「どうにか、この先起こる董卓の乱から身を守る術を考えないと。
董卓が来た時、盧先生はどうしたのか。さすがにそんなことまで覚えてないなぁ」
運転中の僕はそうボヤいた。盧植の活躍は黄巾の乱のところまでしか知らない。果たして盧植はいつまで生きるのか、董卓に対して生き残ることができるのか。まったく、こんなことになるとわかっていれば、『三国志』をもっと隅々まで読んでおくんだったなぁ。
「いっそ、董卓時代を確実に生き残る袁紹や曹操と今のうちに親しくなっておくべきか⋯⋯」
袁紹も曹操も今後の行く末を考えたら仲良くなるのは危険を多いように思う。だが、少なくともこの二人は董卓の禍を逃れ、生き残ることができる。今から起きる危機を思えば、一時的でもこの二人と仲良くなっておいて、未来の死地から抜け出すよう手を打っておくべきなのかもしれない。
そんなことを考えていると、目的地の太学の門が見えてきた。
太学とは、この時代の教育機関、つまり学校だ。まだ、この時代は小学校や中学、高校と教育機関が未来のように分かれているわけではないが、太学はこの時代の最高学府だという。つまり、大学に相当する。
場所は洛陽の宮城より南に約三キロ。同じ南エリアにある盧植邸からもほど近くにあり、前だけなら何度か通ったことがある。だが、中に入るのは今回が初めてだ。
車輪の音が土を踏みしめるものから、石畳の軋みへと変わる。朱塗りの柱と屋根瓦からなる門が姿を現す。『太学』と大書された額縁が門の上にデカデカと掲げられている。僕らはその門を抜け、太学の中へと入っていった。
車馬から降りた僕らは木々と石畳の中を進む。僕らの目の前に木と瓦で出来た大きな建物が姿を現す。基本的には『口』の字型の一般的な住居と同じ構成だ。だが、いくつもの棟が連なり、複雑で巨大な建物となっている。そして、それと同じような形状の建物がいくつもの隣に並んでいる。
建物の中にはさらに細かく教室が分かれているのだという。その部屋数は千八百五十という途方もない数だと、盧植は説明してくれた。教室の側を通ると、何やら難しい文言を朗読する声が聞こえてくる。盧植によると『詩経』の言葉なのだと言う。
「ずいぶん、広いなぁ。
これが太学かぁ。
どことなく日本の大学にも通ずるものがあるな」
この雰囲気はどこか未来の大学のそれと似たようなものを感じる。このあたりの雰囲気は時代を問わないのかもしれない。もし、現役の大学生であればどこか懐かしさを感じたことだろう。だが、あいにくと競馬学校を卒業してジョッキーになった僕には大学で学んだ経験がない。
そして、ジョッキーとなった僕が三十五歳の時に挑んだ皐月賞。そのレースの最中に僕は落馬事故を起こし、気がついたらこの三国志の時代に、二十歳の若者として転生していた。
「それが今、盧先生と後漢の最高学府である太学に来てるんだから、人生何があるかわかったもんじゃないな」
僕らはゆっくりと校舎へと近づいていった。
「さて、盧先生、本日は太学に何用で参られたのですか?」
僕がそう尋ねると、盧植は「ここに会いたい者がいる」とだけ答えた。
僕重ねて尋ねた。
「それで、どなたに会いに来たのですか?」
そう尋ねると、盧植はややくぐもった声で答えた。
「私の古い友人だ。だが、今はまだ、名を口にするのは憚られる。
さて、誰か場所がわかるものがいないか、探してきてくれ」
盧植に言われ、校内を見回してみる。そこに学生だろうか、一人の若者がこちらに歩いてくるのが見えた。
その面長な顔を見て、僕は失礼にも馬みたいだなと思ってしまった。まあ、どういう理由であれ、目に止まったのは何かの縁だろう。僕はその面長な学生に声を掛けた。
面長の学生は、見ず知らずの僕にも礼儀正しく受け答えをし、案内を頼むと快く了承してくれた。
面長の彼は盧植に会うなり、目の色を変えた。
「もしやあなた様は、盧尚書ではありませんか?」
「いかにも私は盧植だ」
尚書は今の盧植が就いている役職名だ。どうやら、この学生は盧植の顔を見知っていたようで、学者として高名な彼に出会えて感激していた。
