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135話:ブルーベル将軍の見送り

 季節は秋に移り変わり、夜風もどことなく冷気を帯び始め、空気の澄んだ夜空を見上げながら、ヴィヒトリは大あくびした。

 与えられている船室は狭くて息苦しく、とくにすることもないので甲板に出ている。

 こんな時、酒でも飲めたらなあ、とヴィヒトリは思った。

 いつ急患が運び込まれてくるか判らないため、常日頃酒とは無縁の生活を送っている。たとえ勤務時間が終わっていようと、連絡をもらえばすぐ駆けつけるためだ。

 病人や怪我人は、ヴィヒトリにとって、最高の酒よりもはるかに酔わせてくれる、大切な患者なのだ。

 最新の医療技術を学び、世界最高峰の医者と言われているが、病気も進化を続け、困難な怪我もまた突拍子に起こる。

 初夏に受け持った、キュッリッキという少女の、悲惨な大怪我のように。

 常に患者と向き合っていてこそ、自らの技術も向上するのだ。


「すみませんねえ、居心地の悪い思いをさせて」


 穏やかな口調が近づいてきて、ヴィヒトリは首を後ろにめぐらせる。

 薄明かりの中でもはっきりと判る、白い毛並みがフカフカと温かそうで、思わず抱きつきたくなるようなブルーベル将軍だった。


「退屈しているようですね」


 好々爺な笑みを浮かべ、ブルーベル将軍はヴィヒトリの横に腰を下ろす。


「んー、まあ、医者が暇なのはイイことですよ」

「そうですねえ。本当に、そう思います」


 うんうん、と頷きながら、ブルーベル将軍は夜空を見上げる。


「大陸の人たちの避難は、全て完了してるんですか?」

「おそらくは。早い段階で閣下から――ベルトルド卿から、避難させるよう指示が出ていたので、エグザイル・システムや船を使って、ほかの大陸や島などに避難しているはずです」


 ここ数日、モナルダ大陸の人々を、取るものも取り敢えず避難させた。理由を求め応じない人々には、問答無用で攫うようにして避難させた。

 それはもう、どんな軍事行動よりも困難で、ハワドウレ皇国の正規部隊はてんやわんやだった。

 ブルーベル将軍がベルトルドとアルカネットの計画を知らされたのは、数ヶ月ほど前になる。


「俺たちは、神に復讐するために、これまで生きてきた」


 そう切り出したベルトルドを、ブルーベル将軍は目を瞬かせて見つめた。そして、復讐に至る経緯も全て聞かされた。その上で、これから計画を実行に移すから、協力して欲しいと頼まれた。

 それは、キュッリッキの存在が、引き金となったのだ。

 彼女が現れて、ベルトルドとアルカネットの計画は、実行に移す段階にまで一気に進んでいた。さらに、ソレル王国ナルバ山の遺跡でレディトゥス・システムが見つかり、あとはもう仕上げをするだけになった。

 美しく、無邪気で、愛らしいあの召喚士の少女の笑顔が、今でも忘れられない。初めて出会ったとき、ぬいぐるみのようだと抱きついてきて驚いたが、アイオン族だというのに、トゥーリ族の自分にあれだけ親愛の情を向けてくることに感動したものだ。本来アイオン族とは、気位が高く、他種族に好意を見せることなど皆無に等しいからだ。

 協力を約束した時点で、計画も全て聞かされている。だから、キュッリッキが復讐の道具にされることも知っていた。

 必要不可欠とはいえ、キュッリッキの笑顔を思い出すと、深い悔恨の念にとらわれ胸が痛む。

 そしてこの計画には、キュッリッキという大きな犠牲を払うが、それ以外にも犠牲は多くなる。

 それは、このモナルダ大陸だ。

 1万年前に造られたという、超巨大船が地中に埋まっており、それを復活させることで、この大陸は半壊するだろ。そう、告げられた時にはさすがに計画を思いとどまらせようと思ったのだ。


