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34:護剣士の見る夢

 鎮痛剤が効き始めると共に、ディングレイの意識は睡魔に絡め取られた。

 メンテナンスという名の苦行または拷問によって疲弊ひへいした体は、当初、夢も見ないほどの深い眠りを欲していた。


 だがしばらくして、ディングレイの意識は白い空間に迷い込んでいた。

 乳白色の天井に囲まれた、不思議な空間だ。空はないのに、周囲は木々であふれている。足元にも草が生い茂っていた。

 見覚えがあるような気もするが、どこだろうか、と周囲を見渡した時に気付く。


 自分の目線が、ずいぶんと低い位置にあるのだ。

 いや、目線だけではない。体全体が縮んでいるようだ。手なんて細くて丸くて、まるで子どもである。


 ――ああ、そうか。子どもになったんだ。

 夢の中のディングレイはどういうわけか、奇天烈な現象を当たり前に受け止めていた。


 自分が子どもになったのなら。ここは公園で間違いないだろう。

 子どもは集まってそういう場所で遊ぶものだ、と幼いディングレイは考えた。


 彼の考えを裏付けるように、一人の子どもがこちらへ駆け寄って来る。

 蜂蜜色の長い髪を二つにくくった、小さくて可愛らしい女の子だ。

 彼女の大きな金の双眸そうぼうは、ディングレイへの温かい想いで一層きらめいている。


 ――この子は僕が好きなんだ。そうだ。僕もこの子が大好きだ。

 ディングレイは再び、すとんと納得する。


 少女は躊躇なく、ディングレイの細い両手を取った。そして笑顔で息を弾ませ、彼に話しかける。

「あのね、遊ぼっ」

「遊ぶ?」

「そう。追いかけっこしてね、一緒に遊ぶの。ね?」

「うん!」

 屈託なく微笑む彼女に、ディングレイも大きく頷く。少女は兎のような足取りで、彼を花畑へと導いた。


 そこで追いかけっこをして、そして少女が練習中だと言う踊りも見せてもらい、ディングレイもそれを真似る。

 途中で二人して転んで、そのまま笑い合った。

 不思議な高揚と幸福感に包まれたまま、やがて意識が浮上した。


 目の前には夢の中の少女――いや、女性への成長途上にあるケーリィンがいた。

 彼女の白い手が、夢とは違い無骨な己の手を、まるで宝物のように包み込んでくれていた。

 目覚めたディングレイに気が付くと、ケーリィンはホッとしたように顔をほころばせた。夢の中で見た笑みと同じく可憐な表情だが、年齢を重ねた分、ほんのりと色香も加わっていることに気付く。


