私が店に着き、椅子の数の調整をしているところに矢島がやってきた。
「おはようございます。今日、早いですね。それで何をやっているんですか?」
「あぁ、おはよう。昨日のテレビ見ていない?」
矢島に尋ねたが、あのことかといった表情だった。
「『3密』の話ですね。俺も見ました。だからいつもより早く出勤して、椅子のことなんかを考えようとしていたんです。でも、店長が先に着かれていたんですね」
矢島が答えた時、私は手を止め、今朝美津子と話したことを伝え、今後のことについて相談することにした。椅子のことはすぐにできるし、業者への電話もそんなに時間がかかることではない。ただ、家にいても仕方ないので、早めに来て何かやらないとという思いのほうが強かったので、そこに矢島が来たなら一緒に対応を考えようということにしたのだ。基本的なことについては美津子と話してあるが、1号店を切り盛りしているのは私と矢島だ。美津子と話しているだけでは店は回らないし、上意下達というのは私の本意ではない。店のスタッフときちんと意思の疎通を図り、良い意見であれば採用し、みんなのやる気が出るように図りたいと思っている。
もちろん、基本的な方針や話のたたき台になるようなことについては私や美津子と話したことなどがベースになるが、それを元に話を広げていくというのがウチの流儀であることは矢島も心得ている。だから先日のミーティングのような感じになるわけだが、『3密』対策についてはまだテレビで耳にしたばかりだ。だから、このことについては初めて話すことになる。
席を間引きして『密集』ということは何とかなるとして、『密閉』空間を作らないというのは換気を意識してのことなので、現在の空調でどうなるのかは業者に尋ねるしかない。また、『密接』ということについても同様で、適切なテーブルの間仕切りができる商品がないかどうかも業者に確認をしなければならない。ちょうど良い時に矢島が出勤してきたので、この辺りは手分けしてやることにした。
そういうことで一段落したので、話はちょっと違う方向になった。
「最近、ランチ用の新メニューのことばかりで最近の動向に絡んだ話ができていませんでしたが、夏に開催される予定だったオリンピックとパラリンピック、延期になりましたね。あれはびっくりしました。俺、スポーツは好きなのでかなりショックでした」
最近、確かにランチ用の新メニューのことばかり話していたので、オリンピック延期の話は店では話題になっていなかった。仕事場での話はどうしてもコロナ関係のことばかりなので、直接店に関係なさそうな話題は出なかったのだ。今日話した『3密』のことはすぐに仕事に関係するのできちんと話したが、そのことをテレビで知った時は美津子とは話していた。
もし今年、新型コロナウイルスのことがなければ、日本を訪れるたくさんの外国人の来店も多くなるだろうということで、その対策のことが話題になっていただろうけど、今は全く違うことで頭が一杯になっている。スポーツ好きの人には大きなショックかもしれないが、今日の仕事、明日からのことを優先しなければならない私たちにとっては優先順位が違ってくる。必然的にその話題が出なかったが、こういうところも平時ではない今だからこそのことだろうという思いだった。