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第二話 荒唐無稽な違和感。

「……………………………………っ! いけね!」


 紅茶を飲みながら眠ってしまっていたことに気づいて慌てて飛び起きる。


 しまった。

 どのくらい経ったんだ? お嬢様から目を離すなんて。

 この半年で十五分睡眠に馴れたと思っていたけど、駄目なものは駄目だったみたいだ。


 何か問題が起こっていないか慌ててお嬢様の眠るベッドを見るが。


「――――――ッッ‼」


 ベッドにお嬢様の姿は無かった。


 一瞬で様々なことが同時に頭を駆け巡る。

 脳の血管が一気に開いて、目の奥が燃えるように熱くなる。

 身体中の毛穴から汗がにじむ。

 熱が目から放たれて、目から炎が漏れる。


 さらわれた? 徘徊はいかい? 何処へ? 何故? 誰だ? 何故寝た? 探す? 何処へ?


 ぐちゃぐちゃに入り乱れる最悪の可能性に、僕は結論を出す前に部屋のドアに手をかける。

 頭ではなく身体が、部屋を飛び出してお嬢様を探すという結論を出した。


 焦りに焦っているし落ち着きもない、冷静さも正常な判断能力もないし状況もわからないけど、どうでもいい。


 いては事を仕損じるなんて馬鹿な言葉を信じてはいない、どうあっても駄目な時は駄目だし適当でも初手で最善手を掴むこともある。


 急いで慌てて焦るしか僕には――。


「あら、えっと……ノワール。どこか行くの?」


 部屋の奥にあるシャワールームから髪を拭きながら、下着姿のお嬢様は僕にあっけらかんと問いかけた。


 その姿に僕の目の炎が涙で鎮火し、一気に熱が冷める。

 身体中の力が抜けて、膝から崩れるのに合わせてかろうじて受身を取る。


 良かった……いやマジに焦ったぁ……。

 ああ、まだ手が震えている。

 そうかお嬢様はシャワーを浴びていただけだったのか。

 僕がお嬢様の身体を拭く前に眠ってしまったから、一人で………………


 僕はぐるんと回るように立ち上がってお嬢様に向き直す。


「ん……なによ、調子悪いんなら寝ておきなさい。何かあったら起こすから、ここで倒れられても私が困るのよ」


 きしむボロの椅子に下着姿のまま足を組んで、数日前の新聞に目を通しながらお嬢様は僕を見ずにそう言った。


 どういうことなんだ……?

 この半年間、お嬢様は能動的に歩くことすらままならないほどに心が壊れてしまっていた。

 それが一人でシャワーを浴びて、新聞を読んで今の僕の状況に則した発言をしている。


 いや僕の状況だけでなく、僕らの状況。

 つまりこの逃亡生活についても理解をしている……?

 あの日で止まり、遡行そこうと回帰を繰り返していたお嬢様の時間が動いた?

 違和感と疑問が尽きない、好転している……いや有り得るのか? この状況で流れが変わることが――。


 とにかく。

 それよりなにより僕はお嬢様に向けて言わなくてはならないことがある。


「ジュリエッタ様、まずは服を着てください」


 僕はそう言いながらお嬢様に衣服を差し出す。


 眠気どころじゃなくなった。


 お嬢様に服を着ていただいたことにより、僕の頭の中はちゃんと疑問だらけになっていた。


「ノワール、とりあえず私の心神喪失状態は脱したと考えていいわよ。今まで本当にありがとう。まあ家が燃えてからの半年間の記憶はわりと曖昧あいまいなんだけどね」


 さらりとぶっきらぼうに、爪にやすりをかけながらお嬢様は言う。


 いやはやそれは本当に何よりだ。

 こんなに嬉しいことはないという奴だ。

 本来なら涙が出るほど喜ばしいこと、なんだけど……。


 お嬢様……だよな?