 綺麗な微笑みに見惚れつつ、ディングレイは小さな声で言った。

「……夢ん中で、小さい頃のあんたに会った。ガキになった俺が聖域で、あんたと一緒に遊ぶ夢だ」

 夢の話など、この世の中で最もくだらない話題の一つだと、彼は考えている。

 事実、他人の夢の話など聞かされても「だから何なんだ」という感想以外に見当たらない。


 それでも幼いケーリィンに、存在するはずのない子どもの自分が出会ったことを、どうしても伝えたかった。夢の高揚感が、まだ続いているのかもしれない。


 ケーリィンは嫌な顔など微塵も見せず、むしろほんのり頬を染め、どこか嬉しそうに聞き入っていた。

「楽しかったですか?」

「ああ。小さい頃のあんた、割とお転婆だったよ」

「ふふ、そうですね。たしかに木登りとか大好きでした。わたしも小さなレイさんに、会ってみたかったです」

「培養中の記録映像なら、まだ残ってた気がする」

「培養……?」

 尋ねつつ顔を青ざめさせたケーリィンは、勘が良いに違いない。


 優しい彼女についちょっかいを出したくて、ディングレイは続ける。

「ああ。パーツ毎に育てて、最後に接合したらしい」

「……パーツ、ですか?」

「内臓とか四肢とかだな」

「そ、そういうのは結構です……」

「特に肝臓がすくすく育ったって聞いてるな。観る?」

「結構ですって言ってるのに、どうしてまだ見せたがるの!」 


 本人は気付いていないかもしれないが、怒ったり追いつめられた彼女は、途端に口調が幼くなる。

 ディングレイはそれが聞きたくて口撃こうげきの手を緩めないのだから、レーニオの指摘通り、不遜な不良剣士であろう。

 だが、献身的な彼女をいじめ過ぎたらしい。

 むくれるかと思いきや、ケーリィンはじっとりディングレイを見据える。

「そんな記録よりも、ご本を読んであげますよ。『白猫ポッチの大冒険』なんていかがです?」


 今度はディングレイが青ざめる番だった。彼の予想を裏付けるように、ケーリィンはちらり、と天井へ視線を巡らせる。

 自由な手で顔を覆い、彼は息を吐いた。

「何故、それを」

 分かり切ったことを、つい訊いてしまう。


 ケーリィンの回答も、やはり淀みないものだった。

「はい。天井裏が開いていたので、閉じるついでにじっくり拝見しました」

「じっくり見るな。せめてこっそりにしてくれ……」

「見るなら今しかない、と思ったので。でも、どうして隠すんですか?」

 何故か悲しげに、ケーリィンは小首を傾げる。

 ディングレイは指の間から、彼女の瞳を窺う。夢の中と変わらぬ、きらきらと、どこまでも清らかな金色の瞳だ。初めて彼女と出会った時、宝石のような目だと感じたのをふと思い出した。


「……ガキ向けの本が好きだってバレるのは、エロ本が見つかるよりみっともねぇだろ」

「そんなことないです。わたしも童話、大好きですよ」

 そこで言葉を切り、彼女はディングレイの手の甲を優しく撫でる。

「それに、子どもに本を買ってあげるのは、大人だから。本当に素敵な物語は、子どもだって大人だって楽しめるんですよ」

 力説する彼女に、降参だ、とディングレイは脱力してはにかんだ。


「リィンは優しいな」

 照れるかと思いきや、彼女は小さく首を振った。

「ううん。わたしが優しいのは、レイさんが優しいからです」

「俺を優しいなんて言うヤツ、あんた以外に見たことねぇけどな?」


 ディングレイが茶々を入れると、途端にケーリィンの目が泳ぐ。

「それは……そんなことは……だってこの前、おじいさんも……」

「爺さんが、なんて?」

「お買い物の時……いっぱい荷物を持ってくれるから、便利だなぁって……」

「うん、優しい評価ではねぇな」

 思わず噴き出しながら返した瞬間、腹部の縫合跡に引きつった痛みが走る。ベッドの上で身をよじると、ケーリィンの顔が色を失くした。


「ごめんなさいっ。お話いっぱいしちゃったから、傷に障りましたか……?」

「障ったって程じゃねぇよ。ちょっと突っ張っただけだ」

 とはいえ傷口が気になるのは事実なので、力の入らない腕と、ケーリィンの介助でどうにか上半身を起こす。幸い、包帯に新しい血痕は見当たらない。


 起き上がったついでに壁の時計を見ると、ベッドに入ってから三時間ほど経っていた。どうりで窓の向こうが真っ暗なわけだ。

 そのまま彼女に手伝ってもらい、包帯を外し、止血シートを貼り換える。

 とはいえ体はほとんど言うことを聞いてくれないので、ディングレイはケーリィンにもたれるまま、されるがままであった。本当に子どもになった気分だ。


 彼女の肩に体を預けていると、ふわりと甘い香りが鼻先をかすめた。いつだったか、街中で嗅いだ香りだ。

 やっぱりケーリィンの匂いだったのか、と納得と共に安心感を覚える。

「リィン」

「どうしました?」

「なんでだろうな。あんたに触れてると……痛みが和らぐ気がする」

 気のせいかもしれないが、柔らかな感触と共に、全身の疼痛が薄れつつあった。


 くすぐったそうに、ケーリィンは笑う。

「良かった。じゃあ、もっといっぱい触ってくださいね」

 が、続く言葉は男として聞き捨てならない。ディングレイは思わずしかめっ面になって、低くうめいた。

「……そういうこと、他の男には絶対言うなよ」

「え? どうして?」

「なんでもだ。いいな?」

「は、はい」


 女の園で育ったためか、どうにも彼女は警戒心が薄い。特に、男性に対して。

 だからエロ本探しを嬉々として行ったんだろうな、とディングレイは悲しい結論に至る。

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