蹇碩は怒りながらも、余裕な態度で何進らに食って掛かる。
「だが、あなた方がいくら口裏を合わせようとも、こちらには遺詔があるのをお忘れか!」
そう言うと、蹇碩は懐より遺詔を取り出し、その場で開いて彼らに披露した。この遺詔こそ彼のもう一つの切り札だ。二人が遺言に背こうとも、この遺詔は消えて無くならない。蹇碩はそう思っていた。
「ほら、この通り!
陛下の遺詔にはしっかと董侯を後継にすると書かれておりますぞ!」
蹇碩は興奮気味に、遺詔の中の『協』の字を指差した。
だが、何進は鼻息荒く、目を瞋らせて答えた。
「それのどこが遺詔か!
貴様はその蚯蚓の這ったような線が畏れ多くも御名とでも言うのか!
この不敬者!」
何進は自らの腰の剣を引き抜いた。そして、蹇碩が反応するよりも早く側に駆け寄って、彼の掲げる遺詔を真っ二つに切り裂いた。
その一撃で遺詔を繋げていた紐は切れ、結びつけられていた竹簡が床にバラバラと散らばっていった。
「な、何をなされるのか!」
蹇碩と董重は血相を変えて、床に散らばった竹簡をかき集めていく。
その様子を、何進や張譲らはせせら笑った。
「いいか、蹇碩よ!
そのような偽詔を我らは一切認めない!
これ以上、陛下の名を騙り、御遺言をねじ曲げようというのなら、貴様を処刑する!
わかったか!」
何進は蹇碩を怒鳴りつけると、そのまま一行を引き連れてその場を立ち去り、宮殿の奥へと進んでいった。
何進たち一行は霊帝の遺体が横たわる寝所へとやってきた。
何進や張譲らはここに来るだけで、あの霊帝の激烈な最期を思い起こす。そして、彼の荒馬のような積極果断な霊帝にはもう会えないのかと思い、感傷に浸った。
寝所の前には既に二人の男性が待機していた。三公(大臣最高位)のうちの司徒の丁宮、司空の劉弘の二人だ。彼らは何進たちの到着を待っていた。
なお、本来であればこの二人に加えて、太尉が同席するところである。だが、現在、太尉を務めている劉虞は遠く離れた幽州に赴任している最中であった。そのため、今回の葬儀には間に合わないということで、特例として太尉は欠席することとなった。
何進ら一行の中より、一人の女性が劉弁青年と共に前に進み出た。彼女は丁宮、劉弘に挨拶をすると、そのまま劉弁と二人で寝所の中へと入っていった。
彼女の身長は七尺一寸(約百六十四センチ)と当時の女性の中では随分長身であった。腰は細く、手足は長い。髪は黒々と輝き、肌は透き通るように白い。眉は湾曲したように長く描かれ、睫毛は長い。顔立ちは整い美しいが、その目つきは鋭い。
長い髪を後ろで束ねた椎髻という髪型にし、黄金に輝く歩揺(黄金の台座に珠玉を付けた頭飾り)を付けている。
着ている真綿の曲裾(地に届くほど長い裾が広がるスカート状になっているワンピースタイプの服)は黄褐色の羅地に唐草模様のようにくるりと渦巻いた形状の長寿刺繍が施されている。
耳や首元、爪先には豪奢な装飾をまとい、腰には香嚢が垂れ下がっている。
彼女が霊帝の皇后・何皇后である。皇后は皇帝の夫人の中でも最上位の地位。霊帝が亡くなった今、彼女の地位は唯一無二であった。
また、彼女は大将軍・何進の妹であり、連れている皇子・劉弁の実の母でもある。
何皇后はゆっくりと霊帝の遺体に近付いた。彼女は霊帝に呼びかけ、呼吸を確認した。
既に息のないことを確認した何皇后はニヤリと笑い、外に聞こえるようにワーッと声を上げて泣き出した。
「おおお、陛下、なんとお労しい姿になって⋯⋯!
