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36:火吹き狼は囮役がお好き

 上着を羽織ったディングレイを支え、二人で神殿の外へ出る。

 幸いと言うべきか、魔獣は探すまでもなかった。

 やはりリズーリと、田舎の警官だけでは役不足だったらしく、三頭が市内に侵入していたのだ。


 ディングレイがマルコキアスを視界に捉えつつ、ケーリィンを背に隠した。

「リィン、下がって援護を頼む」

「は、はいっ」

 彼女の返答を聞き終えるより早く、剣を握り直したディングレイが飛び出した。

 そして住人が立てこもっている家を、今にも炎で炙らんとする一頭へ肉薄する。


 ディングレイはマルコキアスの間合いに入ると同時に、剣を抜き放った。

 だが剣筋は普段よりも鈍く、後方へ飛んだ魔獣の真っ黒な体毛と、表皮を切り裂くに留まった。

「クソッ!」

 痛みに脂汗をにじませるディングレイが、舌打ちをする。


 間一髪で命拾いしたマルコキアスは、口を開き、彼へ炎を吐き出した。

 だがその炎は、涙目で大慌てのケーリィンが魔術で作った、土壁によって阻まれる。

 いや、術札に供給した魔力量が多すぎたため、壁と言うより小山が出来上がった。


 それは地面から沸き立つように、超高速で出現した。喉奥に炎をちらつかせる、マルコキアスを巻き込んで。

 小山によって打ち上げられ、成す術なく宙を舞う魔獣の姿に、ディングレイはたまらず噴き出す。

「こりゃひでぇな!」

「ひゃっ……ごめんなさい!」

 ケーリィンは焦るも、実践経験豊富なディングレイは動じなかった。


 打ち上げられたマルコキアスが空中で一瞬停滞した後、落下を始める。

 それを見据えてディングレイは笑いを消し去り、自身も壁の上へと跳躍する。


 彼が頂上に飛び乗った瞬間、落下するマルコキアスとの距離がゼロになる。無様に四肢を動かす魔獣を今度こそ、一閃で屠った。

 そのまま返す刃で、背後から飛びかかって来たもう一頭をも斬り伏せた。


 仲間の惨状を見、逃亡を図った残りの一頭は、ケーリィンが毒霧の術札で動きを止める。

 今度は魔力量を抑え、魔獣だけを取り囲むように赤紫の霧を形成した。

 マルコキアスの動きが鈍くなったところで、ディングレイが小山を飛び降りる。

 危うげなく着地した彼は、霧を切り裂き、苦悶の魔獣に止めを刺した。


 三頭を討伐するのに、結局五分もかからなかった。ケーリィンは改めて、彼の実力の高さを知った。

 思わず尊敬の目線をディングレイへ注ぐ。彼もケーリィンのキラキラした視線に気づいた。

「初めての実戦にしちゃ、見事なもんだな」

 刃の血をシャツの裾でぬぐい、ディングレイはニッとケーリィンへ笑いかけた。


 そしてケーリィンが、彼の言葉にはにかみ笑顔を返していると、遠くから絶叫が聞こえて来た。類まれなる声量である。

 街を取り囲む森から聞こえたそれは、段々とこちらへ近づいて来ている。


 もはや騒音に近い声の方向へ二人が振り返ると、涙と鼻水でぐしょぐしょのレーニオが、文字通り土煙を上げて走り込んできた。

 背後にはマルコキアスの残党が二頭、ピッタリと彼に肉薄している。

 気のせいだろうか。ケーリィンは魔獣が、はしゃいでいるように見えた。


「なんでこっちに来るんだよぉぉー! 助けてぇー!」

 どうやらレーニオは、本当に囮役をやらされたらしい。しかも彼は火吹き狼にとっても、おちょくる相手のようだ。

 ケーリィンは竜神様の有言実行ぶりに寒気を覚えつつ、先ほどの要領で魔獣たちの鼻先に壁を発生させ、レーニオと切り離す。

 突然の障害物にたじろぐ二頭の背後を、ディングレイが素早く取った。


