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103話:語り部

 湯殿の大騒ぎを尻目に、シ・アティウスはさっさとあがると、浴衣に着替えて宿を出た。

 宿は大きな池の中に建っているが、島の中を散策できるように周囲には小道が整備されている。島の中はかなり広いので、迷わないようにしてあるのだろう。

 シ・アティウスは道なりに進み、やがて開けた丘に出た。


「ほほう…」


 目の前には一面に、青い花が咲き乱れている。

 この花がネモフィラという名の花であることは知っているが、季節外れだと記憶の中から情報を引っ張り出す。記憶〈才能〉スキルを持つシ・アティウスは、膨大な知識を蓄えていた。


「ここは、島の中心地になるのかな」

「そうでございますよ」


 独り言を受ける声に、シ・アティウスは背後をゆっくりと振り返った。


「女将」


 シグネはたおやかな笑みを浮かべ、小さく会釈した。


「この場所は、かつて神が降り立った場所だと、我々は伝え聞いているのでございますよ」


 ゆっくりと歩を進め、シグネはシ・アティウスの横に並んだ。


「……俺は、その伝説に興味があり、ずっとここに来たかった。キュッリッキ嬢のおかげで夢が叶った」

「あの金髪の、美しいお嬢様ですね。アイオン族とお見受けしましたが、とても人懐っこいご様子で、好感をいだきましたわ」

「彼女は複雑な生い立ちでね。だが、素直ないい子だ」


 あれだけ凄惨な過去を生きてきて、よく素直に育ったとシ・アティウスは感心している。

 癖は強すぎるが、ベルトルドやライオン傭兵団との出会いもまた、彼女の素直さに良い影響があったのだろう。

 暫し2人は小さな青い花の絨毯に見入った。


「ユリハルシラというアイオン族の女性が、このケウルーレに降り立ちました。もとは惑星ペッコの出身です。そしてこのコケマキ・カウプンキを作ったのも彼女で、自由都市としての体裁が整うと、ほかの人間に運営を任せ、ここに温泉宿を開きました」

「ほほう、コケマキ・カウプンキを作ったのは彼女だったんですか」


 シグネはそっと頷く。


「そして後に、神が降り立ったのです」

「アイオン族の始祖アウリス、ですね」

「はい」


 風に揺らされ、サワサワと花びらの擦れ合う音が静かに漂う。


「アウリスについては、どこまでご存知ですの?」

「鬼籍に入った後、なんらかの事情で一度蘇り、その後この地へ降り立ち2番目となる妻を迎えたと。大雑把だがこのくらいは」

「かなり端折っていますが、概ねその通りです」


 懐かしそうな表情になって、シグネは天を仰ぐ。


「イルマタル帝国の皇位継承権を持つ第一皇女マーレトは、皇位継承の儀でアウリスと出会いました。――皇位継承の儀とは、アイオン族の始祖であり、イルマタル帝国を作った初代皇帝でもあるアウリスが定めた、絶対的な掟でした」


 神であるアウリスが、何故鬼籍に入ったかは知られていない。

 彼は鬼籍に入る間際、自らの直系の子孫であるフルメヴァーラ皇家に、ある絶対的な掟を定めた。

 それは、皇位を継ぐ者は必ず自分の裁定を受け、自分の子孫であることが証明されなければならない、というものだった。そのため皇位継承の儀が執り行われるたび、アウリスは死の眠りから呼び覚まされるようになる。


「神聖な儀式ではありましたが、それを快く思わない子孫たちもまた、いたのです」


 アウリスの柩は宮殿に安置されていたが、玉座を狙うフルメヴァーラ皇家の分家筋の者が、アウリスの柩を暴き、おさめられていた遺体から骨を一本抜き取った。


「骨ですか」

「ええ、肋骨だったと言われています」


 眠りから覚めることに問題はなかったが、肋骨を抜き取られた為、本来の力を発揮することができず、それを好機とみなした分家筋がクーデターを起こした。


「アウリスはマーレト姫と逃亡を余儀なくされ、自らの骨を取り戻すために旅をしました。骨は辺境の寺院に隠されていて、ようやく行方を見つけたときには、寺院は盗賊団に襲われ、骨も持ち去られていたのです」

「骨一本で封じられる神の力というのも、なんだかという気がしなくもない…」

「ほほほ。でもアウリスは半神でございましたし、万能ではなかったのかもしれません」

「半神、だったんですか」


 それは知らなかった、とシ・アティウスは意外そうに唸る。


「自らの骨を取り戻すため、アウリスは盗賊団と接触しましたが、盗賊団の頭はアウリスの骨がイルマタル帝国に高く売れると判り、返そうとはしなかったのです」

「当然の展開、といった不幸だな」

「本当に。でも、盗賊団の頭は女でした。イルマタル帝国に高値で売りつける算段の他に、彼女はアウリスに想いを寄せるようになっていました。しかし、マーレト姫もまた、アウリスを恋い慕っていたのです」

