洛陽の夜を、激しい雨が叩いた。雷鳴が轟き、長楽宮を震わせた。燭台の薄暗い光に照らされ、不気味な影が広がっていた。
この宮殿の主・何太后は大床に腰掛け、綺羅びやかな曲裾(地に届くほど長い裾が広がるスカート状になっているワンピースタイプの服)を身にまとい、自慢の黒髪を侍婢に梳かせていた。彼女の瞳には野心の炎が燃え、口元に冷酷な笑みが浮かんでいた。
「死んだわ、ついに死んだわ!
御義母上が!」
何太后の甲高い声は雷鳴に負けず鋭く響いた。彼女の妖艶な微笑みに、周囲の侍婢たちは底知れぬ恐怖を感じ、身を震わせた。
「これ、大将軍を呼びなさい」
彼女に命じられた侍婢は震え上がって、すぐさま彼女の兄・何進を呼びに走った。
彼女に呼び出され、大将軍・何進は紅色の袍を身にまとい、額に汗を滲ませて急いで参上した。
「兄上、お望み通り永楽太后が身罷られたわ。
これで先帝陛下を埋葬できるわね」
稲光が両者の顔を照らし、喜悦の笑みと唇を強く結んだしかめ顔が交錯する。
「ああ、わかっている。
すぐに陛下に申し出よう」
何太后は立ち上がり、曲裾の袖を翻した。
「これは我ら何氏が天下を握る好機なのよ。失敗は許さないわ」
彼女の口調は急かすようであった。雷鳴がその言葉を強調するように轟いた。
それに対して何進は力強く頷いた。
「それも仔細承知だ。任せておけ」
彼は一礼し、雨飛沫の中、闇に消えた。雷は絶えず宮殿を震わせていた。
〜〜〜
翌朝、雨は幾分か小降りになった。灰色の空は依然、洛陽を覆っていた。
嘉徳殿では少帝が玉座に座り、ぼんやりと燭台の火を見つめていた。少帝は十七歳にしてはよく発達した体躯を持ちながら、歳の割にはどこか頼りなげな印象を与える青年であった。
「御父上の葬送はまだ行わぬのか⋯⋯」
彼はそう呟き、側に控える侍中に目をやった。彼らは互いに見合わせるばかりで何も答えなかった。
その時、彼の伯父である何進が進み出た。彼は紅色の袍を整え、恭しく頭を下げた。
「陛下、先帝陛下が崩御なされて、間もなく二ヶ月になられます。
慣例では、崩御後一ヶ月ほどで埋葬を行うところですが、蹇碩めらの妨害のため遅れてしまいました。
今こそ執り行う時です」
大将軍・何進は決意に満ちた声で、甥でもある少帝のそう奏上した。
後漢での埋葬は、皇帝の崩御より一月後に行うのが通例であった。何進は董太后の死を待ってから決行した。
しかし、何氏と董氏の政争のために霊帝の埋葬を後回ししたと指摘する者は、この場には誰もいなかった。
それまで弱々しげな目を向けていた少帝は、何進の言葉に目を輝かせて答えた。
「そうか、ようやく弔えるのだな。
よし、良きに計らえ」
彼の声には、普段の無気力さとは異なる熱が宿っていた。喜ぶ少帝に、何進も力強く答えた。
「承知しました。
早速、太史令に日取りを占わせます」
太史令・高堂修が御前に呼び出された。太史令は天地自然の法則と星の運行を観察し、暦の作成を掌る。国の祭祀・葬礼・婚礼の日取りを奏上するのも役割である。
白髪の老人・高堂修は亀甲を取り出すと、火で炙り始めた。亀の甲羅を使った占い・亀卜は、中国では太古より用いられた占いである。殷の時代(紀元前十六世紀〜紀元前十一世紀頃の王朝)に最盛期を迎えるが、その後は徐々に衰退。漢代では稀にこのような祭祀でしか行われなくなっていた。亀甲を焼いてそのひび割れた形でもって吉凶を占う。
彼はひび割れをじっくり見て、慎重に占った。燭台の灯りが彼の皺深い顔を照らし、緊張感が漂った。
「埋葬は辛酉(六月十六日)の日が吉日と出ました」
彼の声は落ち着いていたが、目尻の皺には緊張を浮かべていた。
何進は大きく頷いた。
「よろしい。
では、辛酉の日に執り行いましょう」
それに聞いた少帝は思わず声を上げた。
「大将軍、任せたぞ」
彼の声には幾分かの元気が加わっていた。
何進がさらに進言する。
「つきましては当日までに、先帝の棺を車に乗せ、諡を定めねばなりません。