「大陸の崩壊は免れないだろう。だが、早めに人々を避難させることはできる。俺たちが船を発進させるまでに、将軍には避難作戦の指揮をお願いしたい」


 ベルトルドは避難指示書を詳細に作り上げており、そのための下準備も全てしていた。ブルーベル将軍は、その指示書に従い、部下たちを指揮するだけでよかった。

 避難先での生活の保証、受け入れ先の準備、その他細々したことまで、見事としか言い様がないほど準備が整っている。

 自らの多忙の合間をぬって、綿密に計画し、準備を進めていたのだろう。

 こうまでして成さねばならない復讐とは、ベルトルドたちにとって、どれだけ重要なことなのだろうか。

 愛する者を奪われ、愛する者を犠牲にし、そうまでして成さねばならぬのかと。

 これなら、世界征服でも言い出してくれた方がよほど良かった。


「どうしました将軍?」


 いきなり黙り込んだブルーベル将軍を、ヴィヒトリは怪訝そうに見上げた。


「ちょっと色々と、思い出していました」

「ふむ」


 甥が所属するライオン傭兵団にいる、ヴァルトという格闘家の弟のヴィヒトリ。とても優秀な医者であり、ベルトルドやキュッリッキとも深く関わった人物である。

 現場では落ち着いた医療行為はできないだろう。そのため、優秀な医者の腕が必要となる。

 この数日、避難作戦での負傷者などを、迅速に手当して回っていた手腕は見事だった。

 今はこうして落ち着いているが、ベルトルドがフリングホルニを発進させたら、新たな被害で怪我をする人々も現れるだろう。

 なぜなら、大陸を半壊させるほどの規模なら、間違いなく世界中に何かしらの影響が轟き渡るだろうから。そのためにも、現場にヴィヒトリは不可欠だった。

 暫く二人は、無言で空を見上げていた。


「ん?」


 いきなり船が大きく揺れて、ヴィヒトリはメガネを押し上げると、大陸の方へ目を向ける。

 その瞬間、耳をつんざくような爆音が響いて、ヴィヒトリは慌てて耳を塞いだ。


「どうやら、始まったようですね」


 ブルーベル将軍は立ち上がり、よろめいて倒れそうになるヴィヒトリを掴んだ。


「船の中へ入りましょう。このままでは、海に放り投げられてしまいます」

「そうしまーす!」


 左右上下に不規則に揺れる甲板を、ブルーベル将軍に支えられながら、ヴィヒトリは慌てて船内へ逃げ込んだ。


「しょ、しょーぐーん!!」


 今にも転がりそうなハギが、必死に壁伝いに歩いてきた。


「艦橋へ行きましょう。予想以上に酷くなりそうです」

「こんな酷い揺れは初めてです! 転覆しないか不安になってきましたよぉ」

「ほっほっほっ。なあに、これは潜水艦ですから、まあ、大丈夫でしょう」


 顔をしかめるハギとヴィヒトリに、ブルーベル将軍はにっこりと笑ってみせた。




 それは、深夜のことだった。

 大陸には光がなく、地上は不気味な暗闇が支配している。

 ズンッ、という音が大陸全土から鳴った。そしてその直後、ズズズズッと地鳴りがあり、何かが爆発したような音が轟いた。

 砂塵が巻き上がり、樹木が倒れ、眠りから起こされた鳥たちが、慌てて空へ逃げ飛び立った。

 大気が震撼し、大陸全土に大きな地震が起こる。

 地面には巨大な亀裂がいく筋も走り、建物は亀裂に飲み込まれて崩れ落ちた。そして、ボコボコと地下水が地面に膨れ上がり、やがて勢いよく噴射する。

 街や村は瞬く間に壊滅し、地震は一向に止む気配がない。

 大陸の地震の振動は海にも広がり、海岸沿いに大津波が押し寄せた。

 ハワドウレ皇国軍の潜水艦は3隻待機していたが、津波に押し流されて、大陸に乗り上げそうである。


「いやはや、大災害ですねえ」


 ブルーベル将軍はシートに座りながらも、激しすぎる揺れに身体が固定されず、巨体がシートを離れて飛ぶんじゃないかと、ハギはヒヤヒヤとブルーベル将軍を見ていた。


「いつこの、揺れっは、おさまま、るんです、かね、え?」


 まともに喋ることもできず、ヴィヒトリはメガネを抑えながら唸った。


「舌を噛みますから、閉じていたほうがいいですよ。この揺れで、船内にも怪我人が続出しているでしょうし、先生が先に怪我をしたら大変ですからねえ」


 これだけ激しい揺れの中で、何故普段通りの温厚な口調で喋れるのか、ヴィヒトリは不思議でたまらなかった。

 荒れ狂う海の中で、頼りなく揉まれるだけの潜水艦は、この驚異にじっと耐えることしかできなかった。




 あらゆるものを地中に飲み込みながら、それは、ようやく地上に姿を現した。

 船首で地面を突き抜けるように滑り出したのは、白く光り輝く超巨大な帆船だった。

 ステイセイルと5本のマストを立て、船体表面には窓もなく、ツルッとした光沢に覆われていた。そして捻ったデザインのシンプルな船首は大きく長く突き出し、一角獣の角を思わせるような黄金で出来ている。

