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緊急事態宣言発出 2

 私はいつも通り家を出て、店に向かった。美津子も同じ時間に出た。共に顔色は暗い。朝、家で話したことがそのまま心に残っており、笑顔で、というわけにはいかないのだ。

 途中で分かれ、私は1号店へ、そして美津子は2号店に行くために駅へと向かった。

 道すがら、私は最近の様子や対応について皆と話してみようと思った。話したからといってすぐに妙案が浮かぶとは思えないが、少なくとも皆の考えが分かる。そこでまた心を一つにして頑張れればと思ったのだ。

 店に着くと、すでにチーフの矢島がいた。

「おはよう」

 私はいつもに増して元気な声で挨拶した。

 矢島は厨房の奥で何やらやっていたので、私が店に入ったことに気付くのが遅れたようだった。それで返事も遅れたが、いつもと変わらない感じだった。この時間、まだアルバイトのスタッフはいないので、開店準備しながら矢島と話すことにした。

「矢島君、手を動かしながらで良いので、ちょっと話そうか」

 自分の心の問題からどうしてもいつもと異なる雰囲気になってしまうが、何か会話のきっかけを作らなければならない。ならば話そう、という言葉で直接的に伝えるのが早いと思ったのだ。

 だが、私のいつもと違う雰囲気に、矢島の表情が硬くなった。

「そんなに緊張することはないよ。ちょっと最近の状況について話すだけだ」

 必要以上に笑顔を作り、矢島に言った。

「突然改まって言われるから、ちょっと驚いちゃいましたよ」

「すまん、すまん」

「で、何の話ですか? 新型コロナの話ですか?」

「そう、そのことだよ。テレビなんかで話がいろいろ出ているだろう。俺たちの商売は平和な時、みんなの息抜きの場として成り立つ。でも、今のような状況が続けば、どんどん大変になっていくだろう。以前、将来の夢として居酒屋を考えているような話をしていたから、ここは経営者になったつもりで話を聞けたらと思って尋ねたんだ」

 この時私は、矢島を一スタッフとしてではなく、同業者的な視点からの意見を聞きたかったのだ。矢島もこの店に来て長いし、先日美津子とも3号店の店長候補、あるいはフランチャイズ店の第1号候補として考えた経緯がある。ここで矢島の経営観を聞いてみようと思ったのだ。

「俺も俺なりにテレビなどで気にしていました。この前話したと思いますが、昔、肺炎になった経験があるから、呼吸器系の病気の苦しさは知っているつもりです。そういう気持ちでニュースを見ていると先月の真ん中くらいですか、神奈川で80代の女性が初めてコロナで亡くなったっていうじゃないですか。まだ身近に迫っている感じじゃないけど、そういう話を聞くとちょっと怖い感じです。しかも、海外渡航歴が無いということですから、国内で感染したわけですよね。俺、その話を聞いてから手洗いやうがいをきちんとするようになりました。だから店長がお店でマスク着用やアルコール消毒液を置こうという話に安心したんです。みんなの手前、あまりそういうことを表には出しませんでしたけどね」

 なんだか矢島の本音が聞けたようで、その言葉に内心、私の気持ちも緩んだような気がした。新型コロナウイルスについて、心配している人が身近に存在していたことに一種の連帯感のようなものを感じたのだ。


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