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133話:リュリュの秘密兵器

* * *


 生まれ落ちてすぐに両親から捨てられたから、親ってどんな存在なのか知らない。

 ハーツイーズのアパートに住んでいた時、優しくしてくれた”おばちゃんず”みたいな感じなのかもしれないけど、でもアタシの親じゃない。

 ギルドのホーカンも似たような感じだったけど、でも親じゃない。

 みんな優しくしてくれても、アタシの親じゃないの…。

 でもね、ベルトルドさんとアルカネットさんは違った。

 まるでお父さんたちみたいなの。

 アタシのよく知らない”父親”って感じ。

 出会った時からずっと優しかった。誰よりも優しくて、一緒にいるだけで心から安心できた。いっぱい甘えさせてくれて、贅沢もたくさんさせてくれた。

 アタシのこと一番に考えてくれて、大怪我をしたとき命を救ってくれた。

 片翼なのに受け入れてくれた。認めてくれた。愛してるって言ってくれた。心の中が温かくて、昔の辛かったことがいっぺんに吹き飛んじゃうくらい優しい時間だった。

 一緒に居ると嘘みたいに幸せだった。本物のお父さんみたいに感じてた。

 大好き。2人のことがとっても大好きなの。

 なのに…あんなに優しくしてくれたのに、どうして? どうしてこんなに酷いことをするの?

 アタシが何をしたの?

 アルケラの巫女だから? だから酷いことをするの?

 リューディアが死んじゃったの、アタシのせいなの? アタシが悪いの?

 神様たちが憎いから、許せないから、でもなんでアタシに酷いことをするの…もうアタシのことなんて、嫌いになっちゃったの?


 痛い、痛い、痛い…


 怖い、怖い、怖い…


 悲しい、悲しい、悲しい…


 身体中が痛い、苦しい、辛い、気持ち悪い。

 心も痛くて痛くて粉々になりそう。

 そして…ごめんねメルヴィン、汚れちゃったの…汚されちゃったの。ごめんね…ごめんなさい、ごめんなさい…


* * *




 神の巫女おとめは汚された。


「これで、ようやく神の元へ行けるのですね。もうすぐですよ、リューディア。あなたの仇を、私が必ず討ちます」


 31年前のあの無残な光景を思い出し、アルカネットは冷え冷えとした目をキュッリッキに向けた。

 苦悶の表情を浮かべ、涙を流すアルケラの巫女を、侮蔑と憎悪を込めて見つめる。

 復讐するために利用するアルケラの巫女が、リューディアと同じ顔をしていることが許せない。出来ることなら、この手で顔も傷だらけにし、滅茶苦茶に辱めてやりたかった。あんなふうに優しく抱いてやる必要なんてないのだ。尊厳も全て踏みにじればいい。

 一時”別人格ペルソナ”のせいで愛しているなどと口走ってしまったこともあった。大切に優しく接してしまった。そのことは今のアルカネットにとって、深い後悔と切り離したい忌々しい思い出となっていた。

 リューディアを殺害した神が愛する巫女、そんなものはこの世に存在してはならない。

 憎悪と復讐の対象でしかないのだ。


「そろそろ終わりですかね」


 ベルトルドたちの様子を見て、アルカネットは組んでいた腕を解いた。




「お疲れ様でした。随分とはげみましたね、いつ終わるのかと心配になりましたよ」


 嫌味を言いながら、アルカネットは床に散らばるベルトルドの服を拾い上げて差し出す。

 ぐったりとするキュッリッキの身体から離れると、ベルトルドは立ち上がって服を受け取った。

 満足を得たはずなのに、ベルトルドの顔は不機嫌と虚しさを貼り付けていた。


「リッキーにドレスを着せてやってくれ」

「別にこのままでもいいじゃないですか? どうせレディトゥス・システムに入れてしまえば関係ありませんし」

「いいから着せろ」


 ジロリと険しい目を向けられ、アルカネットはわざとらしく肩をすくめた。


「判りました」




 ドレスを着せられている間も、キュッリッキはぴくりとも動かなかった。超能力サイで押さえつけられていた感触はすでになくなっていたが、もう身体を動かすことも面倒になっている。

