「なんで、オレが……」
ローレルは、独り言のようにサラに文句を言った。
ここはベラルギー王国首都ブッセの市場。
漁が盛んな都市なだけあって、新鮮な魚が多く並んでいた。
そんな魚介類を見ながらサラは答える。
「仕事は終わったのでしょう。だったら、気分転換も兼ねて外に出るのもいいじゃないですか」
溜まっていたローレルの仕事を、サラがテキパキと片付けていった。
早急に解決しなければならない内容を優先的にローレルに回した。その際、解決案をいくつか添える。軽微な内容のものはローレルに説明し、その場で了承をもらった。そして書類に不備がある案件はローレルに回すことなく差し戻した。
その処理速度にローレルは驚くばかりだった。
こうして仕事が終わった後、ローレルはサラの働きに感謝して、サラの望みを聞いたのだ。
そして、サラの望みは買い物をしたいというものだった。
ローレルは、サラが貴金属や洋服の店で高価な買い物をするのではないかと思っていたのだが、そんな物には一切興味を示さず、食料品を売っている市場を望んだのだった。
「すごい! オーランドとは全然違うわ」
塩気のあるべっとりとした風は、磯の香りと魚の生臭さをはらんでいる。
港には色々な船が並んでおり、内陸の国のオーランドでは見慣れない風景だった。
そして慣れない香りに困惑していたサラだったが、新鮮な魚介類を見た瞬間、そんなことは頭の中から消し飛んでしまった。
アジや鯛などから、カツオ、太刀魚、イカや貝類なども並んでいる。
(ああ、ハンナちゃんが、こんな風景を見たら大はしゃぎするだろうな)
サラは、オーランドにいたころには当たり前に見ていた、あの天使の笑顔を思い出していた。
そんなハンナとの思い出を振り払うように、サラは市場に並ぶ商品を見て回った。
新鮮な魚介類に目を輝かせているサラに対して、普段から見慣れているローレルは興味がなさそうに眺めていた。
「なあ、買うものは決まったか?」
「何よ、乙女の買い物を急かすなんて、ローレル様、モテないですよ。エリ……」
『エリオットなら、笑いながら一緒に魚を選んでくれますよ』と言いかけて、あの少年のような笑顔を思い浮かべて、サラは口を閉じた。
忘れようとしていたはずなのに、自然と彼の名前を出そうとする自分に驚いた。
そんなサラの気持ちに気づかないローレルは、鼻で笑いながら反論する。
「オレが女にモテる必要があるか? この国の剣として、盾として戦場で死ぬだけの存在に……」
サラの失言を言及されなかったことにホッとしながらも、ローレルの言葉にサラは疑念を抱いた。
「そう言えば、なぜローレル様は王子なのに軍を率いているのですか?」
「それは三人の内でオレが一番、戦いに精通しているからに決まっているだろう」
ローレルの言う三人とは上の二人の王子を含めた、ベラルギー王国の三人の王子のことだろう。サラの情報では、長男は国王の右腕として、政治に携わり、次期国王と言われている。
次男は芸術畑で、政治にも権力にも軍隊にも興味がない。
そして、三男であるローレンスは表舞台に出ないため、名前しかサラは知らなかった。
そんなローレンスの漆黒の瞳を、サラはじっと見る。
「お話からすると、ローレル様は強いのですよね。それなら、戦場で死ぬなんてことは無いのではないですか?」
「……殺意があるのは敵だけだと思っているのか? 一番怖いのは味方だよ」
「それって、どう言う意味ですか?」
サラの言葉にローレルは、言い過ぎたとばかりに眉間に皺をよせていた。
「お前には関係ないことだったな。忘れてくれ」
丁寧ではあるが、有無を言わせずこの話題を続けることを拒否していた。
深追いは禁物であるし、話を聞いても今のサラにはどうしようもない内容に違いない。そう考えたサラは、話題を買い物に向けることにした。
