でもそれしか考えられない。
今、目の前にいるお嬢様はお嬢様じゃあない。
別人と入れ替わっている。
僕がお嬢様を見間違えるわけがない。
だが、これはどう考えてもお嬢様ではない。
悪意や敵意は感じない、言葉遣いは違えど節々にお嬢様の優しさを感じることもある。
でも行動がまるで違う。
僕は誰よりお嬢様を見てきた。
僕より僕の違和感に確信が持てる人間を、僕は他に知らない。
確信を持って僕はお嬢様へと不敬な眼差しを向ける。
「…………へえ、ノワール。やっぱり貴方は素晴らしいわね、素直に好きよ私、貴方のこと……ねえノワール」
甘い煙草の香りに包まれたお嬢様の姿をした何かは、優しい笑顔で。
「前世の記憶が戻ったって言ったら、笑う?」
そう言った。
稀に、この世界とは異なる世界での記憶を持った人間が現れることがある。
生まれた時から記憶を持っていたり、何かをきっかけで思い出したりするようでお嬢様は後者だったようだ。
最後に確認された異世界転生者は百何十年以上前だったので、その存在にすら懐疑的な奴らもいるが僕の故郷にも四百年くらい前に異世界転生者が現れたと伝わっている。
僕の使う、合気道を伝えた人物だ。
今も昔も辺境の地にあるド田舎な村に道場を開いて村人たちへ合気道を通して護身の極意を教え、盗賊や敗残兵の襲撃すらも非武装で返り討ちにして捕らえてしまうような異常な村へと変えたらしい。
故に、僕もその流れを汲む者が故に、異世界転生が絡むというのなら納得が出来てしまう。
半年間に渡る心神喪失状態をきっかけに、お嬢様は異世界の記憶を思い出した。
その記憶、というより人生に多大な影響を受けた。
お嬢様の思いと想い、かつて生きた世界での記憶、感情、理性、全てが混ざり合って。
ジュリエッタ・ディアマンテは立ち直り、立ち上がった。
「そゆこと、貴方の違和感は間違いじゃあない。でも間違いなく私は私よ。ただほんの少しばかり前の記憶に引っ張られた思考と趣向を持っただけなの」
煙草の火を消しながらお嬢様は僕の理解を肯定する。
「さて、ノワール。改めてこの半年間の逃避行、記憶は
お嬢様は僕の知る優しい笑顔でそう言った。
ああ、やっぱりお嬢様はお嬢様なんだ。良かった、そりゃあそうだ。大事なのはお嬢様が無事であることなんだ、煙草や言葉遣いなんて
「さあ、逆襲を始めましょうか」
僕の安心を引き裂くように、邪悪な笑みを浮かべてお嬢様は宣言をする。
ああ、確かに煙草や言葉遣いは
国軍や捜査機関に追われ、追い込まれ、
立ち上がるという、そういう話だ。
なんて大それた感じに言ってはみたが、始まったのは現状についての把握や残りの金銭、ここに
とにかく事細かに質問攻めにあっただけだ。
お嬢様はその答えを、煙草を
「……なるほど、訓練を受けている五人を同時に相手……
僕の話を聴きながら呆れるようにお嬢様は漏らす。
「逃走経路は正直甘いけど悪くはない。特に今居るこの拠点は良い。恐らく捜査網の中でもかなり優先度は低いし町を仕切ってる輩も思想が強めっぽいから私たちみたいなワケあり逃亡犯を国の組織に売るつもりはない。今までの
僕の話をメモしながら、
お嬢様は確かに賢く、勤勉だ。
でもこんな……。
「…………ジュリエッタ様、ご質問よろしいでしょうか」
「ええ、よくってよ」
お嬢様は僕に快く質問の許可を出す。
僕の知る限りお嬢様は確かに賢くて勤勉だったが、こんな逃走劇に必要な思考回路は持ち合わせてはいなかった。
トラブルとは無縁の温厚な箱入り娘なのだ。
つまりこれが、異世界での前世の記憶からの影響というやつなのだろう。
だとすれば。
「前世のジュリエッタ様はいったいどんなお方だったのでしょうか?」
僕は当然の疑問を投げかける。
異世界転生者は合気道のように、この世界にはない異世界特有の知識を持つ。
前世が合気道家なら合気道を伝え、料理人なら料理、科学者なら科学、元の人生に基づいた専門的な知識を広める。
専門的な知識を持たない人物でも異世界での一般的な教養でもこの世界には有用なもの多いだろう。
でもこれは、お嬢様のこれが異世界での一般教養とは考え
「んー……、例えば」
お嬢様はゆったりと新たな煙草に火をつけながら語り出す。
「パン屋さんが新商品としてサンドイッチや惣菜を挟んだパンを売りたいと思ったとする、でもパン屋さんには美味しいパンを作ることは出来ても具になる美味しいお惣菜を作るノウハウは無い」
例え話は続く。
「一方、別のお弁当屋さんは新商品に美味しいお惣菜を使ったパンを売りたいと考えていたとする、お弁当屋さんもまた美味しいパンを作るノウハウは無い」
僕は続く話を真摯に聞く。
「なら、この二つを繋げてしまえば美味しいお惣菜のパンが出来上がるでしょう? だから私は、この二つを繋げてコストの調整やお互いの要求のすり合わせをする。そういう人と人をぴったりと繋げてくっつけて、双方の根本的な願いを叶えることを仕事にしていたの」
お嬢様はそう言ってゆったりと煙を吐く。
なるほど……。
僕は商いに詳しいわけではないけれど、そういう仲介をして報酬を得るというのは確かに仕事になりそうだ。もしかしたらこの国にも似たような仕事があるのかもしれない。
話は理解できたけど……、それが今のお嬢様の思考回路にどう繋がるんだ?
「今のは例え話よ。別に私はパン屋さんとお弁当屋さんみたいな飲食店だけをくっつけることを仕事にしていたんじゃあない」
疑問を持ったままの僕の顔を見て呆れたようお嬢様は続ける。
「おかずはあるけどお米がないもの、お金はあるけど家族がいないもの、殺したいのにやり方がわからないもの、国を滅ぼしたいのに協力者がいないもの……、そんな人々へ私は互いに足りない部分を補える人々を繋げてくっつけた。何だってどんな願いだって、叶えてきたの」
ゾッとするような笑顔を見せながら語りは続く。
「そんなことを続けていたら、国境線が消えたり新たに増えたり数万人が救われたり数万人が命を落としたりして、私は全世界指名手配犯として追われることになっちゃったのよね」
さらりと、お嬢様はとんでもないことを言った。
想像を絶する規模感で語られる前世のお嬢様に、言葉を失う。