 何もかも、どうでもよくなっていたからだ。

 このまま復讐の道具にされようと、命を取られようと、好きにすればいい。そう投げやりな気分だった。


「あなたも、つくづく幸せとは縁のない人ですね」


 耳元で囁くように、アルカネットが言う。


「もうベルトルドのものになったのです。メルヴィンを裏切ってまで、生きていてもしょうがないでしょう?」


 笑い含む声がキュッリッキの心を深く抉った。

 そう、裏切ったのだ。

 メルヴィンという大事な人がいるのに、ほかの男ベルトルドに身体を与えてしまった。許してしまった。命がけで抵抗するべきだったのに出来なかった。


「彼のような生真面目な男は、汚れたあなたを寄せ付けないでしょうね」


 ククッと嘲笑うと、アルカネットは立ち上がった。


(汚れた…汚れちゃったから……もう……)


 もう、メルヴィンに合わせる顔もない。メルヴィンの前に立つ資格もない。


(メルヴィンと恋人じゃいられない。裏切ったアタシのことは、きっと嫌いになっちゃうんだ)


 アルカネットの言葉に畳み掛けられるように、キュッリッキの心は深淵の暗闇に堕ちていった。




 自分で軍服を着たベルトルドを見て、アルカネットは目を丸くしてため息をついた。寝起きに慌てて適当に服を身につけた、といった表現がぴったりの着崩れ方だった。


「いい加減きっちり一人で着られるようになりませんかね…」

「……鏡がないんだからしょうがないだろう」

「あっても着られないでしょう。ほら」


 長年の習性で、バランス悪く着込んだベルトルドの服を整えてしまう。「小さな子供でも、もうちょっとマシに着るでしょう」と小言も忘れない。

 直してもらいながら、ベルトルドは拗ねたように口を尖らせる。


「どうせ、もう着替えもこれで終わりだろ」

「そうでしょうね」


 アルカネットに綺麗に整え直してもらい、ベルトルドは子供のように無邪気に笑んだ。神の前に行くのだから、せめて服装くらい整えておかないと失礼にあたるだろう。

 神とは超常の存在だ。キュッリッキが召喚してみせた、アルケラの住人たちの力を見れば明らかだ。そんな存在に喧嘩を吹っ掛けるのだから、無事では済むまい。

 それが判っていても、先へ進むことを止めるわけにはいかない。

 もうアルケラの巫女キュッリッキを汚したのだから。


「さて…、行こうか」


 ベルトルドは微動だにせずソファに横たわるキュッリッキの傍らに膝をつくと、そっと腕に抱き上げた。体重を殆ど感じさせないほど軽い少女は、凍ったようにピクリとも動かない。ベルトルドを見ようともせず、虚ろな目を空に彷徨わせているだけだった。


「すまん、リッキー……」


 閉じられたままの唇に、そっと口付ける。それにも動かない涙で濡らした美しい顔は、絶望という色で塗り込められていた。



* * *



 ライオン傭兵団はダエヴァの用意した幌付きの大きな荷馬車に、リュリュとともに乗り込んだ。そして火災で地獄絵図のようになった皇都イララクスの街街を突っ切り、ハーメンリンナの中へ入る。

 馬車などの専用地下通路を通り、迅速に目的地へと向かう。

 その車中、リュリュから聞かされたベルトルド、アルカネット、そしてリュリュの過去話に皆絶句した。しかしベルトルドとアルカネットの目的を知り、キュッリッキの身の上に起こることを聞いたときメルヴィンが激昂した。


