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第九十六話 葬送(三)

 雨が空を覆う中、方相氏ほうそうしがまず最初に陵墓に入った。方相氏ほうそうしとは、邪気を祓う役目を負った者である。彼は四つ目がついた黄金の仮面をつけ、熊の毛皮をかぶり、黒の上衣と赤の下裳を着け、(横刃の古代の武器)と盾を手に中に入る。方相氏ほうそうしは四方をで打ち据えて邪気を祓った。異形の影が墓室の中を練り歩き、その足音が室内に響いて、雨音を掻き消した。


 屈強な東園の武士たちが霊帝れいていの棺を大行載車たいこうさいしゃより担いで降ろす。彼らは棺が地面に付かぬよう細心の注意を払った。彼らの命より重い霊帝れいていの遺体ということで、武士たちの顔に緊張が走る。雨で滑らぬよう手に力をこめた。


 彼ら棺を担いだ武士たちが先に墓室に入り、百官がその後に続いた。


 この時、少帝しょうてい一人だけは墓室の中に入らず、幕で覆われた席の中で棺が収められるのを見守った。これは現皇帝が歴代の皇帝を祀る場所は宗廟そうびょう(歴代の皇帝が祀られている廟)であると考えられているからである。皇帝は陵墓で先帝を祀らないというのが当時の認識であった。


 少帝しょうていは幕の内で一人、霊帝れいていの納棺を見守った。彼は瞳を潤ませ、霊帝れいていの安寧を願った。


 墓室では、安置された棺の上が帳で覆われ、副葬品や霊帝れいていの衣服が墓室内に運び込まれる。


 副葬品は死者が死後の世界で生活に不自由しないように入れられる。


 まず、死後の世界で空腹にならないよう穀物、惣菜、肉、酒などが詰まった器がいくつも並べられる。


 や弓矢、鎧などの武具、食器や高坏たかつき、籠、たらいや机などの日用品、琴や鍾などの楽器。


 その他、車馬のような大きなものは代わりに縮小した模型が入れられる。


 これ以外にも死者が生前愛用した品々が丁寧に納められた。


 副葬品の華やかな装飾が雨の薄暗さに映え、霊帝れいていの生前の威光を偲ばせた。


 これらの品々が運び込まれたのを、東園匠とうえんしょうを務める青年・荀彧じゅんいくが見届けた。彼は副葬品が何一つ欠けることなく入れられたことを名簿で確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。さらに彼は皆に「哭かれますように」と伝えると、皆が一斉にいた。太常たいじょう馬日磾ばじつてい大鴻臚だいこうろ崔烈さいれつの合図でこの哭礼こくれいを止めた。


 司徒しと丁宮ていきゅうが前に進み出て、霊帝れいていの棺に願い出る。


「百官の成すべきことは全て終わりました。


 臣は退出することをお許しいただきますよう、お願い致します」


 彼の声は墓室に響き、雨音に溶けた。


 彼らはあくまで霊帝れいていの許可を取ったという形式で進行していった。


 丁宮ていきゅうに従い、百官は陵墓より退室した。


 百官が墓室より出ると、皇帝から先帝への最後の贈り物が贈られる。


 車より運び出された贈り物は玉珪ぎょくけいへいの二種。玉珪ぎょくけいは長さ一尺四寸(約三十二センチ)、ほこさきのように先端の尖った玉製の板である。それが紫の布に包まれて運ばれてくる。へいは長さ一尺二寸(約二十八センチ)、幅二尺二寸(約五十一センチ)。黒いもの三枚、薄赤色二枚の布である。


