ハンナの制止の声でも、サラは止まらなかった。
「ハンナを傷つけるものは、誰であれ許さない」
「く、来るな!」
無精ひげの男は恐怖のままナイフをつき出す。
しかし、そのナイフはサラに届く前に力なく地面に落ちた。そして、力を無くしたのはナイフだけではなかった。
エリオットに頭を殴られた無精ひげの男は、力なく地面に倒れ込んだ。
「エリオット!」
「すまない、遅くなった」
サラはエリオットの顔を見た瞬間、力が抜けたように地面に膝をついた。その衝撃でサラが身にまとっていた悪い菌は消えて行った。
そのサラにハンナが抱きついた。
「ママ、ありがとう。怖かったよー」
そう言って、めったなことで泣かないハンナが泣き始めた。
無精ひげの男を縛り上げながらエリオットは、二人の無事を確認する。
「二人とも無事か……サラ、殴られたのか!」
「ええ、でもこれくらい大丈夫よ」
「大丈夫なものか! 女性の顔を殴るなんて!」
エリオットは剣を抜くと、胃液を吐き出している男に近づいた。
「お前がハンナを誘拐し、サラを殴ったのだな」
「ゔぇー、あ、いや、助けてくれ」
「お前の命乞いなど聞かない」
そう言って剣を振り上げた時、サラがエリオットを止めた。
「待って、エリオット!」
「止めるな! 君が許せても俺は許せない!」
「やめて、貴方が手を汚すような相手じゃないわ。それに、気になることを言っていたの」
「気になること?」
「ええ、主人と家族の命を守るために、ハンナちゃんを誘拐しようとしたって」
サラの言葉を聞いて、エリオットは眉をひそめて少し考えた後、命乞いをしていた男に剣先をつきつけて言った。
「……どういうことだ? 説明をしろ。その説明次第では命だけは助けてやる」
「オレたちの主人と家族が流行り病にかかっているんだ」
男たちはある貴族の家に使えていると説明した。それはサラも聞いたことがある家名であり、男が命欲しさに嘘を言っているようには思えなかった。
しかし、エリオットは話を聞いて、険しい表情を崩さないまま、剣先を近づける。
「それとウチの娘と何が関係あるんだ?」
「だから、薬がいるんだ」
「薬を買う金なら、その主人から都合してもらえばいいだろう。そもそも、この病いに効く薬なんてあるのか?」
「ああ、それがあるって聞いたんんだ」
薬がある。
それはエリオットの剣を引くには十分な話だった。
エリオットは緊張を解かないまま、男に問いかけた。
「薬があるのか? それはどんなものだ」
「生きキモを食べれば、治るらしい。本当はクマの生きキモが良いらしいんだが、若い娘の生きキモでも治るらしいんだ。だからその娘のキモをくれ! 礼なら主人からたんまりもらえる……グフっ」
男が言い終わる前に、怒りに任せたエリオットが男を殴りつけた。
「そんなものが病に効くわけが無いだろう! そんな馬鹿な噂のために、子供を殺す気か!」
「そんなのやってみないと分からないだろう。お前は家族が病気になっていないから、俺の気持ちなんてわからないだろう」
「人を救うために人を殺すなんてことが許されるわけが無いだろう!」
男と話す気を失ったエリオットは、無精ひげの男と同じように縛り上げ、二人を誘拐未遂で引き渡した。
泣き止んだハンナを抱っこしたままのサラは、エリオットに近づいた。
「ありがとう、エリオット」
「いや、二人とも無事でよかった。いや、サラは無事じゃないか」
「狼たちに比べたら、全然平気よ。それよりも、エリオット」
「なんだ、金は取り返してきたぞ」
そう言って、サラが奪われた金貨の入った革袋を見せた。
しかし、それよりももっと気になることをサラは口にした。
「さっきの男が言っていた、クマの生きキモが病に効くって話。プリンを王都に入れる時にあなたが言っていた話じゃないの?」
「……あっ!」
エリオットは自分が門番にしたでたらめな話を思い出した。子クマのプリンを王都に入れるために、プリンのことを王家の献上品だと嘘を付いたのだった。
あの門番がその嘘を広めてしまったのだろう。
「まずい!」
「そうよ! 今回は防げたけど、こんな噂が広がったら、大変なことになるわ」
「……サラ、申し訳ないが雑貨屋にはハンナと二人で行ってくれないか? いや、やはり危険だ。早く用事を終わらせよう。それから、俺は出かけて来る」
「どうするつもり?」
「前に話した貴族の悪友に会って来る。そして、この噂を否定するように頼んでくる。また、あいつに怒られるな……」
エリオットは頭を抱えながらそう言った。
そんなエリオットを見て、サラは思わず笑みがこぼれてしまった。
「じゃあ、早く行きましょう」
「そうだな」
こうして、三人は雑貨屋へ急いだのだった。