「落ち着きなさい」


 リュリュに窘められるが、メルヴィンの怒りはますます高まるばかりだ。

 ギャリーとガエルが2人がかりで押さえ込む必要があるほど、メルヴィンの力は強く、リュリュに掴みかかりそうだった。


「なんで、なんでリッキーが!」


 険しいメルヴィンの目を真っ向から見据え、リュリュは口を開く。


「小娘がアルケラの巫女だからよ。1万年前と今とでは、役割のようなものが全然違うようだけど。でも間違いなく小娘がアルケラの巫女」


 リュリュは深々とため息をつく。フェンリルと召喚の力がその証拠、と付け加える。


「1万年前、神王国ソレル最後の王クレメッティが見つけた神々の世界アルケラへ至る道は、アタシたちが知る月、すなわちアルケラの門を通って行くことなの。でもアルケラの門には神の結界が張ってあるわ。そのことは1万年前に科学者たちによって解明されている。――かつて神と人間は、ともにこの世界で生きていたけれど、ある日を境に神々は自分たちの世界へと帰り、この世界は人間たちに委ねられた。でも神々は人間との接点を持っていたくて月に門を作り、地上には巫女を置いた。気まぐれの奇跡を通せる門と、言葉を伝えるための巫女。巫女はそれだけじゃなく、門を開くための鍵でもある。けど巫女が自ら門を開いて人間たちをアルケラへ案内するわけ無いでしょ。だからクレメッティは思いついたの。巫女から神聖を奪い、不浄の穢に染めて門へぶつけてしまえばいいと、ね」

「ひでえ…」


 胸くそが悪いと顔に書いて、ザカリーは忌々しげに吐き捨てた。


「全くだわ。でもその発想自体は有効だったのよ。神聖な結界の効力を無力化するにはそれしか方法がないの。それに巫女を使って神々の世界へ迷子にならずに行くための方法も見つけ出した。それがレディトゥス・システム。巫女はその眼でアルケラを視るでしょう、その力をシステムに取り込んで船を案内させるもの。しょうもないことは本当に色々思いつくものね人間って。そしてそんな思いつきを形にできるだけの技術力だのがあったのが、1万年前の世界」


 馬車のあちこちからため息がもれた。


「でもぉ、巫女が処女じゃなくなったらあ、巫女としての力とかってぇ失っちゃうんじゃない?」


 首をかしげて話を聞いていたマリオンが、ボソリと呟く。


「前例があったのよ。何代か前の巫女が好いた男と関係を持って、処女を失っていたけど役目を全うしたってね」

「そんな前例作るなよ……」


 ルーファスがゲッソリとツッコんだ。


「ホントにねえ…。まあそんな前例のおかげで、躊躇いなんてものはなかったのね」

「きっと、巫女にも恋愛の自由を与えていたのでしょう、神は。腫れ物のように扱われるだけじゃなく、本当に想い合う相手と時間を共有できるように」


 真剣な顔で言ったブルニタルを、皆驚いたように見つめていた。


「な、なんですか!?」


 メガネを押し上げながら、ブルニタルは肩をそびやかした。


「いや、ブルニタルの口からそんな言葉が出てくるのが驚きってゆーか…」

「恋愛とか、似合わねー!」


 ザカリーとヴァルトに言われて、ブルニタルは怒って尻尾を逆立てた。


「確かに、似合わないわね」

「にゃっ」


 リュリュにまで言われて、ブルニタルはシュンッと項垂れた。その肩をペルラが無言で慰める。


「まあ、そんな酷い方法で神々の元へ行くためにフリングホルニは作られたわ。どのくらいの旅程になるか判らないから、船の中にはあらゆる設備が設けられ、小国がまるごと移築されたようなものね。あれが足りない、これを増やそう、そんなことやっていたから、船の規模がモナルダ大陸の3分の1の大きさになっちゃって。別の場所で作られていたレディトゥス・システムだけは、設置される前にユリディスの抵抗にあって結界が張られ手出しができなくなり、フェンリルの大暴走で船は飛び立つこともなく地中に埋まってしまったの」

「でもよ、地中に埋まってたエルアーラ遺跡…フリングホルニを、御大たちはどうやって知ることになったんで? それが見つからなきゃキューリに手出ししなかっただろ」


 ギャリーの言うことに、ルーファスも頷く。


「シ・アティウスとの出会いね。あのエロメガネはアルケラのことに関するフィールドワークをしてたから。世界中を歩き回って、些細な痕跡も何もかも調べまくってたわ。そのおかげでベルの計画も加速したってわけ。もっとも、小娘を道具のように扱うことだけには反対していたようだけど」

