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第31話

 アベルは現状をすべて打ち明けた。すべて、というのは無論、キャンディのこともである。

 すべてを聞いたテオは、「なるほど」と冷静に頷いた。

「それにしても、あのキャンディにそんな魔法がかかっていたなんて……今になって思えば、あのキャンディを舐めていたときはなんとなく頭が重かったような気がします」

「あぁ。俺は甘党じゃないんで、そこまで症状はなかったが、それでも効果はかなり強かったように思う」

 おそらく、キャンディの効果がなければ、国民もあそこまでローズマリーを有罪だと叩いたりすることはなかっただろう。

 裁判所だってそうだ。もし、裁判官たちが正常な思考を保っていたのなら、あのような愚かな判決は出さなかったはずだ。

 とはいえ、今さらそんなことを言っても後の祭りでしかないが……。

「キャンディひとつで、ひとを殺すどころか国を操るなんて……恐ろしいですね」

「あぁ。だからこそ、このままにはしておけない」

 テオは顎を撫でながら、呟く。

「あのキャンディ……街中での普及率はかなりのものでした。ルドヴィックがずいぶんあれにハマっていたから、よく買い物に付き合わされていたんですけど、ほとんどの店が扱っていました。キャンディを売っていた商人たちが犯人でしょうか」

 もしくは卸売りの者か、と、テオはアベルを見る。が、アベルは「いや」と首を横に振った。

 それはアベルも考えた。

「そのあたりも調べてみたんだが……」

 正直、怪しかったのは商人たちよりもべつの人物だった。

「実は、キャンディを売っていた商人たちは、みんな同じ人物からキャンディを買っていたことが分かったんだ」

 テオは驚いた顔でアベルを見る。

「だれですか?」

「フレデリック・ゴーベール」

「フレデリック・ゴーベール……? 珍しい名前ですね。異国人ですか?」

 テオが訊くと、アベルは頷く代わりに一度ゆっくりとまばたきをした。

「魔術師だ」

 テオがごくりと息を飲む。

「……なるほど。それならキャンディにかかっていた魔法の件も納得できますね」

 アベルは頷き、テオに向き直る。

「テオ。ひとつ頼みがあるんだが」

「はい」

 アベルは、テオにあることを頼んだ。

「……分かりました」

 アベルとテオは、その後ひとことふたこと言葉を交わすと、何事もなかったようにそれぞれ仕事に戻った。

 テオが執務室を出ると、すぐ正面の窓を拭いているメイドがいた。テオは気にせず、廊下を歩いていく。

 テオが去ると、メイドはテオが消えていった廊下をじっと眺めていた。

 彼女の名前は、ロアナ・リヴィエール。牢獄の給仕をしている歳若いメイドだった。



 ***



 夕食の時間。

 出された食事を見て、私はため息をついた。

 ――またか。

 目の前のトレイには、埃や虫だらけの食事。

 いつもどおりといえばまあいつもどおりなのだが、正直、そろそろ限界だった。

 罪人である私の食事は、毎食残飯よりひどいんじゃないかと思うレベルのものだ。

 パンは石のように固く、サラダにはいつもご丁寧に、ドレッシングの代わりに埃が和えられている。スープには虫が浮いているし、おまけに器はサビだらけ。

 はじめの頃は、まあここは異世界なのだし、もしかしたらこれらはもともとこういう食べ物で、食べてみたら案外美味しいのかも、とか無理やり思ってみたりもしたけれど、そうではなかった。ふつうに腐ってるし、生臭いし、まずい。

 これはルドヴィックから聞いた話だが、以前、私の食事内容を知ったアベルが、あまりのひどさに厨房へ殴り込みに行ってくれたとか。そしてその日、アベルが運んできてくれた食事はめちゃくちゃに美味しかった。

 つまり、この世界の食事も、もともとはとても美味しいものだということ。私(ローズマリー)は単に、わざとまずい飯を食わされていたいじめを受けていたということである。

 アベルが犯人を突き止めてくれたおかげで、すぐにそれに気付けたものの……。

 だがしかし、私の今の食事は、アベルが持ってきてくれた美味しい食事ではない。

 結局、まともな食事にありつけたのは、アベルが運んできてくれたときを含め、ほんの二、三回ほど。すぐに元のまずい食事に戻ってしまった。

 再び、いじめが始まったのである。

 それにしても、私の食事に異物を混入させていた料理人は解雇されたはずなのに、これはだれがやっているのだろう……。

 ……と、考えていると、ふと視線を感じた。

 顔を上げると、廊下の少し先に、メイドがいた。監獄内の給仕をするメイドだ。

 なんだろう、と見つめ返していると、じっとこちらを見つめていたメイドが、ふんっと口角を上げて笑った。私と目が合ったことに気付いたのだろう。

「なっ……」

 これはもしや?