 真っ暗な闇の中に、小さな太陽のような光を放つその優美な姿を、誰も見ることができなかった。

 船が地上に踊りだす余波を受けて、モナルダ大陸は崩壊の危機に直面し、その影響で遠く離れている各大陸や島国にも被害が及んでいたからだ。

 この帆船が目覚めたことで、惑星ヒイシは天変地異に見舞われている有様である。

 帆船は船首を空に向けながら、ゆっくりと浮上し始めた。そして藍色の空に浮かぶ月に進路を取ると、ゆるやかなスピードでまっすぐ飛び立ち始めた。




 やがて激しい揺れはおさまりはじめ、潜水艦の艦橋ではあらゆる怒号が飛び交っていた。

 あの凄まじい揺れのせいで、船体のあちこちに被害を受け、船内には負傷者が続出した。


「さあ、ヴィヒトリ先生の出番ですよ」


 部下たちの報告を受け、指示を出しながら、目を回しているヴィヒトリに、ブルーベル将軍は笑顔を向ける。


「酔いが突き抜けると、こんなハイな気分になるんですかねー……気持ち悪っ」


 口を手で押さえながら、ヴィヒトリは嘔吐しそうになっていた。


「さすがに私も、あんな揺れは初体験です。落ち着いてきたということは、フリングホルニは飛び立ったのでしょうね」

「今からでも、どんなものか、見えるかなあ?」


 吐き気に襲われながらも、ふとヴィヒトリはこの揺れの原因が気になった。


「そうですねえ、艦を浮上させ、危険を承知で見に行ってみましょうか」


 実はブルーベル将軍が一番フリングホルニを見てみたいのだ。そのため、部下たちに無理を言って艦を上げてもらう。

 潜水艦は浮上すると、いまだ安定しない海面にゆらゆらと浮かんだ。

 激しく揺れる船内をフラフラ歩き、ブルーベル将軍とハギとヴィヒトリの3人は、周りが止めるのも聞かず甲板へ出た。


「おお」


 真っ先に出たブルーベル将軍は、飛び立っていく巨大な帆船を目の当たりにして感嘆の声を漏らした。


「あれが、1万年前に造られたというフリングホルニですか。美しいですねえ、まるで昼間のような明るさですよ」


 ハギとヴィヒトリも甲板に這い出ると、フリングホルニの荘厳な姿を目の当たりにして、声も出ず見入っていた。

 海の上ではなく、空を滑べる巨大な船。

 あまりにも大きすぎて、いつまでたっても小さくならず、空を進んでいるのか止まっているのか判別がつけにくかった。


「あの中に、今頃にーちゃんたち、いるのかなあ…」


 ヴィヒトリのつぶやきに、ブルーベル将軍は数日前にリュリュから言われたことを思い出していた。


「ベルの野望を阻止して、小娘を取り返すわ、必ずね」


 リュリュはベルトルドたちの仲間だと思っていた。神に殺されたのは、リュリュの姉だからだ。


「姉さんが、復讐なんて陳腐極まりないことを、望むわけ無いでしょ」


 本気で嫌そうに顔をしかめ、リュリュはうんざりしたように言った。


「神様に喧嘩売るなんて、端っから無謀なことよ。――姉さんが望むことがあるとすれば、それは、アタシたちが幸せに生きることなんだから」


 リューディアという女性のことを知らないが、ブルーベル将軍もその通りだと思っている。


「アタシはね、ベルのことが大好き。幼馴染の腐れ縁でアルもちょっとだけ。そして姉さんと同じ顔をした、不幸の塊みたいなあの小娘も好きよ。だから、最後の最後までベルたちの邪魔をしてやるんだから。アタシを甘く見たことを、後悔させてやる」


 リュリュの奥の手、最後の手段、秘密兵器ライオン傭兵団。

 きっと今頃は、あの超巨大な船の中にいるのだろう。

 可愛い甥も一緒に。

 力を貸してやることはできないが、せめて彼らの帰る場所くらいは、確保してやらねばならない。


「さて、見送りもしたことですし、ワイ・メア大陸に戻りましょう。おそらく自然災害といった類の影響が、及んでいるかもしれません」

「ああ、ボク怪我人を見なくちゃ」


 ヴィヒトリは慌てて船内に戻っていった。

 その後ろ姿をニコニコと見つめ、ブルーベル将軍も船内に戻った。

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