何進が大将軍府に戻って、やり場のない怒りに震えている頃、張譲もまた怒りをぶち撒けていた。
「お前はなんと愚かな義息なのか!」
張譲の怒りの矛先は、彼の義息・張奉であった。彼は太医令として亡くなる寸前の霊帝の側近くにいた。だが、蹇碩の言われるがままに霊帝の側を離れ、その結果、蹇碩に有利な言質を取らてしまった。
「お前が陛下の御側を離れたばかりに、我らの史侯を即位させるという長年の計画が台無しだ!」
「申し訳ありません。義父上。
まさか、蹇碩があのような強攻策を取るとはわからず⋯⋯」
張譲の養子・張奉はひたすら頭を下げて謝り続けた。
「お前のような庸医を何のために養子にしてやったと思っているんだ。
今日この日に対応させるためなんだぞ!
我が家がより栄えるはずであったのに、お前という奴は⋯⋯」
宦官は男性機能を失っており、子を成すことが出来ない。そのため、その権勢は一代限りであった。だが、特に功績をあげた宦官は養子を取り、家を継がせることが認められていた。
張譲もまた養子を取ることを認められていた。彼は親戚にあたるこの奉を養子とした。
絶大な権勢を誇る張譲である。張譲の力を使えば息子を好きな土地の長官にすることは造作もないことであった。だが、張譲はそれをしなかった。彼を敢えて、地方長官より給料の安い太医令に就けた。
「前にも話したが、私は一族を何人も地方長官に任命させ、豊かにさせてきた。
野王県(現代の河南省沁陽市)の県令にしてやった私の弟の朔もまた放埒に治めておった」
張譲の弟・張朔は野王県令の時、貪欲で非道な政治を行い、欲望に任せて妊婦を殺すなどの残虐な行いをしたと伝わる。
「それを当時の司隷校尉の李膺に睨まれ、恐れた朔は私の邸宅まで逃げ込んだ。
だが、李膺は許さず、朔を捕らえて連れて行ってしまった。
私はこの事態を楽観視していた。陛下(この時の皇帝は霊帝の先代の桓帝)に直訴すればすぐに釈放される。そう考えていた。
しかし、私が陛下に直訴する間に、李膺はさっさと朔を処刑していた。いくら私が権力を握ろうとも、死んでしまった後ではどうしようもない」
李膺は当時を代表する名士であった。彼の厳格な態度は宦官たちを震え上がらせた。
しかし、張朔の一件からまもなく、宦官たちは復讐をする。党錮の禁を起こし、李膺ら邪魔な名士たちを役職から追放した。李膺への追求はこれだけに留まらず、後に二度目の党錮の禁に連座して、拷問の末に死去した。
「だから、お前を敢えて太医令に据えたのだ。
今の時代、三公(大臣最高位)に就いても実入りは良くない。
外に出て太守や県令になり、横領や収賄に励んだ方がよほど儲かる。
だが、お前は酒好きな上に、迂闊なところがある。お前を地方に出しても、名士の追求を受けるだけだ。場合によっては私の足を引っ張りかねない。
それならば太医令にして、人目のつかない奥にやってしまった方が良い。医者をやっていたお前には医術の心得もあったのもちょうど良かった」
そう言われ、張奉は恐縮する。
「だが、それで満足しては我が家の繁栄はない。
史侯さえ、史侯さえ即位すれば、我らは名士の追求も恐れずに好きにできたのだ!
そのためにお前の嫁として、中宮の妹を娶らせたのだ」
そう言い、張譲は張奉をキッと睨みつける。
「そうすればお前は好きな土地の長官になれたのだ!