 私は、たった今、あのメイドから渡された異物だらけの食事を見る。顔を上げて、もう一度メイドを見ると、メイドはにやーっと口角を上げて笑った。

 ――犯人はアイツかぁ!?

 思えば、これまでの料理人のいやがらせだって、給仕をしているメイドであれば、異物が混ざっていることには気付いていたはずだ。

 気付いていたのだ。

 あのメイドは、私の食事に異物が混ざっていることを知っていて運んでいた。そして、今は解雇された料理人の遺志(料理人は解雇されただけなので、死んではいないはずだが)を引き継ぎやがったのだ。なんて女だろう。

「ちょっと! そこのあんた! 待ちなさいよ!」

 気付いてしまった以上、黙ってはいられない。牢のなかから声をかけると、メイドがちらりと私を横目で見た。

 私がこの場から動けないことをいいことに、メイドは勝ち誇った顔をして、挑発でもするかのようにゆっくりと私のほうへ歩み寄ってくる。そして、ドヤ顔で言い放ったのである。

「どう? ごちそうでしょ? その食事。心して食べなさいよね」

 ふふん、ざまあみろ、とでもいうかんじだ。

 その顔に、私は確信した。やっぱり、こいつが私の食事に異物を盛ったのだ。いやーな顔をしているから間違いない。

 ――くうっ。なんて憎たらしい!

 私はたまらずメイドに言い返した。

「食べ物を粗末にするなんて許せない! あなた、それでもメイドなの!?」

 すると、メイドはあからさまに不機嫌になった。眉間に皺を寄せ、私を睨みつける。

「あら。ひとに毒盛るほうが、よっぽどひどい所業だと思うけど?」

 そう言いながら、メイドはつかつかとさらに私の前までやってくる。

「それはっ……」

 言葉につまる。たしかに、メイドの言うとおりだ。ただ、私が実際に毒を盛っていれば、の話ではあるが。

 黙り込んだ私に、メイドは続けた。

「図々しい。罪人のくせに、正論振りかざしてんじゃないわよ!」

「…………」

 そのひとことは、なかなかグサリときた。思わず唇を引き結ぶ。

 彼女の言うとおりだ。私は、彼女たちから見れば、極悪人に違いない。正論を言ったところで、まともに聞き入れてもらえるわけがないのだ。

 ――……でも、私はやってないのに……。

 虚しさが胸に広がっていく。ようやく、ローズマリーの苦しみが理解できた気がした。

『――たとえどんな極悪人だとしても、罪は罰で受けるべきであって、いやがらせで精算されるべきではない!』

 ふと、アベルの言葉がよみがえり、ハッとする。

 ……そうだ。私は、ここで引く必要なんてない。ローズマリーの名誉のためにも、引いてはいけない。

 私は鉄柵を掴んでいた手に力を込め、強い眼差しでメイドを見返した。

「……たしかに、私は今、罪人として囚われてる。でも、それはあなたには関係ない。相手が罪人だったら、あなたはなにをしてもいいというの? あなたはそんなにえらい人間なの? そんな考えおかしいよ」

「はあ?」

 言い返されると思わなかったのか、メイドがわずかに怯んだ表情を浮かべる。しかし、メイドが怯んだのはほんのつかの間だった。

「なにいきなり語り出してんのよ! 鬱陶しいわ!」

 今度はこちらが怯む番だった。

 鬱陶しいときた。このメイドはずいぶんと直接的な物言いをする性格のようだ。

 メイドは目のしたを真っ赤にして、さらに甲高い声で言い放つ。

「私があなたよりもえらいかって? ええ、そうよ。決まってるでしょ! 私はあなたなんかよりもね、ずっと、ずーっと可愛いし、魅力的なの!」

「…………」

 ずいぶんな自信である。

 あらためて、私はメイドをまじまじと見た。

 メイドは気の強そうな顔つきをしていた。瞳は綺麗な翠色、ぱっちりしていて、鼻筋も通っている。

 まあ、たしかにブスではないけれど。

 でも正直、私(ローズマリー)のほうが可愛いと思う。ほんと、正直に言って悪いのだけど。

「可愛い私が、ブスになにしたっていいじゃない!」

 メイドは見事なまでに開き直っていた。

 ……ダメだ。話が通じる相手ではなかったようだ。

 思わず額を押さえ、ため息をついた。

 そのときだった。

「おいっ! なにごとだ!? 騒がしいぞ!」

 騒ぎに気付いたらしい監視官たちがやって来た。


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