「じゃあ、キューリさんを助けてくれてるかも?」


 シビルが身を乗り出して言うと、リュリュは首を横に振った。


「コキ使われてるでしょうね。――シ・アティウスにも夢があるのよ。フィールドワークで得た全てを後世に遺して語り継ぐっていうね。彼はアルケラのことがなんでも知りたいの。どんな小さな情報でも全て。だからベルたちに協力しているの」

「そんなあ……」

「でも、あーたたちの助けにはなると思うわ」


 瞬時に「え!?」という空気が車内に満ちる。


「確約は出来ないけど、たぶん、助けてくれるはずよ」




「リュリュ様、そろそろ到着します」


 馬車を操っていたパウリが、にこやかに告げる。


「判ったわ」


 パウリに返事をして、リュリュは一同を見回す。


「フリングホルニの発進には間に合わないでしょうから、直接中へ飛ぶわよ」

「そんなことできるのか!?」


 思わず立ち上がってザカリーが叫ぶと、リュリュはニッコリと笑う。


「このハーメンリンナにはフリングホルニ直通エグザイル・システムがあるの。当然公には出来ないから、極一部の人間しか知らないことだけどねん」


 以前、エルアーラ遺跡を目指し、面倒な旅をした時のことが走馬灯のように脳裏に流れていく。


 ――だったらそこ使わせろよ最初から。身内だろ、俺たち?


 そう、皆の表情に心の声が露骨に浮き上がっていた。




(ねえ、ねえ、メルヴィン)


 突然、メルヴィンの頭の中に、無邪気な子供のような声が響く。


「え?」


 思わず声に出し、不思議そうに皆に見られて、慌てて首を振る。


(え、えっと……)

(ボクだよボク~。ここ、ここ)


 所狭しと座るメルヴィンの脚の真ん中に、ちょこんと座り込んでいるフローズヴィトニルだった。

 ベルトルドの雷霆ケラウノスの攻撃から、巨大な狼の姿で皆を守ったフローズヴィトニルは、今は普段の仔犬姿になって一緒についてきている。

 まじまじと見つめるメルヴィンに、フローズヴィトニルはフサフサと元気よく尻尾を振った。


(あのね、ここからだとフェンリルの声がぜーんぜん聞こえてこないんだ。だから、船に着いたら一緒に探してくれる?)

(……探すのは構いませんが、リッキーを先に見つけてからです)

(うん、それでもいいよ。どのみちキュッリッキがいないと、ボクたち自由に力を使えないからね~)

(そうですか……)


 これだけ事態は切迫しているというのに、どこか能天気な雰囲気を漂わせるフローズヴィトニルを、メルヴィンは少々イラついて見つめた。

 キュッリッキを守るために途中から居着いたフローズヴィトニルだが、フェンリルと違って随分と人懐っこかった。それに常に彼女の傍らに居るわけでもなく、食べ物を欲して界隈を一匹でうろついたり、ライオンの仲間たちと遊んだりしている。

 今もキュッリッキの身の上を心配するどころか、フェンリルのことを最優先に発言している。


(キュッリッキも気になるけど、キミたちが助けるからそこはあんまり心配してないよ。でもフェンリルはボクの分身だから、返事がないのがとっても不安なんだ。死んじゃいないと思うけどね)


 氷結のような瞳が、まっすぐメルヴィンを見据える。


(遠い遠い昔、ボクとフェンリルは一つだったんだ。けど、いつの間にか二つになってて、そのうちティワズ様の命令でフェンリルだけは巫女の守護の役目を言い渡されて、人間の世界へいっちゃったんだ~。勝手に人間の世界へ行っちゃダメだから、キュッリッキが呼んでくれて嬉しかったよ。だって、これまでの巫女たちって、誰もボクを見つけてくれなかったんだもん)