 二頭はそれに気づくと同時に、首を切断される。切断面から飛び散る赤黒い液体が、障壁とディングレイをしとどに濡らした。


 死の危機が去ったことを、恐々振り返って悟り、レーニオはその場に突っ伏した。

 そのままぴくり、とも動かない。ケーリィンがおっかなびっくり声を掛ける。

「レーニオさん……大丈夫ですか?」

「おい、無事か?」

 さすがのディングレイも気遣わしげだ。壁から顔をのぞかせ、彼に声をかけた。


 泥だらけで、あちこち擦り傷はあるものの、レーニオは五体満足であった。

「はい……生きて、ます……でも、もうちょっとだけ、寝かせて……」

 ただ走り過ぎたためか、恐怖がまだ癒えないのか、白目を剥いていた。血みどろのディングレイを見ても、いつものようなキレの良い反応がない。


「レーニオ君、お疲れ様ー」

 諸悪の根源は、レーニオと大差ないボロボロの警官を二人従え、草むらをかき分けて現れた。

 途端、レーニオの黒目がギュルンと復活した。顔も険悪になる。

「おい、竜神。一般人を囮にすんなよ」

 これでも静養が必要なディングレイは、怒る余力もないらしい。ただ疲れた顔で、リズーリをうんざり見据えていた。


 髪一つ乱れていないリズーリは、優雅に手を振る。

「いやいや、これには考えがあったんだよ。だってほら、レーニオ君は不埒で腐った性根だろう? そういう人間は、魔獣に好かれやすいんだよ」

「だっ、だだだ、だからって! 化物の群れ目がけて、蹴っ飛ばす神様がいますか!」

 まだ足に力の入らないレーニオは、匍匐ほふく前進で涙ながらに抗議する。

「だけどワンワン達も、君を追いかけるのに夢中だったから、延焼も食い止められたよ。偉い偉い」

「……偉い偉い言われても、僕ぁ許しませんからね! 犬も大嫌いだぁ!」

 ご近所さんから密かに馬鹿犬扱いされているのに、レーニオはとうとう同族嫌悪を催した。


 困ったなぁ、とリズーリは首をひねる。

「ご褒美に、親戚の人魚ちゃんを紹介しようと思ってたんだけど」

「……」

 黙ったままだが、レーニオの目がぎらついた。

「可愛いよ、僕が保証する。だって僕の親戚だもん。ヒレも乾かせば足になるから、地上デートも出来るよ?」

「……ま、まぁ、僕の犠牲で街が救われたんならね。ふふん、本望ですよ!」

 いっそ清々しいまでに、レーニオは機嫌を直した。


「あいつ、安上がりだな」

 ディングレイがぼそりと呟く。それにはケーリィンも同感であった。こっそりと、苦笑いで頷く。


 レーニオの足の震えが弱まり、生まれたての小鹿のように立ち上がった頃、わらわらと三人の警官も森から戻って来る。

 ランタンと警棒を手に、倒し損ねた魔獣がいないか見回っていたという。

「で、連中が迷い込んだ原因は何だったんだ?」

 ケーリィンに支えられたディングレイが、警官の一人を見据える。


 魔獣の血に染まったディングレイの凄惨なる有様に、警官は裏返った声ではひぃ!と叫んだ。

「マルコキアスのグループはですね、こちらの少女を追って、ここまで迷い込んだものと思われます! はい!」

「少女、ですか?」

 ケーリィンが視線を巡らせると、一人の警官の陰に隠れるようにして泥だらけの少女がいた。大きな怪我はしていないようだった。

 彼女の顔は、警官が壁となり伺えない。代わりに鮮やかな紫の髪が、街明かりに照らされる。


「……ヴァイノラさん?」

 髪色を目にして、ケーリィンが思わず呟くと。

 強張った表情のヴァイノラその人が、サッと顔を上げた。

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