「見事な三角関係に……」


 リュリュが好きそうな展開になったと、シ・アティウスは吹き出しそうになって堪える。


「盗賊団の頭の想いに気づきながらも、アウリスはクーデターを鎮め、マーレト姫を正当な皇位継承者として玉座を継がせたい思いでいっぱいだった。そして、細くなっていく己の血を再び濃くするため、アウリスはマーレト姫の想いの方を受け入れました」

「ふむ…」

「盗賊団の頭は失恋し、そのショックからイルマタル帝国と手を組もうとしますが、裏切られ、半殺しの目に遭いました」

「散々な…」

「ええ。そしてアウリスはクーデターを鎮め、無事皇位継承の儀を執り行い、マーレト姫を女帝として玉座につけることに成功しました。そしてマーレト姫との間に、一児をもうけることも出来た」


 どこか寂しげにシグネは俯いた。


「瀕死の重傷を負いながらも、どうにか生き残った盗賊団の頭は、惑星ペッコを去り、ここ惑星ヒイシに落ち延びたのです」

「それは」

「盗賊団の頭の名はユリハルシラ。そう、コケマキ・カウプンキを開いたその人なのです」

「なんとまあ」

「そして何故アウリスは彼女を追って、この地へ来たのかは知りません。しかし2人は再会し、このネモフィラの花畑で愛を誓い合い、最期の時を迎えるまで夫婦として暮らしました」


 シグネが話してくれた物語を、シ・アティウスは心の中で何度も噛み締めた。

 そしてあることに気づく。


「かなり詳細に物語を知っているんですね。あなたは一体」


 レンズの奥は色に隠れて見えないシ・アティウスに顔を向けられ、シグネは暫し逡巡するように目を泳がせた。


「私は語り部です。アウリスとユリハルシラの間に生まれた子の子孫でもあります」

「なるほど、そうでしたか…」

「2人の血を継いだ子供たちは世界中に散らばりました。しかし私の両親もそのまた祖父母も、ずっとこのコケマキ・カウプンキで暮らしてきました。そしてケウルーレで宿を守っています」


 語り部は〈才能〉スキルとは全く異なる能力で、そう多く存在していないという。また存在数も明らかになっておらず、詳しいことも知られてはいない。


「語り部には幻視の力が備わっていると聞いたことがある。あなたは幻視で視てきたんですか?」

「幻視の力があるのはそうですが、私のこれはアウリスとユリハルシラの記憶を受け継いでいるのです」

「なんと…」

「2人がもうけた子は3人で、うち2人はこの島を出ました。残った子の血筋が私のルーツです。そして2人の記憶は私の血筋に受け継がれています。全てではありませんが」


 シグネの横顔を見つめ、シ・アティウスは小さく頷いた。


「ヴィプネン族やトゥーリ族から見れば、ただの御伽噺程度で済むだろう。だが、アイオン族に――とくに本星のアイオン族が聞けば、ただではすまされない話だな」

「全くですよ。フルメヴァーラ皇家の祖先が惑星ヒイシに降り立ち、盗賊団の頭との間に子をもうけたなどと。大問題でございますね」


 クスクスと愉快そうにシグネは笑う。


「そんなに喋ってしまって良かったのか? 俺はハワドウレ皇国のアルケラ研究機関ケレヴィルに所属している学者だ。記憶〈才能〉スキルを持っているから、一生忘れない」

「ふふっ、いいのでございますよ。私は語り部、必要とあればいくらでも話します。ただ、これまでいらしたお客様の中には、興味を示されたお方は一人もおりませんでした。あなただけでございますよ」

「まあ、アイオン族にとってはアウリスとマーレト姫のことは周知の事実だし、アウリスとユリハルシラのことは知らないのだろうからな。――俺は、あるルーツを調べている。その関係でこの話も聞きかじっていた」

「あるルーツ……。もしやそれは」


 思い当たったような顔をするシグネに、シ・アティウスは頷いた。


「お察しのとおりだ」

「では、それは予想と外れていないと申し上げられますわ」

「そうか、間違いなさそうか」


 シ・アティウスはニヤリと口の端を歪める。


「ここへこられて、本当に良かった」


 満足そうに言うシ・アティウスに、シグネはにっこりと微笑んだ。

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