「起きろ、サラ」
それはサラにとって一瞬だった。眠れないと言いながら、あっさりと眠ってしまっていた自分に驚き、そして焦った。
「えっ! 私、眠っていた? どのくらい眠っていたの?」
「安心しろ、三十分もたっていないよ。ほら、ハンナが食事をもらってきたぞ」
少し眠っただけで、頭がすっきりしたサラがテーブルの上に置かれた料理を見ると、そこには味付けが塩だけの野菜のスープと発酵していない堅いパンがあった。
エリオットとハンナはサラと出会うまで普通に食べていた料理であるが、いまはすごく質素な料理に見える。しかし、今は贅沢など言っていられない。
「ママ、ごめんなさい。これしかなかったの」
「ありがとう、ハンナちゃん。アリスちゃんが元気になったら、美味しい物いっぱい作ってあげるからね」
「さあ、冷めないうちに食べよう」
三人は堅いパンをスープに漬けてふやかして食べる。味など求めない。お腹を満たし、エネルギーを補充するための食事。
食事を終えたサラは、ハンナが食器を持っていったのを見送った後、またアリスに向かいあった。
三分の一は取り除いた。
頑張れば明日の朝までには終わるはずだ。
気合を入れて、サラは発酵令嬢の力をアリスに振るった。アリスの命を助けるべく。
そしてエリオットとハンナはそんなサラを助けた。定期的に水分や食事を用意し、無理やり仮眠を取らせた。そしてアリスの熱を下げるべく、熱さまし用のキャベツを外し、濡れタオルを定期的に取りかえた。暖炉の火が消えないように、薪を追加したり、ヤカンの水を補充したりする。
いつの間にか外は暗くなり、虫の音が聞こえた来たが、誰ひとりとしてそんなことに気が付かなかった。
するとハンナがソファーの上でウトウトし始めたのを、エリオットが気づいた。
「ハンナ、眠っていろ」
「いやよ、ハンナもママのお手伝いをしてお姉ちゃんを助けるの」
「ああ、分かっている。だから、今は少し眠れ。まだまだ先は長い。俺もサラも途中で仮眠を取る。その時にはハンナにアリスの面倒を見てもらわなければならない。だから、今のうちに眠れ」
エリオットは暖炉の薪を足しながら、ハンナにそう言った。
決して足手まといだから眠っていろと言っているのではない、交代が必要だからこそ、先に眠れと言っている。それはエリオットがいつもしている、ハンナを子供扱いしているのではなく、頼れる家族だと言ってくれているのだ。
それが分かったハンナは素直に、毛布に包まった。
「パパ、何かあったら起こしてね」
「ああ、分かっている」
そう言って、ハンナが素直に眠ったのを見て、エリオットは考えた。自分が高熱にうなされた時にサラが振るった力が、この発酵の力であることは間違いない。サラはあの日、自分が発酵令嬢だと明かしてから、その力を使うところを何度も見た。牛乳をヨーグルトやチーズに変え、米を甘酒やお酒、お酢に変え、大豆を納豆や味噌、醤油に変えた。それは元々、自然にある細菌の力を増幅させただけで、誰でも使えるものだと言った。
ならば、誰でもこの病を治すことができるのだろうか?
答えは否だ。
そんなことができるのならば、この恐るべき病がこの王都を包み込んでいないだろう。
すでに多くの死者も出ている。
このままでは王都は病で崩壊する。
そうでなくても、この病に乗じて隣国が戦を仕掛けてくるかもしれない。毎年のように秋の収穫を奪うため隣国から兵が派遣される。それを迎え撃つのも恒例行事にようになっているが、王都がこのような状態では兵も派遣できない。
今年はいつものような小競り合いですまないかもしれない。
楽観的な見方をすれば、隣国の者たちも病にかかるのを恐れ、病が収まるまで攻めてこないかもしれない。そうすれば冬になる。雪が兵を足止めしてくれるだろうが、雪解けまでにこちらの兵力を回復させねば、ただ国の崩壊を先送りするだけになってしまう。
今、この病を止めることが出来ればまだ、最悪のシナリオは回避できる。
サラの力を使えば病を治せる。
しかし、アリス一人を助けるためにこれだけの消耗と時間がかかる。何万といる王都の人々を救うことは出来ないだろう。それに、サラのこの力を知られてしまえば、王族、有力貴族がこぞって自分たちの病を治療させようとサラを連れ去ってしまう。
そんなことを考えているエリオットがサラの汗を拭くと、きついはずなのに笑みを浮かべて言った。
「ありがとう、エリオット。エリオットも休んでいてちょうだい」
自分の方がよほどつらいはずなのに、笑顔を見せて人のことを気遣うサラを見て、こんな優しい女性を、病気を治す道具のようにさせるわけにはいかないとエリオットは強く思った。
(この優しい女性を守る。あの時、俺は力も無く、母を守ることが出来なかったが、今は違う)
サラの姿に亡き母を重ねたエリオットはそう心に誓ったのだった。
こうしてアリスの治療は短い休憩を挟みながら、徹夜で続けられたのだった。