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第一話 マリアンヌ・アダムスキー男爵令嬢。

 俺、つまりダン・ホワイトはマリアンヌ・アダムスキー男爵令嬢に仕える、いわゆる執事ってやつだ。


 ガキの頃、物心が着いた頃に親が死んで旦那様に拾われた。

 旦那様は俺を拾ってから程なくして爵位を得てアダムスキー男爵となり、すぐに奥様との間にマリアンヌ様が生まれた。


 俺は旦那様より、マリアンヌ様の世話をするように幼少の頃から育てられたというか造られた。

 別に文句はないし、嫌だと思ったこともない。俺はアダムスキー家の人間が大好きだし、この暮らしが好きだ。


 


「ダン! 見なさい、あれがですわよ!」


 マリアンヌ様は学園の食堂近くの廊下で、柱に身を隠しながら女生徒を覗き込んで嬉々として言う。


「平民枠の生徒を相手に難癖をつけて……あ! 扇で口元を隠しながら高笑いしましたわよ! 流石レイナ嬢……、凄まじい悪役令嬢っぷりですの……」


 覗き込みながらマリアンヌ様は慄く。


「…………はぁ……」


 俺はため息をつく。


 問題はだ。

 マリアンヌお嬢様は現在、悪役令嬢とやらにお熱なのだ。


 お嬢様は昔から何かにハマると、とことんハマる。

 幼き頃にはローゼンバーグ公爵夫人の眼鏡がかっこいいと眼鏡に憧れ、俺も付き合って着用することになった。

 まあ、お嬢様は目が悪くないのですぐに眼鏡は外したのだが、未だに俺は伊達眼鏡をかけている。


 演劇で姫を見たら姫となったお嬢様に対して一生俺は悪い魔女と王子の二役をやっていたし、運動にハマった時はお嬢様をサポート出来るようにお嬢様の倍は走り込まされた。


 それが今回、悪役令嬢なのだ。


 最近読んだ何かの恋愛小説で登場した悪役令嬢とやらが、琴線きんせんに触れたらしい。


 俺はまだその小説を読めていないので何がどう熱いのかわからないが、近年稀に見るハマり方だ。


 お嬢様も十六にもなって、小説の中の登場人物に憧れるなんて幼稚なようにも思えるが、ごっこ遊びが俺たちの遊び方なのだ。別に俺も嫌いじゃあない。


 だが今回は少し違う。


 眼鏡のように誰にも迷惑をかけないものでもなく、姫の真似のように貴族的な社交性や礼儀作法を身につけるようなものでもなく、運動のように体力作りに一役買うものでもない。


 悪役令嬢は、単純に他者へ悪事を働く者なのだ。


 俺らのごっこ遊びで完結するものなら、なんら問題もないのだが、貴族の子息令嬢と王家の者が集うこの学園において悪事は本当にまずい。


 そもそもアダムスキー家はこの国においてかなり新参の貴族だ。

 爵位も五爵の中で一番下の男爵家、立場としてはかなり弱い。

 とはいってもアダムスキーの意味を知る上級貴族が、マリアンヌ様に横柄おうへいな態度を取ることもないのだが。


 マリアンヌ様はお熱に成りやすいという変わった一面を持つが基本的に興味を持ったものは何でも深く勉強するので座学成績も良く、姫ごっこのおかげで礼儀作法の評価も高いし運動も同年代の女生徒の中ではかなり動ける。


 身内の目から見ても、かなり優秀だ。


 優秀な下級貴族ということで今でも多少やっかまれている節があるのに、そこで悪役令嬢なんてしたら変に目をつけられてしまう。


 それは絶対に避けなくてはならない。


「……凄いわね、見事な悪役令嬢だわ……。どうやったらあんなに嫌味な言い回しを……」


 興味津々にマリアンヌ様はレイナ・ローグ様を熱心に覗きながら呟く。


 はあ……、いや参った……どうすればいいのだろうか。


 ちなみにレイナ・ローグ侯爵令嬢は全く悪役令嬢ではない。


 ローグ家と旦那様は親交が深い。

 何度か付き添いで侯爵ともお会いしたこともあるが、旦那様が良い子にしているというとお菓子をくれたりした。

 悪とは程遠い法と公平さによって安寧と秩序を重んじている方だった。


 あの家で理不尽に難癖をつけるような子供が育つはずがない。


 大方、なまじ法の知識と公平さがクリティカル過ぎてちょっと注意か何かをするつもりが思いっきり論破しちまったんだろう。


「やっぱり、レイナ嬢は参考になるわね……、普段はあんなに優しいのに平民枠の下級生への見事な意地悪を……やはり悪役令嬢には二面性が必要不可欠ですわね。ダン、メモを取りなさい」


