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126話:奪われしもの・2

「おーい、リュー、ビーチ行こうぜ」


 ベルトルドが建物の2階へ向けて、大声を張り上げる。

 アーナンド島の学校から帰ってきて、毎日恒例の宿題兼砂山崩しゲームの誘いである。

 暫く間を置いて、窓からリュリュが顔を出した。


「アタシ、行かない」

「なんで?」

「パパから新しい服買ってもらったの。お化粧の練習とか、やることいっぱいなのよ」

「ふーん、そっか。じゃいいや。行こう、アルカネット」

「うん」


 無理強いすることもせず、ベルトルドとアルカネットはリュリュに手を振り、ビーチのほうへ駆けていった。

 駆けていく2人の後ろ姿を窓から見送り、リュリュは窓から離れた。そして、手にしていたワンピースを、嬉しそうに鏡の前で身体にあてる。


「いっつもおねえちゃんのお下がりだったけど、やっとアタシだけの服、買ってもらえたわん」


 レモン色の生地には、白い大輪の花のプリントが裾に広がっている。ミーナ群島は1年中真夏なので、着るものは全て夏物だ。

 一度だけ、ベルトルドとアルカネットの家族と一緒に北の国へ旅行へ出かけたことがある。一度も着たことがない冬物の服を着込んで。しかし、あまりの寒さに震えあがり、3家族とも全ての予定をキャンセルして舞い戻ってしまった。

 両親たちも全て、ゼイルストラ・カウプンキの出身なのだ。


「お化粧はちょっと濃い目でも大丈夫ね」


 鏡の前で、真っ赤な口紅をひいてみる。

 リュリュはもっと小さな頃から、自分は女性である、と思っていた。身体は男性だけど、でも女性なんだと。そう認識が変わることはない。

 素直に家族に告げると、父母も姉も、そのことをすぐ受け入れてくれた。それになにより、喜んだのは両親である。


「これでリューディアのお下がりを着せることができるぞー!」

「服代が浮くわねえ~」

「ちょっと、おとうさん、おかあさん……」


 リューディアは呆れたように、脱線する両親を窘めたが、リュリュは大喜びではしゃいだものだ。それでも大きくなってくれば、お下がりばかりだとつまらない。そこで、最近ではずっと自分だけの新しい服をおねだりしていて、それが今日やっと叶ったのだ。

 姉のリューディアが、こっそりと口添えしてくれていたことは知らない。

 学校から帰ってくると、3着のワンピースが包まれた紙袋が部屋にあって、リュリュは飛び上がって大喜びだった。

 世間体というもののために、無理に着ている男の子用の服を脱ぎ捨て、本来の女の子用の服に着替える。

 真新しい匂いのする、自分だけのワンピース。

 鏡の前でくるくる回って、リュリュはにっこりと笑った。




「ねえベルトルド、ここの問題はどう解くの?」

「うん、ああ、これはだな」


 ビーチのそばに設置されている、木製のテーブルとベンチに腰掛けて、ベルトルドとアルカネットは問題集とノートを開いていた。椰子の木陰が午後の強い日差しを遮ってくれている。