 荒唐無稽こうとうむけいな違和感だけど、お嬢様は……ジュリエッタ・ディアマンテはこんな話し方をされる方ではなかった。


 お淑やかで品行方正、勤勉で丁寧だ。

 多少僕の中で美化されているとしても、こうじゃあなかった。


 少なくとも下着姿で部屋をうろついたり、人と話しながら爪の手入れをしたりするような人間ではない。


 でもここ半年間のお嬢様からすれば、今のお嬢様はずっと正常だし正当だ。


 自分で立って歩いて能動的に行動して状況に即した発言をされている。

 半年前の出来事と半年間の逃亡生活を考えれば、このくらいの変化はあってしかり…………なのか?


「どうしたの……? じろじろ熱い視線を……、ああ、やっぱり脱いだ方がいいの? とんだ助平野郎ね、あなたは……」


 疑問をめぐらせながら見つめていた僕に、お嬢様はそう言いながら衣服のボタンに手をかける。


「いやいやいや! 着ていてください! 申し訳ございませんでした! 決して不埒ふらちなことは考えていません!」


 僕は慌てて否定をしてそっぽを向く。


「ははは、ジョークよ。第一あなたはこの半年間私の裸体を拭いてくれていたんでしょう? 今更互いに恥ずべきところじゃあないわよ」


 嬉々としてお嬢様は言う。


 か……からかわれたのか、僕は。


 しかし本当に、おかしい。

 お嬢様はこんな冗談を……いや決してユーモアがないわけではなかったのだけれど、こういうセクシャルな雰囲気のユーモアを出すタイプの人間では……。


 心神喪失から戻ってややハイになっているのかもしれない。


「じゃあ買い物に行くわよ。ノワール」


 どぎまぎする僕を気にせずにお嬢様は立ち上がる。


「……何をお求めでしょうか」


 僕は直ぐに切り替えて、先んじてドアを開きながら問うと。



 スカートのポケットに手を入れてふてぶてしく、予想外の品を述べた。


 お嬢様を連れて潜伏中の裏町で買い物を行った。

 行動を共にできるというのは大きい、お嬢様を常に視界に入れておけるのでいつもよりゆっくりと日用品などの買い込みも行えたのはありがたい。


 今まではどうしても可能な限り急いで、お嬢様から目を離す時間を極力減らさなくてはならなかった為に充実した買い出しは行えなかったのだ。


 まあそれはそれとして。


 これは一体なんなんだ?


 買い物から帰って来たお嬢様は、煙草くゆらせながら今日の新聞を熟読している。


 一応言っておくと、この国において違法な薬物を取り締まる法律はあるけど煙草や酒は特に年齢などによる規制はない。

 ただどちらも子供の口に運んではならないものとして周知されているし、良くないものとされている。


 貴族でお嬢様くらいの年齢の者ならたしなむ方もいるのかもしれないが、昨今の医療推進の流れを受けた健康志向でティーンエイジャーの喫煙も良くないとされ、お嬢様の通っていた学園でも園内での学生の喫煙は禁止されていた。


 僕の子供の頃、故郷にある診療所の先生や道場にちょこちょこ来てた助手のお姉さんも煙草を吸っていたので別に喫煙趣味というものに嫌悪や抵抗は特にないのだけれど。


 でもお嬢様は……。


 まあ何が言いたいのかと言えば、僕が知る限りお嬢様は煙草をたしなむ趣味はなかったはずなのだ。


 屋敷の使用人の中には何人か喫煙する者はいたが、旦那様も奥様もお酒はたしなんでいたものの煙草の趣味はなかった。

 そもそもお嬢様の人生に、煙草が登場する機会はほとんどなかったはずなのである。


 じゃあ何故、お嬢様はふてぶてしく鼻と口からゆらゆらと煙を漏らして見事なまでに煙草をたしなんでいられるんだ?


 ……いや、そんな。


 荒唐無稽な考えが一瞬だけ頭をかすめ、かすったところからじわじわとその考えが頭に広がって、あっという間に染め上げる。


 あるのか? そんな馬鹿なことが。


 僕は緊張で浅くなった呼吸を整え、半身はんみに構えて軸を通して脱力し、重心をいつでも動かせるように指先とつま先にまで気を巡らせて。


「…………


 その馬鹿なことを、言った。

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