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第32話

 メイドがハッとして、牢から一歩下がる。変わり身だけは早い。

「どうした!? なにを騒いでいるんだ! ……って、なんだ。ローズマリーじゃないか!」

 やってきたのは、私付きの監視官であるルドヴィックだった。そのとなりには、テオもいる。

 ふたりは私に気付くと、ふっと表情を緩めた。

「ルドヴィック! テオも!」

「ローズマリー、なにかあったのか? なんだかすごく騒がしかったけど」

 と、テオがひどく心配そうな顔をして、私のそばへ駆け寄ってくる。

「それが……」

 私は口を開きかけて、ちらりとメイドを見た。

 ――……どうしよう。

 ほんの少しだけ迷った。だって、もし私が今ここで異物混入を訴え、さらに犯人がこのメイドであると名指しをしたら。

 きっと、ルドヴィックとテオは私を信用してくれるだろう。そして、アベルのように彼女の行為を糾弾する。実際それは事実なのだし、彼女が責められるのは道理である。

 でも……もしそうなれば、このメイドは、かつて私にいやがらせをしてきた料理人と同じ道を辿ることになるかもしれない。

「…………」

 自業自得だと思う反面、そこまでされるのは、こちらとしても気分が良くない。いや、もちろんメイドには、かなりムカついているのだけれど。

 黙り込んでいると、ルドヴィックがメイドに訊ねた。

「……おい、そこのおまえ。なにがあったんだ。説明しろ」

 テオも、メイドを見る。ふたりの視線につられるようにして、私もメイドを見た。

 ……見て私は、「えっ?」と、思わず素っ頓狂な声を漏らす。

 だって、メイドが真っ赤な顔をして、もじもじとしているものだから。

「え、えっとぉ……それは、そのぉ……」

 ――……はぁ???

