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第六十二話 宦官(三)

 宦官かんがんの長・張譲ちょうじょうは自身の顎をつまみながら、新人と名乗る青年の挨拶を聞いていた。


「君はなかなか見どころがありそうだ。我らの仲間としてよく励みなさい。


 ところで君には何か得意なことがありますか?」


 張譲ちょうじょうからの問いかけに、青年は張り切って答えた。


「はい、私には学がございません。


 ですが、車馬の運転が出来ます」


 その答えに、張譲ちょうじょうは満足気に顎を高く上げて答えた。


「それは良い。


 車馬の運転が出来るなら、貴人を乗せることもあるでしょう。その時、覚え目出度ければ、名を売る好機もあるやもしれません」


「はい、頑張ります!」


 青年は張譲ちょうじょうの言葉に希望を見い出し、身を乗り出して力強く返事をした。


 張譲ちょうじょうは頷きながら、続けて段珪だんけいに尋ねた。


「それにしても、あなたが新人の案内とは殊勝なことですな」


 それに段珪だんけいは笑って答えた。


「いえいえ、手が空いておりましたもので。


 同じ種族として当然のことでございます」


 この段珪だんけいも例に漏れず、宦官かんがんというものは自分より強い者には尾を振り、媚びへつらって、迎合する性分であった。

 その一方で、女子供や小動物のようなか弱い者をかわいがる性分でもあった。例えば一見、非情に思える張譲ちょうじょうも、自身の奴隷をよくかわいがっていた。


 また、宦官かんがんは同じ宦官かんがんに対して強い仲間意識を持っていた。そのため、宦官かんがん張譲ちょうじょうに並ぶ幹部の段珪だんけい自らが、新人の案内を申し出たのである。


「さて、それではそろそろ⋯⋯」


 そう言って、段珪だんけいが新人を連れて行こうとした時、一人の男が大股でカッカッと音を立てて彼らの元に近づいてきた。


「これはこれはお歴々。お久しぶりでございます」


「お前は⋯⋯蹇碩けんせき⋯⋯!」


 張譲ちょうじょうたちの元に近づいてきたのは、同じ宦官かんがんではあるが、現在は軍部の上軍校尉じょうぐんこういを務める蹇碩けんせきであった。


 彼の年齢はまだ三十代ほどで若く、また、宦官かんがんにしてはたくましい肉体をしていた。そして、服装も武官の紅色の衣裳を着用していた。


 張譲ちょうじょうらは同じ宦官かんがんではあったが、この蹇碩けんせきに関してはあまり良い感情を持っていなかった。しかし、それは蹇碩けんせきもよく理解していた。


張常侍ちょうじょう、私も同じ宦官かんがんではございませぬか。そのような怪訝な顔をしないでください」


 そう語る蹇碩けんせきであったが、その言葉にはとげがあり、目は嘲笑っているかのようであった。


蹇碩けんせき⋯⋯いえ、蹇上軍けんせき


 あなたは最近、陛下れいていを連れ回しているようですが、陛下れいていには御公務があります。


 あまり、お疲れにならぬよう、臣下であるならばお気をつけなさい」


 張譲ちょうじょうの言い方は遠回しであったが、要は霊帝れいていの側近くにいるなという牽制であった。


 それがわかっている蹇碩けんせきは、張譲ちょうじょう相手に全く怯む様子を見せなかった。


「あれは陛下れいていからの御命令でございます。私は陛下れいていの命とあらばどこまでもついていく所存でございます」


 そう答える蹇碩けんせきに、張譲ちょうじょうはフンと鼻を鳴らす。蹇碩けんせきは気にする素振りも見せず、さらに得意気に話を続けた。


「それと、私はこの度、上軍のみならず、西園軍せいえんぐん全体の指揮を仰せつかりました。


 なので、これからは私のことは上軍ではなく、西園せいえんとでも呼んでもらいましょうか。


 蹇西園けんせいえん、良い名でしょう」


 そう言って蹇碩けんせきは不快な笑い声を上げる。当然、張譲ちょうじょうらはピクリとも笑わなかった。


 宦官かんがんも決して一枚岩ではなかった。張譲ちょうじょうらのグループが最大派閥ではあったが、それに属さない宦官かんがん、反発する宦官かんがんも少なからずいた。そして、反発する宦官かんがんの中で、今最も勢いのあるのが、この蹇碩けんせきであった。


 蹇碩けんせきは近頃、霊帝れいていお気に入りの寵臣であった。宦官かんがんでありながら、西園軍せいえんぐん上軍校尉じょうぐんこういに任命されたのでさえ、異例の昇進であった。それなのに、最近は西園軍せいえんぐん全体の指揮まで担い、今まさに絶頂期であった。


 張譲ちょうじょう趙忠ちょうちゅうらももちろん、霊帝れいていの寵臣であった。かつて、霊帝れいていは「張譲ちょうじょうは我が父、趙忠ちょうちゅうは我が母」と呼んだ。幼くして即位した霊帝れいていにとって、彼らはまさに両親に等しいほどの頼りになる存在であった。


 しかし、霊帝れいていも年を取って壮年になると、いつまでも保護者任せにせず、自らの手で政治を行いたいと思うようになる。そうなると、頼りにするのは、張譲ちょうじょう趙忠ちょうちゅうら親世代の保護者ではなく、同世代の友人である。それがまさに蹇碩けんせきであった。張譲ちょうじょうらと蹇碩けんせきの対立は、旧世代と新世代の対立であった。


 だが、双方の対立は世代間闘争だけに留まらなかった。


「そう言えば、声が聞こえましたが、この青年は新人だそうですね」


 蹇碩けんせきはさらに新人の方に目を向けた。


「しかも、車馬の運転が出来るとか。それは是非とも我が西園軍せいえんぐんに頂きたいですね」


 そう言って蹇碩けんせきは、新人の青年に近づいた。青年はどうして良いか分からず、ただ、オロオロとしていた。


 その間に段珪だんけいが入り込み、張譲ちょうじょう蹇碩けんせきの行状をたしなめた。


「既にその子は我らの部署に所属している。


 それをかすめ取るような真似はお止めなさい。


 軍部には軍部の人材が揃っているでしょう」


 睨みつける張譲ちょうじょうに対し、蹇碩けんせきはあくまでにこやかな表情で威圧的に答えた。


かすめ取るとは人聞きの悪い。


 私は陛下れいてい肝いりの我が西園軍せいえんぐんを強化しているだけでございますよ」


 しかし、張譲ちょうじょうはさらにより強い圧を蹇碩けんせきにかけた。


西園軍せいえんぐん西園軍せいえんぐんで塀を募っているでしょう。


 わざわざ宦官かんがんから採用することも無いでのではないですか」


 張譲ちょうじょうの一言により、一触即発の空気が流れた。


《続く》

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