をしておいてください。オーバリーにかなりの数の逆臣軍が入り込んでいるそうです」


 車外にいる少佐から声がかかる。


「乗り継ぎの汽車を出す前に、少々戦いが発生しそうです」

「……やっぱ、さっきの奇襲だけじゃなかったか」

「ルーファスさん、リッキーさんをお願いします」

「おっけぃ」


 メルヴィンはキュッリッキをそっとルーファスに預け、軍服の中にしまいこんでいたペンダントを取り出した。

 何かの鋭い爪か牙のようなペンダントヘッドを首紐から外すと、それを軽く宙に放り投げる。


「形状変化」


 そっと一言呟くと、ペンダントヘッドは宙でぐにゃりと歪み、一瞬にして細い刀へと形と大きさを変えた。

 片刃で鍔から切っ先まで同じ幅をしている。刃は厚みもあり、うっすらと柔らかな光を帯びていた。柄は黄金細工の、不可思議な生き物を模した作りになっている。メルヴィンの出身国では、神竜というらしい。

 宙に留まる直刀の剣の柄を握り、刃を下に向けた。


「爪竜刀ってそんな形にもなるんだ?」

「ええ。色々と形を変えられます。両手剣はちょっと大きすぎるので、このサイズのほうが振りやすいんです」


 剣術の師から受け継いだ、魔剣に類する爪竜刀。ひとふりで岩山をも斬り裂くなどと伝承がついているのだが、メルヴィンは成功したためしがない。大袈裟な伝承付きではあるが、刀自体に凄まじい威力が込められているのは確かで、誰もが扱えるわけではなかった。ギャリーの持つ魔剣シラーと同系のものだ。


「皇国軍で五指に数えられていたほどの剣技、拝見できるのを楽しみにしています」


 感動したような面持ちで赤毛の中尉が言うと、メルヴィンは苦笑で応じた。


超能力サイや魔法使いたちの戦いのあとでは、見てても地味でつまらないと思いますよ」

「そんなことありません。〈才能〉スキルの種が違いますから、わたしは憧れますよ」

「ありがとうございます」


 照れくさそうに言うと、メルヴィンは他にも持ち歩いていた、いくつかの武器を丹念に点検する。


「最後までラクな旅が出来るかと思ったけど、そうもいかないね」


 キュッリッキを腕に抱いたまま、ルーファスは身をかがめて車窓の外を見る。

 緩やかにカーブしながら滑走する汽車の先頭の向こうには、街の姿がはっきりと現れ見えていた。



* * *



 ボルクンド王国との国境に隣接する街オーバリーは、ソレル王国と連合を組んだボルクンド王国の不穏な動きを察知して、あらかじめ住民たちの避難を行っていた。

 ある程度の子女たちは疎開して街を離れているが、街にはまだまだ多くの人々が残っている。

 もう老人と呼んでも差し支えのないクラエスも、その中の一人だ。

 クラエスは駅員になって40年、公休以外は毎日休まずステーションをしっかり見守ってきた。

 波乱のない穏やかな人生、ステーションには様々なドラマがあり、それを乗客たちと共有しながら定年を明日に控えている。勤めを最後までしっかり果たそうと、臨時で入ると連絡のあった汽車の到着を待ちわびていた。

 すると突如街の奥の方で、大爆発が起きた。爆風の余波がステーションにまで届くほどの規模に、クラエスは度肝を抜かれて寿命が縮まった。

 それから1時間が過ぎると、今度はステーションの近くでも盛大な爆音が轟いた。それも1回ではなく複数回あり、振動がステーションの建物を震わせ埃が舞った。

 ステーションにはあまり多くの人はいなかったが、ベンチで伸びていたアル中の男が驚いてベンチからずり落ちたり、数羽のハトが慌てて空へ飛び出していったりと、やや騒然な賑わいを見せている。


「いよいよこのオーバリーも、戦場のひとつとなったのか」


 クラエスは一気に老け込んだ顔をさらに皺くちゃにして、胸ポケットにしまっていた小さな写真を覗き込む。


「いよいよワシも、おまえのところへ逝くことになりそうだ」


 2年前に他界した妻の若い頃の写真に、クラエスは泣き笑った。 

 しみじみと自分の世界に浸っていたクラエスは、やがて盛大に鳴る汽笛の音にハッと顔を上げる。小さな目をこれでもかと見開いて、ステーションに走り込んでくる汽車を凝視した。