 さっきの態度とまるで別人だ。

 メイドは、なにやらテオのことをちらちらと見ていた。テオと目が合うと、勢いよく目を逸らす。その繰り返し。

「…………」

 ――ははーん……そういうこと。

 私は察した。このメイドは、おそらく。

 私はわざと、ふたりにもよく聴こえるように大きな声で、メイドに言う。

「ねえ、そこのメイドさん。私の食事、ちょっと異物が入ってるんだよね。わがままで悪いんだけど、交換してもらえたりします?」

 わざと遠慮がちに言ってやった。

 すると、メイドの表情がぴくりとひきつる。

「なにっ? それは本当か!? ローズマリー!」

 しかし、メイドがなにか言うより先に、ルドヴィックが過敏に反応した。さらにテオも、私が持っているトレイを覗き込み、

「異物って、まさかいやがらせか……? 信じられない。ローズマリーにそんなことをするなんて……」

 と真剣に嘆き始める。

「ローズマリー、大丈夫だ。俺とテオがすぐにこんなつまらないことをした犯人を捕まえてやる」

 犯人、という言葉に、メイドがギクリと反応する。私はメイドをちらりと見つつ、ルドヴィックとテオに微笑んだ。

「ううん、私はね、犯人探しとかはどうでもいいの。ふつうの食事ができれば満足だから」

 ルドヴィックとテオは顔を見合わせた。

「ローズマリー、だけど……」

「犯人を野放しにするわけにはいかないよ」

「本当にいいんだよ」

 小さくなって息を殺すメイドの様子をうかがいつつ、私はふたりに言う。 

「……まあ、ローズマリーがそう言うなら」

 ルドヴィックとテオも納得してくれたようだ。ふたりを利用してしまったようでちょっと申し訳ないが、メイドへの仕返しはこの程度で十分だろう。

「よし! それならローズマリー、待っていろ。すぐに俺が新しい食事を持ってきてやるからな!」

「あ、ルドヴィック、俺も行くよ」

 さっそく私が差し出したトレイを受け取り、牢を出ていくルドヴィック。テオもそのあとに続いた。

「ありがとう! ゆっくりでいいよ!」

 私は笑顔でふたりの背中に叫んだ。

 しばらくしてふたりの姿が見えなくなると、私はちらりとメイドを見た。

「よかったね。テオに、あなたがいやがらせをしていた犯人だってバレなくて」

 わざと言ってみせると、メイドが私をキッと睨む。

「……なによ。あんた、私を脅すつもり?」

「まさか。私はそんなことはしないよ。私は本当にちゃんとした食事が出れば満足なだけ」

「うそをつかないで! さっきまであんなにテオさまに色目を使っていたくせに!」

「色目? テオに? 私が? いやいやいや」

 悪いが、まったくそんな覚えはないのだが。

「いやがらせをしているのはあなたのほうじゃない! 私がテオさまのことを好きだって知ってて、あんな……」

 唾を撒き散らすように叫びながら、メイドは顔を真っ赤にして、私を睨みつけてくる。

「……まあ、たしかに、あなたがテオのことを好きなのはすぐに分かったけど」

 でも、と私は続ける。

「でも、テオは、たまたま私が相談に乗ったから懐いてくれてるだけだと思うよ?」

「うそよ! だって、テオさまのあんな笑顔、私見たことないもの」

 メイドは言いながら、わずかに涙ぐんでいる。おそらく、本気で悔しいのだろう。私はそれを見て苦笑した。

「……なんだ。あなた、本当にテオのことが好きなんだ?」

 くすりと笑いながら言うと、メイドはやはり私を睨みつけて言った。

「なによ、悪い?」

 ううん、と私は首を横に振る。

「悪くない。でも、それなら私とは仲良くしたほうがいいと思わない?」

「え……」

 メイドが戸惑いの表情を浮かべる。

「あなたと私、どっちがテオに信頼されてるか……って話」

 なんて、もちろん彼女のことをテオに悪く言うつもりはないが、少しくらいやり返してもバチは当たらないだろう。これでも虫入りの食事は結構辛かったのだ。

「……私を脅すなんて……さすがはローズマリーね」

 メイドは悔しそうに舌打ちをした。私は笑う。

「ねえ、あなた、名前なんて言うの?」

「……ふん。罪人なんかに名乗る名前は持ってないわ」

「それは残念。なら、メイドさんって呼ぶしかないか。ねえメイドさん」

「…………」

「ねえそこのメイドさんってば。ねえねえ」

「…………」

「……返事してよー。ねえってば」

 数秒間にらめっこをしたのち、メイドは諦めたようにため息をついた。

「あーもう! メイドメイドうるさいわね! ロアナよ! 私の名前はロアナ・リヴィエール! ふざけた呼びかたはやめてよね!」

 ロアナは苛立たしげに言う。私はただ教えてくれないから呼べなかっただけなのに、ロアナが怒るのは筋違いだと思う。と内心思いつつ、私は、

「よろしく、ロアナ」

 と手を差し出す。が、ロアナはふんっ、とそっぽを向いて私の手を取ろうとしなかった。私は苦笑しつつ、手を引っこめる。そう簡単にはいかないようだ。まあいい。

「で、ロアナっていつからテオのことが好きなの?」

 私はめげずに訊ねる。すると、ロアナは顔を真っ赤にして振り向いた。

「はぁ!? なんでそんなことあんたに言わなきゃなんないのよ!!」

 めちゃくちゃ怒っている。

「いいじゃん。減るもんじゃないし」

「減るわよ! 私の気力が! というかあんた、ぜったい楽しんでるでしょ!?」

「あ、バレた?」

「あんたねぇ……」

 ロアナがわなわなと震え出す。

「ごめんごめん。恋バナとか久しぶりだから、楽しくてつい」

 笑いながら謝ると、ロアナはさらに怒り始める。

「ついじゃないわよ! あんた私に喧嘩売ってんの!?」

「ははは、まさか」

「笑ってんじゃないわよ!」

 ロアナはなんというか、とても分かりやすいいい子だ。野良猫のようでちょっと可愛い。

「まあそう怒んないでよ。私、ロアナに協力するからさ!」

「べつに、あんたなんかに協力してもらわなくたって、私はひとりで平気だし」

 ふんっと、ロアナは再び腕を組んでそっぽを向いた。これは、それなりの情報を献上しなければ許してもらえなさそうだ。

「あのね、ここだけの話、テオは縫いものとか好きだよ」

「えっ、ほんと?」

 ロアナが食いつく。やっぱり素直な子のようだ。


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