鎮痛剤が効き始めると共に、ディングレイの意識は睡魔に絡め取られた。
メンテナンスという名の苦行または拷問によって
だがしばらくして、ディングレイの意識は白い空間に迷い込んでいた。
乳白色の天井に囲まれた、不思議な空間だ。空はないのに、周囲は木々であふれている。足元にも草が生い茂っていた。
見覚えがあるような気もするが、どこだろうか、と周囲を見渡した時に気付く。
自分の目線が、ずいぶんと低い位置にあるのだ。
いや、目線だけではない。体全体が縮んでいるようだ。手なんて細くて丸くて、まるで子どもである。
――ああ、そうか。子どもになったんだ。
夢の中のディングレイはどういうわけか、奇天烈な現象を当たり前に受け止めていた。
自分が子どもになったのなら。ここは公園で間違いないだろう。
子どもは集まってそういう場所で遊ぶものだ、と幼いディングレイは考えた。
彼の考えを裏付けるように、一人の子どもがこちらへ駆け寄って来る。
蜂蜜色の長い髪を二つにくくった、小さくて可愛らしい女の子だ。
彼女の大きな金の
――この子は僕が好きなんだ。そうだ。僕もこの子が大好きだ。
ディングレイは再び、すとんと納得する。
少女は躊躇なく、ディングレイの細い両手を取った。そして笑顔で息を弾ませ、彼に話しかける。
「あのね、遊ぼっ」
「遊ぶ?」
「そう。追いかけっこしてね、一緒に遊ぶの。ね?」
「うん!」
屈託なく微笑む彼女に、ディングレイも大きく頷く。少女は兎のような足取りで、彼を花畑へと導いた。
そこで追いかけっこをして、そして少女が練習中だと言う踊りも見せてもらい、ディングレイもそれを真似る。
途中で二人して転んで、そのまま笑い合った。
不思議な高揚と幸福感に包まれたまま、やがて意識が浮上した。
目の前には夢の中の少女――いや、女性への成長途上にあるケーリィンがいた。
彼女の白い手が、夢とは違い無骨な己の手を、まるで宝物のように包み込んでくれていた。
目覚めたディングレイに気が付くと、ケーリィンはホッとしたように顔をほころばせた。夢の中で見た笑みと同じく可憐な表情だが、年齢を重ねた分、ほんのりと色香も加わっていることに気付く。
綺麗な微笑みに見惚れつつ、ディングレイは小さな声で言った。
「……夢ん中で、小さい頃のあんたに会った。ガキになった俺が聖域で、あんたと一緒に遊ぶ夢だ」
夢の話など、この世の中で最もくだらない話題の一つだと、彼は考えている。
事実、他人の夢の話など聞かされても「だから何なんだ」という感想以外に見当たらない。
それでも幼いケーリィンに、存在するはずのない子どもの自分が出会ったことを、どうしても伝えたかった。夢の高揚感が、まだ続いているのかもしれない。
ケーリィンは嫌な顔など微塵も見せず、むしろほんのり頬を染め、どこか嬉しそうに聞き入っていた。
「楽しかったですか?」
「ああ。小さい頃のあんた、割とお転婆だったよ」
「ふふ、そうですね。たしかに木登りとか大好きでした。わたしも小さなレイさんに、会ってみたかったです」
「培養中の記録映像なら、まだ残ってた気がする」
「培養……?」
尋ねつつ顔を青ざめさせたケーリィンは、勘が良いに違いない。
優しい彼女についちょっかいを出したくて、ディングレイは続ける。
「ああ。パーツ毎に育てて、最後に接合したらしい」
「……パーツ、ですか?」
「内臓とか四肢とかだな」
「そ、そういうのは結構です……」
「特に肝臓がすくすく育ったって聞いてるな。観る?」
「結構ですって言ってるのに、どうしてまだ見せたがるの!」
本人は気付いていないかもしれないが、怒ったり追いつめられた彼女は、途端に口調が幼くなる。
ディングレイはそれが聞きたくて
だが、献身的な彼女をいじめ過ぎたらしい。
