次の日の午前9時少し前、私は奥田の店に来ていた。今回も私のわがままを聞いてくれた奥田に改めて礼を言い、施術に入った。本来なら問診にもっと時間をかけるスタイルだが、私の事情も理解してくれており、施術を受ける目的も先日の美津子の件や予約の時点での話である程度了解してもらっている。
だから、具体的な相談内容については理解しているということで、他の点は施術中に感じたことを質問しつつやってもらうようにしていた。
私は施術ベッドの上で仰向けなっていた。いつもならうつ伏せからのスタートだが、今回の主訴はメンタル面のことも絡んでいるからということらしい。
先日、美津子が施術を受けた後にそういうことを聞いていたから理解できたが、こういったクライアントの状態に合わせて施術の内容を組み立ててくれるところが有難い。以前通っていたところは、何を相談しても同じ手順で同じ加減だった。それで具合の悪さが改善されれば良いのだが、そういうわけではなかったのであちこち回り、結果的に奥田の店に通うようになった。改めて、一人一人に合う施術の大切さを身に染みて感じる。そしてこういう時も自分の仕事に置き換え、今のメニュー構成や接客などで、来店する人にきちんと満足を与えているかを考えていた。
その時、お腹の調整中だったが、ここで奥田が言った。
「雨宮さん、今何か余計なことを考えていませんでした?」
私はドキッとした。心の中を見透かされたような気がしたのだ。もちろん、変なことを考えていたわけではないが、それが奥田の手に何かを感じさせたのかもしれない。
「すみません、お店のことを考えていました」
「そうですか。リラックスできていないのではないかと手で感じたものですから・・・。確かに今、未経験のことが起こっていますからね。心配もおありでしょうが、今は何も考えず自分の感覚に正直にしていてください。そのほうが効果的ですから」
奥田は優しく微笑みながら言った。私は手から感じる情報だけで相手のことが読めるものなのかということに驚いていた。
「すごいですね、人の手の感覚というのは」
「まあ、これも勉強と経験からですよ。ある程度やっているといろいろ手が教えてくれます。もっとも、具体的な内容までは分かりません。それは当たり前のことだけど、何かあるのでは、ということくらいは分かることがあります。すべてのクライアントの方についてというわけでもありませんが」
控えめの奥田の様子に、信頼感はますます高まっていた。
「それで先生、今リラックスするようにとおっしゃったばかりですが、一つだけ教えてください。先日、美津子からも聞かれたと思いますが、先生の仕事、今、どうなんですか? 業種は違ってもそういったお話は参考になると考えているのですが・・・。仕事のことが頭に残ってストレスになっていますし、他でも頑張っている方がいらっしゃる様子が分かれば心の支えになると思っています。そして自分の体調のことも関係するので、メンテナンスを前提に通いたいと思っているのですが」
私は失礼を承知の上で尋ねてみた。奥田は変な顔一つせず、普通に答えた。
「私たちの仕事は人の心身の不調を改善させることです。単なるリラクゼーション目的であればこの時期、お越しにならない方もいらっしゃいますが、本気で自分の体調不良を改善したいという方はいつも通りお越しになります。整体は健康関係の仕事になりますので、普段から衛生的な意識は強いし、今回のようなことが起こる前から施術の前後で手洗いなどはしていますし、その点も自然な感じです。確かに、いろいろな目的の方がいらっしゃいますので、数字として少なくなっていることは事実ですが、逆に予約が取りやすくなって有難いというクライアントの方もいらっしゃいます。想像していたよりは少なくなっていません」
奥田は私の質問に丁寧に答えてくれた。この話だけでも私は気持ちがすっきりし、その後施術に身を任せていた。