雨が空を覆う中、方相氏がまず最初に陵墓に入った。方相氏とは、邪気を祓う役目を負った者である。彼は四つ目がついた黄金の仮面をつけ、熊の毛皮をかぶり、黒の上衣と赤の下裳を着け、戈(横刃の古代の武器)と盾を手に中に入る。方相氏は四方を戈で打ち据えて邪気を祓った。異形の影が墓室の中を練り歩き、その足音が室内に響いて、雨音を掻き消した。
屈強な東園の武士たちが霊帝の棺を大行載車より担いで降ろす。彼らは棺が地面に付かぬよう細心の注意を払った。彼らの命より重い霊帝の遺体ということで、武士たちの顔に緊張が走る。雨で滑らぬよう手に力をこめた。
彼ら棺を担いだ武士たちが先に墓室に入り、百官がその後に続いた。
この時、少帝一人だけは墓室の中に入らず、幕で覆われた席の中で棺が収められるのを見守った。これは現皇帝が歴代の皇帝を祀る場所は宗廟(歴代の皇帝が祀られている廟)であると考えられているからである。皇帝は陵墓で先帝を祀らないというのが当時の認識であった。
少帝は幕の内で一人、霊帝の納棺を見守った。彼は瞳を潤ませ、霊帝の安寧を願った。
墓室では、安置された棺の上が帳で覆われ、副葬品や霊帝の衣服が墓室内に運び込まれる。
副葬品は死者が死後の世界で生活に不自由しないように入れられる。
まず、死後の世界で空腹にならないよう穀物、惣菜、肉、酒などが詰まった器がいくつも並べられる。
戈や弓矢、鎧などの武具、食器や高坏、籠、盥や机などの日用品、琴や鍾などの楽器。
その他、車馬のような大きなものは代わりに縮小した模型が入れられる。
これ以外にも死者が生前愛用した品々が丁寧に納められた。
副葬品の華やかな装飾が雨の薄暗さに映え、霊帝の生前の威光を偲ばせた。
これらの品々が運び込まれたのを、東園匠を務める青年・荀彧が見届けた。彼は副葬品が何一つ欠けることなく入れられたことを名簿で確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。さらに彼は皆に「哭かれますように」と伝えると、皆が一斉に哭いた。太常・馬日磾や大鴻臚・崔烈の合図でこの哭礼を止めた。
司徒の丁宮が前に進み出て、霊帝の棺に願い出る。
「百官の成すべきことは全て終わりました。
臣は退出することをお許しいただきますよう、お願い致します」
彼の声は墓室に響き、雨音に溶けた。
彼らはあくまで霊帝の許可を取ったという形式で進行していった。
丁宮に従い、百官は陵墓より退室した。
百官が墓室より出ると、皇帝から先帝への最後の贈り物が贈られる。
車より運び出された贈り物は玉珪と幣の二種。玉珪は長さ一尺四寸(約三十二センチ)、鋒のように先端の尖った玉製の板である。それが紫の布に包まれて運ばれてくる。幣は長さ一尺二寸(約二十八センチ)、幅二尺二寸(約五十一センチ)。黒いもの三枚、薄赤色二枚の布である。
少帝はこれらの品を納め、東園匠の荀彧が副葬品の名簿に封をして納める。
最後に霊帝の衣服や日用品を墓室に納め、醴を献じて儀式を終える。
司空の劉弘は兵士に命じ、白土で陵墓の入口が封じた。
これにて十刻(約二時間)に及ぶ埋葬の儀が終わり、参列者は洛陽へと帰っていった。
一方、董太后の遺体は故郷である河間国へ送られ、彼女の夫である解瀆亭侯・劉萇の眠る慎陵へと合葬された。
〜〜〜
葬送を終え、何進は大将軍府の広間で凭几にもたれかかった。雨は未だ止まず、窓を叩いていた。
「なんとか終わった。
雨が気がかりだったが、滞りなく済んだぞ」
彼は袍を脱ぎ、疲れを吐き出した。燭台の光が揺れ、彼の顔に深い影を刻んだ。
隣に控える袁紹が相槌を打った。
「はい、これも偏に大将軍の優れた采配のおかげでございます」
彼の声は恭しいものであったが、目は野心に輝いていた。
だが、何進は野心に気づくことなく笑った。
「はは、お前の言葉は心地よいな」
袁紹は身を乗り出し、声を低くして答えた。
「決してお世辞で申しているわけではございません。董氏を排斥し、葬送を完遂した手腕は、本当に見事なお手並みでございました。
今、天下を動かしているのは間違いなく大将軍でございます」
何進は小さな目を大きく見開いた。
「そうか。いや、私も天下を担っているといる自覚が湧いてきたところだ。
まだ、陛下も歳若い。太后にもその荷は重い。
私が支えねばならぬ!」
袁紹の目が光った。
「今や大将軍以上に天下を担える者はおられないでしょう。
今こそ邪魔者を排除し、威光を示す時です!」
「邪魔な者?」
何進は袁紹の言葉を受けて、眉をひそめた。
「宦官でございます」
袁紹の声は刃のように鋭く、部屋を切り裂いた。その鋭さに何進は思わず息を呑んだ。
「宦官だと!
⋯⋯いや、お前の言わんとすることはわかる。奴らが御政道をねじ曲げているのは私も承知している。
しかし、彼らは既に朝廷になくてはならない存在となっているのも事実だ」
袁紹の言葉はさらに熱を帯びていく。
「何を仰るのですか。
先ほど、天下を担っているのは御自身だと言われたばかりではございませんか。
大将軍であれば、喩え宦官がいなくなろうとも天下を治めることになんの差し障りがありましょうか」
彼の言葉に呼応するかのように雷鳴が轟き、庭を覆う雨飛沫が彼の目に反射した。
何進は冷や汗を流し、思わず拳を握りしめた。
「だ、だが、宦官は狡猾で抜け目がない。
排斥なんて容易ではないぞ。聞喜侯の失敗を忘れたのか?」
聞喜侯とは外戚の竇武のことである。竇武は約二十年前、宦官誅殺を謀ったが、返り討ちに遭って反対に自害した人物であった。
袁紹は微笑んだ。
「以前に聞喜侯が宦官を誅そうとして、反対に死ぬことになったのは、その言葉が世に漏れ、五営の武官(宮殿を守る部隊)が宦官どもに靡いて服従したせいです。
今、大将軍は陛下の舅という大役にあり、兄弟で将兵を領し、部曲の将兵は皆英俊な強兵でございます。そして、蹇碩を誅殺したことで、強大な西園軍をもその支配下に収めております。
これ以上の時勢がございましょうか。
大将軍は天下の患いを除くことに専念し、名を後世にお残しください。
そうなれば、大将軍の名は未来永劫、史書の中に燦然と輝くことでしょう」
彼の言葉は雨音を劈き、燭台の火を揺らした。
「私の名が史書に⋯⋯永遠に残る⋯⋯」
何進は唾を飲み込んだ。彼の目には火が宿った。
「確かにお前の言う通りだ。
天下の人々は宦官が一掃されることを望んでいる。そして、その大役をやれる人物は私を置いて他にいないだろう。
やろう。宦官を朝廷より一掃しよう!」
何進は拳を高らかに掲げてそう宣言した。それに合わせるように雷鳴が轟いた。まるで何進の決意を促すかのような轟音であった。
袁紹はほくそ笑んだ。
「大将軍の名は、永遠に輝きましょう⋯⋯!」
《続く》