 やれやれ、といった仕草でフローズヴィトニルは首を振る。


(だからキュッリッキのことは大好きだけど、キュッリッキが助けて欲しいって叫び願ってるのは、キミだよメルヴィン。ずっとずっと、あのはメルヴィンばっかり呼んでる。一番頼りになるボクたちより役立たずのメルヴィンを呼んでるから、ボクはちょっと拗ねてるんだもんね)


 ツーンとそっぽを向いて、フローズヴィトニルは尻尾をぱた、ぱた、と不機嫌そうに振る。


 ――キュッリッキが助けて欲しいって願ってるのは、キミだよメルヴィン。


 この言葉は、メルヴィンの耳に痛かった。

 酷い目に遭っているだろうキュッリッキのことを思うと、今すぐ飛んでいってやりたい。救い出さねばと心が焦る。それと同時に、あの時アジトでベルトルドの一撃で意識を失ってしまったことが、心底悔やまれてならない。そのために助けることができなかったのだ。


(そばで必ず守ると誓ったのにもかかわらず、少しも守れていないではないか!)


 格好のいいことを言っておいて、肝心な時に何もしてやれていない。それなのに、こんな自分を一番の頼りにしているという。


(リッキー…)


 彼女に何もしてやれていない今の自分が、猛烈に情けなかった。

 フローズヴィトニルのことを、身勝手だと思ってしまったことを恥じた。こんなにイラつくのも、全て自分がキュッリッキを守りきれていないことへの憤りの裏返しだ。フローズヴィトニルへ八つ当たりをしているに過ぎない。

 自分にとってかけがえのないキュッリッキを案じることと、フローズヴィトニルが自らの分身であるフェンリルを案じる気持ちは同じなのだから。

 そう反省しながらも、キュッリッキを探し、救い出す方が最優先なのは変わらない。


(ふふっ、人間ってオモシロイなあ。いいよ、キュッリッキが先で。そのほうが見つけやすいだろうしね)


 フローズヴィトニルは頓着なく言って、コロンっと丸くなってひっくり返り、お腹を見せて愛嬌をたっぷり振りまいた。隣に座っているガエルが、フローズヴィトニルのお腹を指先でつついて相手をする。

 そんなフローズヴィトニルの様子を見て、


(よっぽど神のほうが、面白いと思いますよ……)


 そう、疲れたように胸中で呟いた。




 リュリュに連れてこられたのは、アルケラ研究機関ケレヴィルの本部だった。

 ライオン傭兵団の誰もが、ここへは来たことがない。

 研究機関などというから、てっきり軍本部や関連研究施設と似たようなものを想像していた彼らは、貴族の屋敷と変わらない外観に目を丸くしていた。このあたりの反応はキュッリッキと差がない。

 中へ入ると、地下へ続く階段を下りていく。


「フリングホルニの内部は、ブルニタルに立体映像型地図を渡してあるからナビゲートしてもらいなさい。もっとも、向こうから迎えに来てくれるでしょうけど」

「こなくていいっす……」


 ゲソッとギャリーが言うと、「だらしがなわいねえ」とリュリュが笑う。


「小娘は動力部のレディトゥス・システムの中に囚われているわ。そこはきっとベルが死守しているでしょうね。小娘をレディトゥス・システムから抜き出すと、船は月を通れなくなる。船の中に小娘がいるという状態ではダメなの。システムと連動させてはじめて船は不浄の鍵と一体となって月を通れるから。――いいこと、殺す気でぶつかりなさい」

「その……いいんですかぃ? 殺すことになっても」


 遠慮がちに言うギャリーに、リュリュは笑顔を向ける。


「二人は計画が成功して、神の元へたどり着いても死ぬ気。計画が阻止されても成功させるまで歩みを止める気はナシ。アルカネットは31年前に壊れちゃってるし、ベルはそんなアルカネットに支配されて死に場所を求めているわ。小娘を本気で愛しちゃってるくせに、裏切り傷つけたりしてもね…。31年という歳月は本当に長かったわ。もう、解放してあげて。そして姉さんの呪縛から解き放ってあげて」