 線路の”上”を滑走してくる汽車、その汽車の上に腕を組んで立つ若い軍人の男。

 ホームに滑り込んできた汽車は、ゆっくりと停止し、静かに線路の上に車輪を置いた。


「おや、出迎えがいないようですね。持ち場を離れるとは何かあったのでしょうか」


 汽車の屋根の上に立っていた軍人が、ぶつぶつと言いながらホームに飛び降りた。


「お勤めご苦労様です。皇国の軍人が、このあたりに居ませんでしたか?」


 クラエスはパチクリと目を瞬かせ軍人を見上げたが、口を開く前に激しい爆音に首をすくめた。


「爆発が近いですね……すぐここにも乗り込まれるか」


 若い軍人は改札の方をじっと見ると、クラエスの返事も待たずに汽車に踵を返した。

 汽車の中に消えていく軍人の背を見送りながら、頭の中が真っ白になったクラエスは、その場に立ちすくした。



* * *



 汽車がオーバリーに到着すると、メルヴィンとルーファスは立ち上がっていて、いつでも動けるようにしていた。そこへ少佐が足早に車内に戻ってくる。


「迎えの者がおりませんでした。連絡をとったところ、ボルクンド行きの汽車に奇襲をかけられているようです。申し訳ありませんが、手をお貸しいただきたい」

「もちろんです。乗り換えの汽車までの案内をお願いします」

「ありがとうございます。こちらへ」


 少佐が手振りで先頭に立って歩き出すと、メルヴィンとルーファス、同じ車両にいたダエヴァの軍人たちが後に続いた。


「この街の駅はちょっと風変わりで、街を挟んで反対側にボルクンド王国方面へのステーションが建っているんです」

「うへ、そりゃ乗り換えする客が面倒だろうに」


 キュッリッキを腕に抱いて、ルーファスは肩をすくめる。


「全くです。観光収入を見込んで、街に立ち寄ってもらう目的もあったようですが。まあ、概ね不評なようです」


 にっこりと少佐は言うと、メルヴィンに軽く肩を掴まれ立ち止まった。


「敵の気配が。超能力サイ使いや魔法使いに察知されないようにしているのがいますね。オレが先頭に立ちます」

「判りました」


 少佐は頓着することなく真顔で頷き、メルヴィンに前を譲る。

 汽車から出たところで、メルヴィンは左手に持っていた数本の小刀を、無造作に真上の天井に投げつけた。


「ちいっ!」


 舌打ちする男の声が天井から降り注ぎ、化粧タイルの床に小さな血が数滴落ちた。


「勘のいい奴がいる、やっちまえ!!」


 天井からの怒号に、改札方面から5人の男が飛び出してきた。

 ソレル王国の軍服をまとっているが、その顔つきは明らかに傭兵だった。手に大型の武器を持っているところから、戦闘の武器系〈才能〉スキル持ちばかりのようだ。


「ルーファスさん、天井に潜んでいたのはアサシンです。不意打ちに気をつけていてください。小刀は両手に刺さったのを感じたけど、あまり効果はなさそうです」

「おっけー。――ベルトルド様のような絶対防御、オレもほしいな」


 ぼやくように言うと、ルーファスは己の周りに四角い壁のようなイメージで防御を張った。簡単に物理攻撃や魔法攻撃を通さない防御壁だ。

 ベルトルドの絶対防御は、ベルトルドただひとりが持ち得る超能力サイの能力の一つ、空間転移によるものである。

 明らかな殺意や敵意の攻撃は、ベルトルド自身が気づいていなくても、無意識的に能力が発動して攻撃を消失させる。

 なぜそんな神がかりな力が働くのかは、ベルトルドもよく判らないらしい。気がついたら使えるようになっていたという。

 もっとも便利な半面、この能力の恐ろしいところは、たとえ殺意や悪意はなくても、身体に衝撃を与えようとする――抱きついてきたり、ふざけ半分で叩いたり――とそれも空間転移させてしまうことだ。

 ベルトルド自身が認識していれば発動しないが、死角から不意打ちのようにすれば能力でかわされてしまう。そして転移させられた先はベルトルドにも判らないので、行方不明になるのがオチだった。

 それを理解してベルトルドを殴ることができるのは、この世でアルカネットとリュリュだけである。最近キュッリッキも加わった。

 そういう意味では、絶対防御という表現は少々おかしいが。

 ルーファスが防御を張って自己防衛したことを確認し、メルヴィンは手にしていた爪竜刀を構えた。


(わざわざ切り結ぶ必要はありませんね)


 精悍な顔つきで突進してくる傭兵たちをじっと見据えると、まだ射程圏外にいる傭兵たちに向けて、構えていた剣をスッと横になぎ払った。

 空気が蜃気楼のように波打ち歪み、それが波紋のように瞬時に傭兵たちに届いた。

 何事もなかったかのように傭兵たちは走っていた。しかしそれは奇妙な光景だった。

 武器を構える傭兵たちの上半身はその場に留まり、下半身だけが走っていた。そして突如思い出したように唐突に足をもつれさせ、膝をついて地面に転がる。

 下半身を失った上半身のみの傭兵たちは、何が起こったか理解せぬまま、血を吐き、斬られた胴から大量の血や内蔵を撒き散らして、地面にベシャリと崩れ落ちた。


「エグイね、相変わらず」


 苦笑混じりにルーファスに言われ、メルヴィンはほんの少し口元に笑みを浮かべた。


「リッキーさんが見ていませんから」

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