 マリアンヌ様はおののきながら俺にそういうので、言われた通りにメモを取る。


 えっと……大事なのは二面性……っと……、じゃなくて。


「マリアンヌ様、そもそもこの学園には――」


「言葉遣い。もっと悪者執事わるものしつじみたいに話をして」


 マリアンヌ様は俺の言葉を遮るように、指摘をする。


 わ、悪者執事わるものしつじ……、良い奴だろうと悪い奴だろうと執事は執事だろう……。


 なんだろう嫌な奴とは違うんだろうし……いーや難しいな! なんだマジで悪者執事わるものしつじって。


「……マリアンヌ様、少々わたくしめのたくらみを聞いて頂いてよろしいでしょうか?」


「ええ、よろしくてよ」


 少し影のありそうな雰囲気で不穏なワードを混ぜて問いかけると、マリアンヌ様は嬉しそうに返す。


 ああこんな感じで良いのか……、まあとにかく。


「この学園に男爵令嬢であるマリアンヌ様より立場が低い貴族の子息令嬢はおりません。更にマリアンヌ様は高等部一年、高等部では最下級生です。故に侯爵令嬢で上級生であるレイナ嬢のように動くのは難しいかと」


 俺はとりあえず現実を語る。


「確かに、では貴族の子息令嬢ではなく平民枠の生徒を標的にして理不尽な意地悪をするのはどうかしら?」


 マリアンヌ様は口元を抑えながら、俺を試すように問う。


「……なりません。そもそも平民枠の生徒は同世代の平民より抜きん出た学力や知性と教養を評価され選ばれた存在です。失礼ながら、貴族に生まれ何もせずとも一定の地位を得るだけの男爵令嬢がこの学園で学ぶ平民より上の立場にあるとは言えません。権威を振るうのは、それに見合う者でなくては」


 俺はマリアンヌ様の問いを真っ向から打ち砕くように答える。


 この考え方。


 


 これは旦那様、アダムスキー男爵が提唱する貴族論だ。

 貴族という生まれに甘んじて、何もせずに富を貪るのを良しとしない。


 例え貴族であっても、それは貴族だから偉いのではない。

 貴族は平民より出来ることが多い、だからやるべきことも、責任も多い。

 それらを背負い、こなして、全うすることで貴族は貴族たりえるのだ。


 マリアンヌ様は優秀だが、子供だ。


 まだ何も成していないし背負っていない。

 例えごっこ遊びでもアダムスキー貴族論に反することは、あってはならない。


 そして無論、こんなことはアダムスキーの子として生まれて育ったマリアンヌ様も重々承知であり、爪の先から髪の先まで、そうやって出来ている。


「その通り。そんな美しくないやり方を私は絶対にしない。私は私を過不足なく知っている、私はまだ何者でもないし私が何者かに成った時もまた、誰かを下げて自身を上げるようなやり方をとしない」


 マリアンヌ様はしっかりと、アダムスキーな答えを述べる。


「じゃあ私はどうする思う?」


 にやりと悪い笑顔を浮かべてマリアンヌ様が問いを向ける、なるほど、確かにその顔は悪役令嬢っぽい。


 どうする……って、こちらとしては諦めてもっと健全なものに熱中してほしいのだけれども……、この顔はどうにもそうじゃあないらしい。


「一体どんなたくらみをお持ちで?」


 俺もまた、にやりと悪者執事わるものしつじっぽく問い返す。


「ふっふっふ……、まず狙いは私の嫌いな何者でもないのに権威を理不尽に振るい不当に上位へ立とうとする者。私はそういった方を例え爵位が上の家柄でも、立場が上とは認めませんのでしてよ。おーっほっほっほっほーっ!」


 マリアンヌ様はそう語って下手っぴな高笑いで絞める。


 …………なるほど? まあ確かにそれであればアダムスキーからは外れてはいないけど……それは悪役令嬢…………なのか?


 疑問は残るけども、アダムスキー家の貴族論から外れることがないのならとりあえずは良しとしたいのだけれど。


 爵位が上の貴族子息令嬢に喧嘩を売って行くのはなかなかにエキセントリックで、ごっこ遊びの範疇はんちゅうを超えていることに変わりはない。


 こちらに義があろうとも、この学園でトラブルを起こすこと自体が良くない。


 ……でもまだまだこの熱は冷めないか。


「では、その企みの為にまずマリアンヌ様はしっかりと学業成績を不正なく上げて文句の付け所ない誰もが認める模範的な生徒でかつ、誰もが尊敬する淑女に成らなくてはなりません」


 俺は悪者執事わるものしつじのイメージで眼鏡をくいっと上げながら、出来るだけこの熱がマリアンヌ様の為になるようにうながす。


 子供に無茶を諦めさせるために、じゃあ勉強しろ! と、言うのと同じようなものだが。


 俺は知っている。

 このお嬢様は、これじゃあ止まらないことを。


「確かに、その通りですわね。とりあえず次の試験では全科目においてを目指しますわ。それと、扇も買いましょう。レイナ嬢のあれはとても悪役令嬢らしい小道具ですわ……」


 さもありなんとマリアンヌ様は、とんでもないことをのたまってみせる。


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