贈諡の儀は太尉が務めねばなりませんが、ご存じの通り太尉の劉虞は今、幽州にいて不在となっております。
大喪の時には司徒の丁宮が代理を務めましたが、それでは丁司徒の負担が大き過ぎます。
そこで、私が太尉の代理を務めたいと思うのですが、いかがでしょうか」
何進は少帝の顔色を窺いつつ、慎重に言上した。
「わかった。
太尉の仕事は大将軍に一任する」
少帝のその言葉を聞き、何進はほくそ笑んだ。少帝の言質は取った。大喪の儀ではあまり関われなかったが、これで埋葬の儀は自身の主導で行える。何進は自身の権威を見せつける良い機会だと考えた。
「ありがとうございます。
この大任、必ずや果たしてご覧に入れます。
既に先帝の諡については学士たちに議論させ、『霊』が良いであろうと意見が出ております」
これまで便宜上、先代皇帝を『霊帝』と呼んでいたが、正確にはこの贈諡の儀で初めて定められた。
何進はあらかじめ、学者たちに霊帝の諡を考えさせていた。何進は学者たちに向かって「霊帝は精力的な方だったが、そのために臣下は振り回された。少帝にはそのようになって欲しくない」と伝えていた。
何進の要望を受けて、学者たちが提示した字は『霊』であった。「国を乱したが、滅ぼすまでには至らなかった」という意味である。
「『霊』か。あまり諡では用いられぬ字だが、どのような意味だ?」
少帝から素朴な質問が出る。先読みしていた何進は用意しておいた『霊』の別の意味を提示した。
「はい、死して後に志が成ることを『霊』と申します。
先帝陛下は志半ばで亡くなられましたが、遺された我らで先帝陛下の志を受け継ぎ、成就させよう。そういう願いが込められています」
流石に「国を乱した〜」云々という説明を、少帝にするわけにはいかない。何進はあらかじめ少帝が納得しそうな別答を用意していた。
「なるほど、それは御父上に相応しい字だ。
よし、それにしよう」
無邪気に喜ぶ少帝の様を見て、何進は上手くごまかせたとほっと胸を撫で下ろした。
〜〜〜
日が沈む頃、贈諡の儀が執り行われる。何進は長冠(長方形の板状の冠)をかぶり、白い喪服に身を包み、高車(立ち乗りの車)に乗って正殿に移動する。
「本来なら太尉が務めるこの大役を、私が務められるとはな」
そう呟く何進の顔を、降り止まぬ雨が濡らした。車より降りた何進は待ち受けている皇帝の使者の前に進み、伏して詔を受けた。
何進はそのまま南郊へと移動した。そこでは既に大鴻臚・崔烈によって九賓(皇帝の賓客。王・侯・公・卿・二千石(の官吏)・六百石・郎・吏・匈奴の侍子をいう)の席次が設けられ、百官はそれぞれの位置についていた。
白髪の崔烈は、雨の中でも矍鑠とした態度で声を張り上げて仕切った。
「皆様、大将軍が参られます!
ご静粛にお願い致します!」
彼の声は雨音の中もよく通った。
太祝令は跪いて、霊帝の諡とその諡を定めた経緯を木の板に書いた諡策を読み上げた。
彼は天に向かって先帝に諡を決める旨を告げた。父である先帝に、子である今上帝が諡を定めるのは礼に反している。そのため、先帝への諡は、皇帝や遺臣が決めたのではなく、天の承認を経て決定されたという体裁をとっていた。
何進は再拝して、頭を地面につけて稽首の礼を行った。
この時点で霊帝の遺体は四重の棺に納められ、さらに槨で覆われ、周りを土で固められている。
埋葬前にこれらが取り払われ、夷衾という布で覆われる。そして、霊帝の遺体には供物が饗せられた。
霊帝の棺は大行載車という特別な車へと移される。埋葬の準備はつつがなく進行していった。
〜〜〜
雨は激しさを増し、雷鳴が洛陽中に轟いた。何進は大将軍府で一人、燭台の火を見つめていた。
「先帝陛下の葬送を完遂し、私こそが天下の治者であることを印象付ける。
これからの時代は私がこの漢を動かしていくのだ!」
何進の決意とともに、雷鳴が夜の静寂をつんざき、雨音は益々激しさを増した。
それはまるでこれから起きるこの国の惨劇を象徴するかのようであった。
《続く》