陛下の大業は必ずや妾と弁皇子で引き継ぎます。
どうぞ、安らかに⋯⋯!」
そして、彼女は後ろに突っ立っている劉弁皇子の方へと振り返った。
「さあ、弁皇子、あなたもしっかり啼くのです」
母がそう声を掛けるのとほぼ同時に、劉弁は霊帝の遺体に駆け寄った。先程までのぼんやりとした彼からは考えられない速度で何皇后は少々面食らった。彼女が「弁皇子」と声をかけようとした。だが、それより先に彼の嗚咽が漏れた。
次の瞬間、劉弁の瞳から大粒の涙が溢れ、止めどなく頬を滑り落ちた。
「うっ、うわぁ⋯⋯っ!」
彼はまるで堰を切った河のように一気に感情を爆発させた。劉弁は縋り付くように、霊帝の手を取り、肩を震わせた。
「父上、父上っ!
なぜ、こんなに早く亡くなられたのですかっ!」
何皇后はその姿に驚きを隠せないでいた。普段はぼんやりとした息子が、ここまで感情豊かであることを母は知らなかった。そして、父親としての役割をほぼ果たさなかった霊帝を、劉弁がここまで慕っているとも思ってはいなかった。
だが、この泣き方は彼女の望む泣き方ではない。何皇后は劉弁に泣くのをやめるよう叱った。
「弁皇子、やめなさい!
その泣き方はいけません!」
劉弁は目を赤く腫らし、鼻水を垂らしながら、母・何皇后の方へと振り向いた。
「ヒッ、グスッ……何故ですか。
先程の母上と同じではありませんか」
劉弁は当然の疑問を母である何皇后にぶつける。先程、何皇后もまた声を上げて泣いていた。
だが、何皇后は首を横に振った。
「声を上げるのは臣下の哭き方です。
あなたは皇太子。言うなればこれから行われる葬儀の主人なのです。
葬儀の主人は声を出さずに嗚咽するように啼かなればなりません。これは昔からの習わしなのです」
当時の葬儀の儀式には「啼」と「哭」の二つの泣き方があった。
「啼」は声を出さずに嗚咽する泣き方。
「哭」は声を上げる泣き方。
皇帝の葬儀では喪主である皇太子は「啼」を行い、それ以外の者は「哭」を行うのが決まりであった。
言うなれば、「啼」を行うことは、彼が皇太子であり、時期皇帝であることを周囲にアピールすることでもあるのだ。
霊帝の葬儀は三日かけて行われる。その間にこの大げさに泣いて悲しみを表す「哭礼」は何度も行われる。劉弁はその度に「啼」を行い、周囲に自身が次の皇帝であることを印象付けなければいけない。それが彼の役目であった。
「わかったなら啼きなさい!
外では丁司徒や劉司空らが聞いているのですよ!」
「は、はい⋯⋯」
母に言われ、劉弁は声を殺して「うっ、うっ!」と静かに泣き出した。
何皇后は劉弁の泣き方に満足し、泣き止まぬ彼を促して外に出した。
「さあ、弁皇子、いつまでも泣いていてはいけません。
早く「復」を行いましょう」
何皇后は劉弁を連れ、さらに寝所の外にいる何進らとも合流して、宮殿の外に出た。宮殿の外では既に宦官たちによって、屋根に梯子が立てかけられていた。
「さあ、弁皇子、ここに陛下の衣服があります。
これを持って屋根に登るのです」
しかし、劉弁は「うう⋯⋯ひぐっ⋯⋯」と泣き続け、なかなか衣服を受け取ろうとはしなかった。
それを見て、何進は前に進み出た。
「今の史侯にやらせるのは酷というものだ。何より危ない。
私が代わりにやろう」
そう言って衣服を受け取ろうとする何進の手を、何皇后ははね退けた。
「ダメよ!
次の皇帝を印象付けるためにも、弁皇子がやらなければ意味がないわ」
「私が史侯の伯父であることは宮中に広く知られている。
私がやっても十分印象付けることは出来るだろう」
そう言って何進は強引に妹の何皇后から衣服を奪い取り、梯子を登っていった。
《続く》