むくれるかと思いきや、ケーリィンはじっとりディングレイを見据える。
「そんな記録よりも、ご本を読んであげますよ。『白猫ポッチの大冒険』なんていかがです?」
今度はディングレイが青ざめる番だった。彼の予想を裏付けるように、ケーリィンはちらり、と天井へ視線を巡らせる。
自由な手で顔を覆い、彼は息を吐いた。
「何故、それを」
分かり切ったことを、つい訊いてしまう。
ケーリィンの回答も、やはり淀みないものだった。
「はい。天井裏が開いていたので、閉じるついでにじっくり拝見しました」
「じっくり見るな。せめてこっそりにしてくれ……」
「見るなら今しかない、と思ったので。でも、どうして隠すんですか?」
何故か悲しげに、ケーリィンは小首を傾げる。
ディングレイは指の間から、彼女の瞳を窺う。夢の中と変わらぬ、きらきらと、どこまでも清らかな金色の瞳だ。初めて彼女と出会った時、宝石のような目だと感じたのをふと思い出した。
「……ガキ向けの本が好きだってバレるのは、エロ本が見つかるよりみっともねぇだろ」
「そんなことないです。わたしも童話、大好きですよ」
そこで言葉を切り、彼女はディングレイの手の甲を優しく撫でる。
「それに、子どもに本を買ってあげるのは、大人だから。本当に素敵な物語は、子どもだって大人だって楽しめるんですよ」
力説する彼女に、降参だ、とディングレイは脱力してはにかんだ。
「リィンは優しいな」
照れるかと思いきや、彼女は小さく首を振った。
「ううん。わたしが優しいのは、レイさんが優しいからです」
「俺を優しいなんて言うヤツ、あんた以外に見たことねぇけどな?」
ディングレイが茶々を入れると、途端にケーリィンの目が泳ぐ。
「それは……そんなことは……だってこの前、おじいさんも……」
「爺さんが、なんて?」
「お買い物の時……いっぱい荷物を持ってくれるから、便利だなぁって……」
「うん、優しい評価ではねぇな」
思わず噴き出しながら返した瞬間、腹部の縫合跡に引きつった痛みが走る。ベッドの上で身をよじると、ケーリィンの顔が色を失くした。
「ごめんなさいっ。お話いっぱいしちゃったから、傷に障りましたか……?」
「障ったって程じゃねぇよ。ちょっと突っ張っただけだ」
とはいえ傷口が気になるのは事実なので、力の入らない腕と、ケーリィンの介助でどうにか上半身を起こす。幸い、包帯に新しい血痕は見当たらない。
起き上がったついでに壁の時計を見ると、ベッドに入ってから三時間ほど経っていた。どうりで窓の向こうが真っ暗なわけだ。
そのまま彼女に手伝ってもらい、包帯を外し、止血シートを貼り換える。
とはいえ体はほとんど言うことを聞いてくれないので、ディングレイはケーリィンにもたれるまま、されるがままであった。本当に子どもになった気分だ。
彼女の肩に体を預けていると、ふわりと甘い香りが鼻先をかすめた。いつだったか、街中で嗅いだ香りだ。
やっぱりケーリィンの匂いだったのか、と納得と共に安心感を覚える。
「リィン」
「どうしました?」
「なんでだろうな。あんたに触れてると……痛みが和らぐ気がする」
気のせいかもしれないが、柔らかな感触と共に、全身の疼痛が薄れつつあった。
くすぐったそうに、ケーリィンは笑う。
「良かった。じゃあ、もっといっぱい触ってくださいね」
が、続く言葉は男として聞き捨てならない。ディングレイは思わずしかめっ面になって、低くうめいた。
「……そういうこと、他の男には絶対言うなよ」
「え? どうして?」
「なんでもだ。いいな?」
「は、はい」
女の園で育ったためか、どうにも彼女は警戒心が薄い。特に、男性に対して。
だからエロ本探しを嬉々として行ったんだろうな、とディングレイは悲しい結論に至る。