ホムンクルスであるディングレイに限らず、護剣士は全身を強化改造されている。おまけに表皮には、ヒヒイロカネという他生物も移植している。
よって全員が年に一度、メンテナンスの名目で身体のあちこちを切り開かれてかき回された挙句、ヒヒイロカネを縫い直されるのだ。激痛というおまけ付きで。
それはもはや、処置と言うより手術……いや拷問である。
地下室での出来事を聞かされ、ケーリィンは真っ白な顔と思考でこの結論に至った。
全身の切開とヒヒイロカネの固定により、ディングレイは発熱と絶え間ない痛みに襲われていた。今は自室のベッドで、ぐったりとしている。
「レイさん、よければ治癒の舞を踊りましょうか? レーニオさんを治した後も何度か練習したので、きっと成功できると思います」
自分にできることはないか、と必死に考えたケーリィンは妙案得たり、と顔を輝かせる。
ディングレイは、残念ながら渋い反応だった。
「怪我や病気じゃねぇんだ、あんたにそこまで甘えられねぇ。それに治癒を促進すると、ヒヒイロカネが剥がれちまう可能性もあるらしい」
たしかに包帯の隙間から覗くヒヒイロカネは、未だ不安定なのか、不規則な明滅を繰り返している。
浅い息と共に、呻くような声でこう言われては、ケーリィンに出来ることなどない。
しゅん、としおれた彼女は、彼の枕元にしゃがみこむ。
「あの……そばにいちゃ、やっぱりご迷惑ですか?」
我ながら何とも弱々しい声だ。彼を看病する立場なのに、何の役にも立てないのが、悔しくて情けない。
枕に顔を半分うずめていたディングレイが、視線だけ持ち上げた。目が合うと、微かに空色の瞳を細める。
「迷惑じゃねぇよ。俺が回復するの、待っててくれるんだろ?」
「はいっ」
部屋にいることを許され、安堵する。はにかめば、ディングレイもぎこちなく笑い返し、ゆっくり
さほど間も置かず、浅い呼吸がゆっくりとした寝息に変わる。
ケーリィンは彼を起こさぬよう、窓際の机へ移動して椅子にそっと腰かける。
保守部隊の方々から、止血用のシートや替えの包帯、鎮痛剤を受け取っている。
それらと水差し、そしてグラスは埃一つない机に置いていた。鎮痛剤は既に一錠、彼に飲ませている。
言動は荒っぽいのに、ディングレイの部屋はいつも綺麗で整然としている。
そういえば普段着と化している軍服も、いつだって皴一つない。ロールドによれば、自らアイロンも当てているという。
素行に似合わぬ几帳面さを再発見し、ケーリィンは口元を緩めた。
家主が眠り、看護人も黙って見守る室内は、静かだった。
無音の部屋に届くのは、庭に住んでいる虫の鳴き声と、部屋の前を陣取っている護衛と囮役の話し声だった。
「やっぱ護剣士は、二人いた方がいいと思うんですよね。一人だとこういう非常事態に、ニッチもサッチもいかなくなるじゃないですか」
「うん、僕もそう言ったんだけどねぇ。ディングレイ君が嫌がるんだよ」
「えー、嫌がる権利あるんですか、あの懲役五百年顔?」
「ほらほら、前の同僚君が先代ちゃんに骨抜きだったじゃない」
「あー……そうでしたね、はいはい……」
「それで若干人間不信というか、同業者不信を患ってしまってね。真面目で堅物な、信用できる人間以外は嫌だって突っぱねているそうだよ」
「ええっ? 自分はあんな態度悪い、不良護剣士なのにっ? ワガママじゃないですかー、何様なのあいつー!」
(……レイさんがぐっすり眠ってて、本当によかった)
ケーリィンは心底そう思った。そうでなければ血を見ただろう、レーニオの。
思わず天を仰ぎ、誰へともなく感謝する。
視線を持ち上げたことで、ケーリィンは気付いてしまった。いつかの天井裏の入り口が、ずれていた。これは悪魔のいざないだろうか。
ケーリィンはちらりと扉を見る。ディングレイを肴に談笑する声は聞こえるも、そこはぴたりと閉じたままだ。
次いでディングレイへ視線を走らせた。
穏やかとは言い難い寝顔であるが、幸い彼は今も眠り込んでいるようだ。
こんなことをすれば、レーニオをどうこう言う権利なんてないだろう。
だが、ないと分かりつつも……ケーリィンは見たかったのだ。彼女にとって都市伝説、あるいはユニコーンのような伝説の聖獣に値する存在、エロ本を。
靴を脱ぎ、素早く机の上へ乗り上げる。そしてかすかな音すら立てずに、蓋を持ち上げた。落とさないよう、蓋はしっかり両手で掲げ持つ。
逸る気持ちをぐっと堪え、天井裏へゆっくり頭を突っ込んだ。
相変わらず薄暗いそこにあったのは、彼女にも見覚えがあるものばかりだった。
「……え?」
積み上げられていた本は全て、児童書や絵本だったのだ。
いずれも子供たちを主人公に据えた、冒険譚である。
想定外の本たちに面食らうも、ややあって納得した。悲しい気持ちを伴って。
大人として生まれた彼にとって、自身の知らぬ少年時代への憧憬はきっと、十八禁の書物よりも恥ずべき、それでも手元に置いておきたいものだったのだ。
その事実を察したケーリィンの好奇心はみるみる萎み、代わりに大きな罪悪感が芽吹く。
開けた時と同様、静かに蓋を戻し、机から降りる。
そしてディングレイの枕元にしゃがみこんだ。指先で触れた手は、びっくりするぐらいに熱かった。だが、皮膚が固く、また骨ばったその手を両手で優しく包み込む。
汗のにじむ額に、自分の額を重ねた。
「レイさん。こっそり見て、ごめんね」
ケーリィンの子供時代も、聖域での代わり映えしない、冴えない思い出ばかりだ。
それでもせめて、そのかけらでも彼に伝われば良いのに、と願いを込める。
また、もしも自分の香りに誰かを癒す力があるなら、誰よりも大切なこの人の痛みを和らげてあげたい、とも強く願った。