 ビーチで遊ぶ子供たちのために、アルカネットの父イスモと、リューディアとリュリュの父クスタヴィが作ったものだ。

 今日は数学の宿題が山ほど出ていて、それを2人でやっつけている。


「あ、そうか、判った」


 ベルトルドに丁寧に教わり、アルカネットは顔をほころばせながら問題を埋めていった。

 その様子を見てベルトルドは優しく微笑み、自分の宿題も進めていく。


「ベルトルドは数学も得意だよね。苦手な教科なんてあるの?」


 学校一の秀才であるベルトルドは、学校でもよく学友たちから問題の解き方を教えて欲しいとねだられ、それに応えて教えていた。教師よりも判りやすい、と評判だ。


「うーん……そうだなあ、調理実習だけはダメだ。何故男の俺があんなもんをやらなきゃならん。料理〈才能〉スキルがあるやつが学べばいいんだ、親父みたいに」

「でも、男でも最低限の料理は作れないと、一人になったら苦労するんじゃない?」

「料理の上手な女と結婚すればいいだけだ。そうだな、料理〈才能〉スキル持ちの女を探すか」

「そうなんだ。――じゃあ、ベルトルドはリューディアには気がないんだね」


 そこでリューディアの名を持ち出され、ベルトルドは一瞬言葉に詰まった。

 アルカネットは顔を上げず、ノートに問題の答えを記しながら話している。それを見やって、ベルトルドは苦笑をもらした。


「ば、馬鹿だな。別にリューディアにそんな気なんてあるもんか。だいたい、リューディアは年上なんだぞ」

「年上っていっても3歳しか違わないよ。でも、気がないなら安心した。僕はリューディアが大好きだから」

「そっか…」

「だからベルトルド」


 アルカネットは顔を上げて、しっかりとベルトルドを見据える。


「僕がリューディアに告白するから、ベルトルドは引き下がってね」


 その瞬間、気にもならなかった波の音が、騒音のように耳に流れ込んでくる。緩やかな風に揺れる椰子の葉音すら大音量に聞こえてしょうがない。

 心臓が、トクンッと跳ねたような気がした。

 何か言葉を紡がなければ。そう、どこかで別の自分が慌てふためいている。


「そうか。まあ、頑張れよ」


 苦笑しながら言うベルトルドの顔を見て、アルカネットは安心したように微笑んだ。そして、宿題を終わらせるために、再びノートに顔を向ける。


「僕がリューディアに告白するから、ベルトルドは引き下がってね」


 アルカネットの言葉が、胸にズキリと突き刺さる。

 見透かされていたのだろうか? リューディアに向ける、密かな想いを。

 心の中に過ぎっていった寂しいと感じる気持ちを、ベルトルドは表情には出さないよう一生懸命こらえていた。




 夕飯が終わったあと、ベルトルドは外に出た。

 ブラブラ歩いて、島で一番高い場所へとくる。

 街灯もなく、月と星あかりだけで歩いてきたここは、島の南端にある岩場だった。

 とてもとても小さい島なので、子供の足で一周しても30分でまわれてしまう。

 ベルトルドはその場に座り、満天の夜空を見上げた。

 スコールの季節は終わっている。殆ど晴れ間しかないミーナ群島では、星が大きく見えて、輝きもまた大きい。そしてその中で一際大きな輝きを放つ月もまた、とても美しく見えた。

 昼間アルカネットに言われたことが、ずっと心の中で繰り返し再生されている。


 ――僕がリューディアに告白するから、ベルトルドは引き下がってね。


 引き下がってね。

 アルカネットは、自分ベルトルドの心の奥底に漂う気持ちに、気づいていたのだろう。

 リューディアに気があると。

 そうでなければ、わざわざ牽制などしてくるはずもない。

 もっと幼い頃は、そういう気にはならなかった。リューディアは家族同然の存在で、姉であり、大切な友達の一人だ。でも、昨年くらいから、どこかリューディアが気になってしょうがない。毎日のように、そうした悶々とする思いが心の中で燻っていた。そんな時にアルカネットにああ言われ、妙に落ち込んでしまっているのだ。

 ベルトルドもアルカネットも一人っ子で、兄弟がいない。しかしベルトルドは、アルカネットやリュリュが、弟のような気がしている。それでいつも、兄貴分な気持ちで2人に接していた。アルカネットにはそういうところはなく、一人っ子特有の独占欲で何事もとらえる。

 恋をするのにそんな優先順位など関係ない。でも、弟のように思っているアルカネットが、引き下がれという。

 リューディアもアルカネットも、ベルトルドにとっては大切な存在だ。

 だから……。


「こんな遅くに何を黄昏ているのよ? 子供のくせに」


 ビクッとして首を後ろに振り向けると、ランプを持ったリューディアが立っていた。

 よりにもよってこのタイミングでリューディアが現れ、ベルトルドは暗がりで顔の色がはっきり見えないのを心底感謝していた。何故ならとても、真っ赤になっていると自分でもよく判るからだ。