 少帝しょうていはこれらの品を納め、東園匠とうえんしょう荀彧じゅんいくが副葬品の名簿に封をして納める。


 最後に霊帝れいていの衣服や日用品を墓室に納め、あまざけを献じて儀式を終える。


 司空しくう劉弘りゅうこうは兵士に命じ、白土で陵墓の入口が封じた。


  これにて十刻(約二時間)に及ぶ埋葬の儀が終わり、参列者は洛陽らくようへと帰っていった。


 一方、董太后とうたいごうの遺体は故郷である河間国かかんこくへ送られ、彼女の夫である解瀆亭侯かいとくていこう劉萇りゅうちょうの眠る慎陵しんりょうへと合葬された。


 〜〜〜


 葬送を終え、何進かしん大将軍府だいしょうぐんふの広間で凭几ひじおきにもたれかかった。雨は未だ止まず、窓を叩いていた。


「なんとか終わった。


 雨が気がかりだったが、滞りなく済んだぞ」


 彼はうわぎを脱ぎ、疲れを吐き出した。燭台の光が揺れ、彼の顔に深い影を刻んだ。


 隣に控える袁紹えんしょうが相槌を打った。


「はい、これも偏に大将軍かしんの優れた采配のおかげでございます」


 彼の声は恭しいものであったが、目は野心に輝いていた。


 だが、何進かしんは野心に気づくことなく笑った。


「はは、お前の言葉は心地よいな」


 袁紹えんしょうは身を乗り出し、声を低くして答えた。


「決してお世辞で申しているわけではございません。董氏とうしを排斥し、葬送を完遂した手腕は、本当に見事なお手並みでございました。


 今、天下を動かしているのは間違いなく大将軍かしんでございます」


 何進かしんは小さな目を大きく見開いた。


「そうか。いや、私も天下を担っているといる自覚が湧いてきたところだ。


 まだ、陛下しょうていも歳若い。太后かたいごうにもその荷は重い。


 私が支えねばならぬ!」


 袁紹えんしょうの目が光った。


「今や大将軍かしん以上に天下を担える者はおられないでしょう。


 今こそ邪魔者を排除し、威光を示す時です!」


「邪魔な者?」


 何進かしん袁紹えんしょうの言葉を受けて、眉をひそめた。


宦官かんがんでございます」


 袁紹えんしょうの声は刃のように鋭く、部屋を切り裂いた。その鋭さに何進かしんは思わず息を呑んだ。


宦官かんがんだと!


 ⋯⋯いや、お前の言わんとすることはわかる。奴らが御政道をねじ曲げているのは私も承知している。


 しかし、彼らは既に朝廷になくてはならない存在となっているのも事実だ」


 袁紹えんしょうの言葉はさらに熱を帯びていく。


「何を仰るのですか。


 先ほど、天下を担っているのは御自身だと言われたばかりではございませんか。


 大将軍かしんであれば、喩え宦官かんがんがいなくなろうとも天下を治めることになんの差し障りがありましょうか」


 彼の言葉に呼応するかのように雷鳴が轟き、庭を覆う雨飛沫あめしぶきが彼の目に反射した。


 何進かしんは冷や汗を流し、思わず拳を握りしめた。


「だ、だが、宦官かんがんは狡猾で抜け目がない。


 排斥なんて容易ではないぞ。聞喜侯とうぶの失敗を忘れたのか?」


 聞喜侯ぶんきこうとは外戚がいせき竇武とうぶのことである。竇武とうぶは約二十年前、宦官かんがん誅殺を謀ったが、返り討ちに遭って反対に自害した人物であった。


 袁紹えんしょうは微笑んだ。


「以前に聞喜侯とうぶ宦官かんがんを誅そうとして、反対に死ぬことになったのは、その言葉が世に漏れ、五営の武官(宮殿を守る部隊)が宦官かんがんどもに靡いて服従したせいです。


 今、大将軍かしん陛下しょうていおじという大役にあり、兄弟で将兵を領し、部曲ぶきょくの将兵は皆英俊な強兵でございます。そして、蹇碩けんせきを誅殺したことで、強大な西園軍せいえんぐんをもその支配下に収めております。


 これ以上の時勢がございましょうか。


 大将軍かしんは天下の患いを除くことに専念し、名を後世にお残しください。


 そうなれば、大将軍かしんの名は未来永劫、史書の中に燦然と輝くことでしょう」


 彼の言葉は雨音をつんざき、燭台の火を揺らした。



「私の名が史書に⋯⋯永遠に残る⋯⋯」


 何進かしんは唾を飲み込んだ。彼の目には火が宿った。


「確かにお前の言う通りだ。


 天下の人々は宦官かんがんが一掃されることを望んでいる。そして、その大役をやれる人物は私を置いて他にいないだろう。


 やろう。宦官かんがんを朝廷より一掃しよう!」


 何進かしんは拳を高らかに掲げてそう宣言した。それに合わせるように雷鳴が轟いた。まるで何進かしんの決意を促すかのような轟音であった。


 袁紹えんしょうはほくそ笑んだ。


大将軍かしんの名は、永遠に輝きましょう⋯⋯!」


《続く》

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