「諸生よ。
博士の李文優という方を探しているのだが、どこにおられるかわかるか」
博士というのはこの太学の教授なのだそうだ。
その名を聞いて、面長の学生はすぐにピンときたようだ。
「はい、李博士なら存じ上げております。
こちらにどうぞ」
僕らは面長の学生の案内のもと、校内を進んでいった。僕は盧植に尋ねた。
「その李文優という博士が盧先生の会いたかった方ですか?」
だが、盧植は首を横に振った。
「彼は仲介人だ。
私が会いたいのは旧い友だ。彼は宦官に睨まれ、長らく名を変えて姿を晦ましていた。それが今、雒陽に帰ってきているらしい」
なるほど、宦官の恨みを買っているからおいそれと姿を出せないということか。僕はどんな人なんだろうかと思いながら盧植の後に続いた。
道中、盧植は学生となにやら難しい話をしている。あいにくと僕には学がない。おそらく、孔子なり孟子の話でもしているのだろうが、隣で聞いていてもさっぱりだ。
ひとしきり盛り上がったところで、面長の学生は振り返って、奥の棟を指差した。
「盧尚書、李博士のおられる講堂はまもなくです。
あの棟のところにおられるはずです」
さて、行こうかと僕らが一歩踏み出したその時、後ろより誰かに呼びかける声が聞こえた。
「おーい、子瑜!」
振り返ってみると、数名の若者がこちらに向かって手を振っている。しかし、僕も盧植も子瑜という名ではない。ということはこの面長の若者の名前なのだろう。
「あの子瑜というのは君のことかな?」
盧植がそう尋ねると、面長の学生ははいと頷き、気不味そうな顔をする。それを察した盧植は彼に優しく声を掛けた。
「ここまでくれば後はわかる。
君は彼らのもとに行きなさい」
「ありがとうございます。
一時でも盧尚書とお話できてよかったです」
子瑜と呼ばれた面長の学生は、盧植に一礼すると、名を呼んだ学生たちの元へと駆けていった。
僕らはそのまま、彼の指差した方へと向かっていった。
一方、面長の青年は学生たちのところへ合流した。
学生たちは話し中に声をかけてしまったことを謝罪した。それに対して「いえ、大丈夫です」と、面長の学生は笑って許した。
「しかし、子瑜。
君とここで別れるのは惜しい。もう、太学には戻ってこないのか?」
学生の一人が、彼に尋ねた。この子瑜と呼ばれた青年は、家庭の事情で太学を去ることが決まっていた。偶然にも今日がその日だったのである。
「すみません。
ですが、母が危篤と聞いては帰らぬわけにはいきません。もしもの時には喪に服さねばなりません。
その後となると、もう諸生というわけにはいかないでしょう」
面長の学生の丁寧な受け答えに、周りの学生は感心しながらも彼との別れを惜しんだ。
「親の喪に服すのは大事なことだ。孝行な君のことだから、それはよくわかっていることだろう。名残惜しいが、君を送りだそう」
子瑜は、喜んで送り出そうとしてくれる周囲の学生たちに向かって礼を述べた。
「ありがとうございます。
私はもう太学に戻ることはないでしょう。
ですが、私には私よりも優秀な弟がおります。弟は私よりも七歳も下なので、皆様と同じ時に太学生活を送ることはないでしょうが、頭の良い子なので、いずれ会う日もくるかもしれません。その時は弟をよろしくお願いします」
子瑜の言葉にまたかと言わんばかりに、周囲の学生たちは苦情した。
「兄バカの君らしい別れの言葉だな。
だが、優秀な君が、さらに優秀だというのだ。いつの日か会うこともあるかもしれない。
最後に改めて君の弟の名を教えてくれないか」
子瑜は一礼して話し始めた。
「はい、わかりました。
弟の名は亮、字は孔明。
諸葛亮、孔明。
それが私、諸葛瑾、子瑜の弟の名でございます」
諸葛亮、字を孔明。その名は中国史に燦然と輝く偉人である。彼の存在は劉備、さらには劉星に多大な影響を与えることになる。
だが、この時、諸葛孔明もまだ数え九歳。
彼が歴史に登場するのはまだ先の話である。
《続く》