「あ、足音も立てずに近寄ってくるなよ、ビビったあ」

「あ~ら、あんたでもビビることあるんだ」


 リューディアはニヤニヤと笑いながら近づいてきて、ベルトルドの横に座った。その時、ふわりと花の香りがして、ベルトルドの心臓がドキドキと早鐘を打った。


「どうしたのよ、こんなところで」

「ディアのほうこそ、なんで俺がここにいること知ってるんだ」


 落ち込んでいるところを見られてしまい、ベルトルドの口調が突っ慳貪になる。


「ベルが出かけるところが見えたからよ。気になってついてきちゃった」

「ふーん」

「まさか、アレ? 恋の悩みとか」

「ばっ、ばっかじゃね! この俺がそんな子供みたいなことで悩む訳無いだろ!!」

「あんたまだ10歳の子供じゃない……」

「ぐぬ…」


 あまりにも正直な慌てふためきぶりに、指摘したリューディアのほうが困ってしまっていた。


「学校で好きな女の子でも出来たの~?」


 ニヤニヤと聞かれて、ベルトルドは握り拳を作る。


「俺は女が好きだ。美醜はある程度問うが、女が大好きだ!」


 高らかに言うと、リューディアのゲンコツが脳天に炸裂した。


「力込めすぎだぞディア……」

「リクハルドおじさんみたいなことを言わないの! まったく」


 ベルトルドの父リクハルドも、酒が入ると「俺は女が大好きだー!」と叫ぶくせがある。父のクスタヴィによると、若い頃は女に手を出すのが早くて、奥さんのサーラには初めてフラレたことがきっかけで、プロポーズに至ったという。


「あんたってホント、リクハルドおじさんに似てるわね」

「遺伝だからしょうがない……」

「もっと子供っぽい単語を使いなさいっ」


 再びゲンコツを食らって、ベルトルドは頭を抱えた。


「あ、判ったわ! ベルは年上の女性に惚れてるんでしょ?」


 ギクッとなって、ベルトルドは心の中でダラダラ汗を流し続けた。


「まさか、わたしとか?」


 そう言われた瞬間、ベルトルドは打ちのめされたように愕然としていた。

 リューディアの心の中が、視えてしまったからだ。

 ベルトルドの超能力サイは、学校の教師から付けられた腕の装飾品によって抑え込まれている。しかしベルトルドは伝えていないが、この装飾品は完全には超能力サイを抑え込みきれていないのだ。

 だから、使えてしまう。

 超能力サイが。

 そして視えてしまう、リューディアの心の中が。

 ベルトルドへ向ける、淡い恋心が。

 3歳も歳下の自分に、恋をするリューディアの本当の気持ちが。

 リューディアの気を引きたくて、いつも怒られることばかり言う。気にかけて欲しくて、無茶ばかりをする。構って欲しくて、自分にだけ目を向けて欲しくて。

 自分は歳下だから、少しでも大人びていたい。歳下なんだと意識して欲しくない。年上の女性リューディアに釣り合うような男でいたい。

 最初は意図的にしていた。けれど、最近ではすでに当たり前の行動のようになっていて、とくにリューディアの気を引きたくてやっているつもりはない。

 それなのに、伝わってしまっていたのだろうか、自分の小さな想いが。

 願いが、叶ってしまったのだろうか。

 隣に座るリューディアを、横目でじっと見つめる。

 月や星の明かりの中でも煌くような金色の髪、日焼けもしない白い肌。スラリとした華奢な身体。そして時々目のやり場に困ってしまう、近頃目立ってきた胸のふくらみ。

 敵うものなどいないと思わせる程の美しい顔には、海のように透明な青い瞳がはめ込まれていて、ベルトルドはその瞳が大好きだった。陽の光を弾いて煌く、海のようなその澄んだ青い瞳が。

 その青い瞳に映し出されているのが、まさか自分だったなんて。

 ベルトルドは嬉しかった。心底嬉しかった。しかし、その反面とても辛かった。

 相思相愛なんだと、ベルトルドは告げることができない。

 何故なら、アルカネットもリューディアが大好きだから。

 本気で、恋をしているから。


「ディアは自惚れ屋なんだな! 俺はみんな大好きだし、まだ特定の女は選んでないぜ」


 叫ぶように言って、ベルトルドは勢いよく立つ。


「もっとおっぱいが、バインバインの女が俺には似合うんだぜ!」


 立ち上がったリューディアの胸に、両手を押し付けむにゅっと揉んだ。まだ小さいが、とても柔らかな感触が掌に広がる。


「ちょっ! なにすんのよベル!!」

「ディアのおっぱいじゃ、まだまだだな!」

「こんのおおおベルっ!!」


 顔を真っ赤にして、握り拳を作ったリューディアは、逃げていくベルトルドの後を全力で追いかけた。

 そう、自分とリューディアの関係は、これでいい。


(仲のいい姉弟のような、こんな関係でいいんだ)


 自分には選べない。リューディアをとるか、アルカネットをとるか。

 どちらも大切な存在だから。

 この時ベルトルドは、自分の想いを胸に仕舞い、リューディアとアルカネットの行く末を、そっと見守ろうと決意していた。

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