待っている人たちは若い人もいるが、年配の人の割合が高い。コロナ感染の可能性が高い人が集まっているせいもあるのだろう。今の報道のされ方も関係し、肉体的なことだけでなく心の負荷も絡むのか、顔色だけでなく表情も暗い。
他の人から見れば私も同じなのだろうが、他人の様子を見られる分だけ少しは余裕があるのかもしれないなどと、変な強がりを心でつぶやいてしまう自分がそこにいた。
そういったかろうじて自分の足で立っている感覚は、自分の体調は自分や家族のことだけでなく、スタッフの生活も背負っているという責任感からきているのかもしれない。
だが、待合室にいる周囲の人たちの様子を見ていると、自分も含めて確実に何割かは本当に感染しているだろう、という気持ちになる。検査の結果、本当に感染している場合、症状にもよるが入院しなければならないだろう。今の時点で発熱はあっても味覚や嗅覚には異常はない。
はっきりしたことは検査で分かることになるが、今は少しでも有利なところを必死で探している自分がいる。あまり症状が出ないケースもあるということから都合の良いように考えていても、結果は白か黒かきちんと出る。今考えていることは自分で自分を慰めているだけのことと分かっているけれど、せめてそう思っていなければ大きなプレッシャーに押しつぶされてしまう自分がそこにいた。
おそらく他の人も似たようなことを考えている人がいるだろうし、その人の人生や周りの状態は自分よりももっと大きなものを背負っているかもしれない。感染症の可能性ということもあり、近くの人と話すということもできず、ただ一人でじっと待つことになるが、いろいろ考えているせいか時間が長く感じる。
でも腕時計で時間を確認するとあまり経っていないことが分かる。ここに来るまでにも同様のことを経験したが、再び相対的な時間の経過ということを体験することになった。
「雨宮さん、診察室にお入りください」
ナースの方から呼び出しがあった。時計を見ると、来院してから15分程度しか経っていない。心の中では1時間くらいの感じだったが、診察してもらえるとなると少し心が軽くなった。
医者は私の顔色などを観察している。同時に体調のことを聞いてくる。一口に発熱といってもいろいろな原因があるので、コロナの可能性も含めての問診だ。
私は聞かれたことに対して今、実感していることについて答えた。
コロナ以前であれば「風邪ですね」と言われるようなことになるかもしれないが、今はきちんと感染の可能性を疑い、PCR検査を行なうことになった。
鼻の奥に綿棒を挿入し、結構しっかりとかき回されるような感じで粘液を採取された。その様子はテレビでは見ていたが、いざそれを自分で経験すると、不快な感触しかなかった。時折、鼻に綿棒を挿入された人が顔を歪めるシーンを見たことがあったが、他の人が見たられと同じような状態に見えるであろうことは容易に想像できた。
「検査の段階でこんな不快な思いをするのか」
私は心の中でつぶやいた。
医者はこの検体でコロナ感染の有無を確認すると告げ、結果は保健所から連絡があるので、もしもの場合はその時の指示に従うよう告げた。次の日には分かるということだったのが、それまではじっと待つしかない。また不安な時間が流れるのかという思いが私の心の中を過っていた。