「アリス、お前の病気が治ったことはしばらくの間、内緒にしていて欲しいんだ」
「え! なんで? アリスはサラの本を売りだす準備しなきゃいけないのよ。200万人の読者が待っているのよ。だから、印刷所と問屋と打ち合わせしなきゃいけないのよ」
「……それは、サラの安全よりも大事なのか?」
エリオットはアリスに言い聞かせるようにゆっくりと、はっきりと言った。アリスは、真剣なエリオットの顔を見て、それが冗談で言っているのではないことを感じ取った。
「……どういうこと?」
「サラは今の王都で一番必要にされている人間だ。それこそ、王家がその権力の全てを使っても、サラを拘束するくらいに、な」
「……サラの力のせい?」
「ああそうだ、病気は王家だろうが、貴族だろうが、平民だろうが平等に襲い掛かる。みんな死にたくないんだ。そんな中で確実に病を治せる人間がいたら王家はその権力をフルに使い、サラの身体がどうなろうが、その力を行使させるだろう」
「なんで、あんな馬鹿どものためにサラを犠牲にしなきゃいけないのよ」
「ちょっとアリスちゃん、不敬罪で捕まっちゃうわよ」
それまで大人しく話を聞いていたサラは、アリスの言葉を咎める。
それは王族を侮辱することを許さないための法律。王家の批判を封じるための法律。
しかし、そんなアリスに対して、エリオットは賛同する。
「ああ、そうだ。あんな馬鹿どものためにサラを独り占めさせる必要なんてない」
「さすがエリー。エリーならわかってくれると思っていたわ」
「しかし、サラの力を知ったお前たちの両親はどうするか分かるだろう」
「サラの力を売るわね。いえ、サラ自身を売っては、一回限りの儲け。お父様たちがそんな甘い商売はしないわね。一人治療するたびに法外な金額を要求する……いえ、その力で恩を売って、お酒の販売権を手に入れるかもしれないわね。サラをそんな商売のネタにさせるわけにはいかないわね……わかったわ。エリーの言う通り、アリスの病気はまだ治っていないわ」
「分かってくれたか」
「ええ、分かったわ。ああ熱で苦しいわ。林檎のコンポートをヨーグルトに入れてちょうだい。あと、蜂蜜を入れたホットミルクを頂戴。ああ、胸が苦しいわ。納豆食べたい。納豆。ほかほかご飯と一緒に」
「そんな、わがまま三昧な病人がいるか。真面目にやれ」
「分かったわ。作って来るから、大人しく寝ているのよ」
エリオットのツッコミと同時にサラが、アリスの注文を受けた。
まさかの反応にエリオットはサラにもツッコむ。
「おいおい、サラまで何言っているんだよ」
「ええ、でも実際、アリスちゃんは病気で体力が落ちているのだから、食べたいものがあれば食べるべきじゃない?」
「……まあ、そうか」
「わーい、エリーが言い負かされている」
アリスは心底楽しそうに笑った。
エリオットは困ったような表情を浮かべた後、一息つくとサラに尋ねた。
「なあ、サラ。発酵の力で病気をどうにかすることは出来ないか?」
「なに、結局エリーもお父様たちと一緒って言うの?」
「違う。サラはこの病気の原因を分かっているのだろう。だったら発酵食品を患者に食べさせることで病気を治せないかと思っているんだ」
サラの力は強力だが、それで大勢を救うことは出来ない。しかし、発酵食品ならばどうだろうか? 発酵自体は誰でもできるとサラは言っていた。だから発酵食品で病気が治るのならば、この王都を救えるかもしれない。その思いでエリオットはサラに尋ねたのだった。
しかし、サラはそのエリオットの思いを分かったうえで答える。
「無理よ。たしかに発酵食品は身体に良いわ。食べることによって免疫力が上がって病気になりにくくなるわ。でも、発酵食品は薬じゃないのよ。残念ながら、病気になった者を治す力はないわ」
サラは残念そうに首を横に振った。
やはりそうか。エリオットは、そうではないかと思ってはいた。もしも発酵食品でどうにかなるのならば、アリスに対しても発酵食品を食べさせていただろう。
分かっていた。分かっていたが、それでもサラならばどうにかしてくれる気がした。どうにかしてしまう力があるとエリオットは信じてしまっていた。
「さすがのサラでも無理か」
「そうね。ごめんなさい。私は医者じゃないのよ」
「いや、無理を言っているのは俺の方だ。悪かった」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
エリオットが今後どうしようかと思った時、ハンナが部屋に入って来た。
先ほどまで眠っていたのだろう。眠気まなこをこすりながらアリスの様子を見て、ぱっと明るい表情になった。
それを見たアリスはベッドから飛び出してハンナを抱き上げた。
「ハンナちゃん、お姉ちゃんはもうすっかり元気よ。元気だけど病気なの。だからまだ病気はまだ治っていないの」
「病気、治ってないの?」
「ああ、ハンナ。アリスの病気は治ったぞ。でも、そのことをみんなに言わないようにな」
「じゃあ、お姉ちゃん。治ったのね。良かった……ハンナ、怖い夢を見たの」
「怖い夢?」
ハンナの言葉に大人三人は声をそろえて言った。
「そうなの。ママが力を使い果たして倒れて、お姉ちゃんの治療が間に合わずに死んじゃうの。ママは自分の力が足りなかったって、真っ黒い力が暴走するの。それにパパが巻き込まれて死んじゃって、余計にママがおかしくなっちゃうの」
「それは怖い夢だったね。でも大丈夫よ。みんなのおかげでアリスはすっかり元気だからね。サラ……サラ?」
アリスはハンナを落ち着かせるように言い聞かせた後、サラに同意を求める。しかし、何か考え込んでいた。そして、いきなり叫んだ。
「魔導書よ! 魔導書。夢に出てきたの。私が発酵の力と知識を身に付けた魔導書。あれには続きがあったのよ。料理と関係なかったから、私はあの時読まなかったけど、もしかしたらあの先に何か役に立つことを書いてあるかもしれなの」
「何! それは本当か! それでその魔導書はどこにあるんだ?」
「私の部屋よ」
「よし、さっそく魔導書を見に行こう」
「ちょっと待って」
エリオットはサラの手を引いて離れの部屋を出ようとする。それをアリスが引き留めた。