 リュリュの話からしか判らないが、リューディアという女性を奪われて、31年という長い歳月をかけてまで復讐に及ぼうとしている2人の気持ちを思うと、やるせないと彼らは思った。

 一体どんな気持ちで生きてきたのだろう。

 一人の少女の死が、ここまで彼らの人生を狂わせることになったのだ。


「でも」


 メルヴィンが口を開く。


「リッキーを犠牲にしていい理由にはなりません。生まれてきてずっと辛い思いばかりを味わい続けてきたリッキーが、2人の復讐の道具にされるなんて絶対に認めません。親のように慕っていた2人に裏切られて、今頃どれほど傷ついているか…。オレは2人を解放するとか、そんな事のために向かうんじゃない。リッキーを助けるためだけに行きます。そのために2人を殺す事になるなら躊躇いません」


 真剣な眼差しをするメルヴィンに、リュリュは頷いた。


「それでいいわ。あーたは小娘のために戦いなさい。結果的に、それがベルを救うためにもなるんですもの」


 リュリュは目の前の大きな扉を押し開く。

 真っ白でシンプルな室内の真ん中に、よく見慣れたエグザイル・システムがあった。しかし、台座の地図が違っている。


「台座に突起が3つあるでしょ。フリングホルニにはエグザイル・システムが3つあるんだけど、こっからはその3箇所のどれかに飛べるようになっているわ。小娘の囚われている動力部へは、この突起スイッチを押して飛びなさい。一番近い場所に飛ぶから」

「はい」


 ブルニタルが立体地図を見ながら、位置を確認する。


「以前あーたたちを追い掛け回したエンカウンター・グルヴェイグ・システムは、たぶん機能停止したまま復活はさせてない筈。だから迷子になっても、もうあれは発動しないと思うわ」

「た…助かります…」


 あの時の悪夢を思い出し、ルーファスが疲れたように薄く笑った。


「迷子にならないように、ちゃんとナビゲートします!」


 尻尾を逆立てて、ブルニタルが叫んだ。


「そうしてちょーだい」


 台座の上にライオン傭兵団全員が乗ったのを見て、リュリュはにっこり微笑んだ。


「あれ、リュリュさんは一緒に行かないんですか?」


 カーティスが怪訝そうに見ると、リュリュは頷いた。


「アタシはこれからダエヴァを指揮して皇都の面倒を見なくちゃならないの。ベルがあんだけ派手にぶっ壊してくれたから、仕事が一気に増えちゃって大変なのよ」


 副宰相職を辞したベルトルド、そのベルトルドの秘書官をしていたリュリュは、現在ダエヴァの総括監になっていた。


「ベルとアルのばら撒いたご迷惑を、最後に掃除して綺麗にするのがアタシのお仕事。皇王様と連携して、今後やっていくことになるわね」


 リュリュの表情かおに浮かんだ悲しげな笑みを見て、みんなようやく思い至れた。

 リューディアの死に振り回されたのは、なにもベルトルドとアルカネットだけじゃない。リュリュもまた、姉の死によって人生を狂わされたのだ。

 姉の死で家族関係も崩壊し、今は仕送りをするくらいしかしていないらしい。そして、ベルトルドとアルカネットの2人とその後を共にしながら、復讐を諦めるように説得し、邪魔を続けてきた。

 もしかしたら、一番辛い立場にいるのかもしれなかった。


「ベルトルドとアルカネットをお願いね。そして、小娘を助け出してきなさい」


 亡き姉と同じ顔をするキュッリッキを、今までどんな気持ちで見てきたのだろう。想像を絶するほどの想いがあったのかもしれない。それは、あの2人にしても同じだった。


「必ず」


 胸元の爪竜刀を握り締め、メルヴィンは深く頷いた。


(一刻も早く助け出す! 待っててね、リッキー)


「さあ、行きましょう」

「おう!」


 気合のこもった彼らの声が室内に大きく轟く。それを頼もしそうにみやって、リュリュは優しい笑顔を彼らに向けた。

 カーティスは動力部のもっとも近いエグザイル・システムに飛ぶべく、その場所の突起スイッチを踏んだ。

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