「しかし、ローレル様。この国は本当に魚介類が豊富ですね。それにこんなに活気にあふれているなんて、驚きました。毎年、収穫後にオーランドに攻め込んで、小麦を奪って行くと聞いていたので、もっと食に困っているのかと思っていました」
「困っているさ」
サラの言葉にローレルは即答する。
その言葉は冗談でもなんでもなく、真剣に危機感をこもった声だった。
しかし、サラにはこの目の前に広がる豊富な市場と、ローレルの言葉に大きなギャップを感じた。
「どうしてですか? これだけの食材があるのに、食べる物に困ると言うのは理解できません」
「この市場が賑やかなのは今だけだ。冬になれば時化て漁に出られない。夏になれば大きな嵐も来る。だから、いつでもこんなに市場がにぎわっているわけではない」
「でもそれは、農業も一緒ですよね。野菜や小麦が取れる時期は決まっています」
「ああ、そうだな。しかし、保管できる時間が圧倒的に違う。ここにある新鮮な魚介類も、数日後には腐って食べられなくなる。しかし、小麦や米、芋をはじめとした根菜類は長期保管が効くだろう」
冷蔵や冷凍する方法がないこの世界では、食材を長期間保管する方法がない。そのため、肉などは取ったら食べきる。みんなに分け与えて無駄にならないようにして。あのエリオットが仕留めたイノシシの肉を、村長に渡して村のみんなに分け与えたのはそのような理由だった。
それが傷みやすい魚ならローレルの言う通り、漁に出られない日が続くということは、飢えにつながる。
そして、ローレルはもう一つ指摘する。
「それに漁は命がけだ。食料が無いからと、天候が悪いのに無理やり漁に出させれば、死者が出る。日によって不漁な日が出る、そうすれば無理をする者も出て来る。それは事故にもつながる。命をつなぐために漁に出た者が命を落とすと言うのは本末転倒だろう」
「でも、オーランドに攻め込んでも死傷者は出るわよ」
「俺たち軍人は、命のやり取りを承知のうえで働いているんだ。漁師たちとは違う」
これまでの言葉に、サラはどうやらローレルは自分自身の命を軽んじている気がした。
まるで戦場で命を落とすのが、自分の最後だと決めているような。
小さな命をその手から取りこぼしてしまったサラには、そんなローレルの態度が気に入らなかった。その感情は不満ではない、怒りだった。
「ローレル! この市場にある物が冬を越せるほど長持ちさせれば、オーランドに攻め入ることもないのよね。そんなくだらない物のためにあなたが命を懸ける必要もないのよね」
「くだらないとはなんだ……俺たちが命を懸けているのは食料じゃない。その食料の先にある
「……ごめんなさい。そうね。あなたたちの覚悟をくだらないって言って、ごめんなさい。でも、この魚介類が冬を越せられればいいのよね」
「ああ、そうだ。しかし、そんなことが、お前にできるのか? できるのだったら、必要な物ならいくらでも用意してやる」
「分かったわ! 約束よ」
決意を秘めたサラのグリーンアイの視線は、ローレルをまっすぐ射抜いた。
ただの料理好きな、か弱い女性だと思っていたサラの意外に強気な一面を見て、ローレルは驚きを隠せなかった。それは、サラが書類仕事を手伝った時にも感じたのだった。
この女は、ローレルが今まで見てきた、ただ守られることを待っている女性たちとは違う。大人しそうな見た目からは考えられないほど芯が強い女性ではないのだろうか? そして、高い知性と強い意志を持ち、立ち振る舞いの気品さえ感じるこの女性は何者なのだろうか?
そんな単純な疑問が浮かんだローレルは、サラの言葉にそんな疑問は吹き飛んだ。
「たくさん買いますから、ローレル様は荷物持ちをお願いしますね」
そう言ってサラが勝ったのはカツオのように巨大魚からアジなどの小型種など、色々と買い始めたのだった。
「おい、こんなに買うなら言ってくれ。馬車を連れてくればよかった」
「ローレル様は普段から鍛えていらっしゃるのですから、これくらい平気でしょう」
そう言って、サラは有無を言わせぬ笑顔で次々にローレルに魚を渡したのだった。