そして、その土地で財産を築く。それで三公の地位を買う。三公は実入りは悪いが、なれば箔がつく。
そうすれば我が家は三公を輩出した名家として長く残るはずであった。それをお前は⋯⋯」
張譲は自身の家を自分一代で終わらせたくはなかった。自分の家を後漢の名家として未来永劫残したいと思っていた。
そして、それは決して夢物語ではなかった。
「故大長秋・曹騰(宦官で張譲らの先輩)の養子・曹嵩は先年、売官により太尉(三公の一つ)となった。
その長子・曹操は今は典軍校尉を務めている。その他多くの子弟も高官に就いている。
今や曹氏は名門のように振る舞っているが、その始まりはそもそも宦官なのだ!
我が家も曹氏に倣うのだ!
そのためにも史侯の即位は欠かせぬというのに⋯⋯」
烈火の如く怒る張譲の元に、彼の監奴(奴隷頭)の詹子応がおずおずと声を掛ける。
「張常侍、すみません。
大将軍がお話しがしたいと今訪ねてきております」
それを聞いて張譲は息を整えた。
「ふむ。大将軍が来たとあれば対応せねばなるまい。どうせ、葬儀のことであろう」
張譲は何進を迎え入れた。先程までご立腹であった張譲も、何進の話を聞き、笑顔を取り戻すことになる。
〜〜〜
張譲たちが霊帝の遺言で意気消沈していた頃、永楽宮(太后の住む宮殿)では我が世の春を謳歌していた。
「よくやりました蹇碩。
これであの肉屋の倅が皇位を穢すことはなくなりました」
椅子に優雅に腰をかける妙齢の女性。歳は六十ほどだろうか。長い髪は既に白く変わり、顔の皺は深く刻まれていたが、若い頃の美しさをまだ残していた。服も装飾も上質なものを身につけ、よりきらびやかさを際立たせていた。
彼女が霊帝の母・董太后である。彼女の立ち振る舞いは上品な老婆といった様子だ。だが、世間的には、霊帝に売官を勧め、自身も蓄財に励んだとして評判の悪い人物であった。
一方で彼女は、霊帝の第二子・劉協が母を失うと、幼い彼を養育し、その後ろ盾となった。度々、霊帝に劉協を皇太子にするよう勧めた。そのために、息子の嫁であり、第一子・劉弁の母である何皇后と対立した。
「陛下には、何度、協皇子の立太子を進言しても聞き入れられず、叶わぬことかと覚悟していました。
しかし、あなたの活躍のおかげで、協皇子を皇帝にすることができました。
あなたの働きに感謝します」
その言葉に、彼女の前で跪く一人の宦官がお礼を述べた。
「はっ、永楽太后のお役に立てて光栄でございます」
平伏する宦官の名は蹇碩。死の間際の霊帝に、後継者は劉協だと言わせ、遺詔まで用意した今回の件の立役者である。
「蹇上軍、あなたの働きに感謝しよう。
次の世になれば望みのままに褒美を取らせよう」
董太后の隣には一人の少年がおり、さらに左右に二人の男性が立っていた。先ほどの言葉は、左側に侍る男性から発せられた。
歳は蹇碩より一回りくらい上の四十過ぎほど。長い眉と豊かな髭を生やしている。服装こそ武冠に紅色の衣と、武官の出で立ちであった。だが、身体はあまり鍛えているようではなく、腹も少し出ていた。服装さえ変われば、武官と思われないような背格好の男であった。彼の腰には何進と同じ紫の綬が下げられていた。
彼は董太后の甥・董重、字は子累。
現在は何進の大将軍に次ぐ将軍位・驃騎将軍に就任している。言うなれば董氏の中心的な人物であった。
「ははー、ありがとうございます」
蹇碩は、董重の言葉に頭を下げて礼を述べた。
董太后はその様子を満足気に窺い、隣に座る一人のまだ幼い少年の方へと振り向いた。
「さあ、新帝陛下からも、かの功労者に何かお声がけをお願いします」
そう話を振られ、まだ幼いその少年は蹇碩の方へと振り向いた。歴史に大きく翻弄されることとなるこの少年の将来を、ここにいる皆は安泰と信じて疑っていなかった。
《続く》