「あと、ああ見えて魔獣にも詳しいから、その辺りの話をふると会話が広がるかも」
「なるほど……そうなのね! 分かった。……で、でも、私、テオさまに話しかけるなんてできるかしら……!」
ロアナは両手を頬に当てて困惑顔。さきほどまでのいじめっ子の表情はまるっきり消え、赤くなったり青くなったりと、今ではただの恋する乙女だ。私はたまらずロアナの手を取った。
「大丈夫! テオは案外素直だし、最初は塩対応かもしれないけど、めげずに押していけばきっと仲良くなれるよ!」
「う、うん……! そうよね、がんばってみる」
素直なロアナの姿を見て、私はふっと頬が緩むのを自覚する。
――そういえば、恋ってこんな感じだったっけ。
ちょっとしたことが気になって、ちょっとしたことで喜んで。
私が最後に恋をしたのは、果たしていつだっただろうか。
――懐かしいなぁ……。
「……ねえロアナ。もしかしてロアナが私にいやがらせをしてたのって、私がテオと仲良かったから?」
ふと気になって訊ねてみると、ロアナが一瞬で茹でダコのようになった。
「だ、だって仕方ないじゃない……! 彼、これまでどんな女の子にも興味ないって感じだったのに、いきなりあなたと仲良くなってるんだもの……!」
思ったとおり、素直すぎる反応が返ってきた。私は頷く。
なんだか、ロアナが可愛く思えてきた。
「あーもう……なんだ。そういうことだったんだ?」
私はふふっと笑いながら続ける。
「それなら心配しなくていいよ。私とテオは本当になんでもないから」
ロアナを励ますつもりで言ったのだが、ロアナの表情は浮かないままだ。
「……どうしたの?」
訊ねると、
「そういう問題じゃないわよ」
と、ロアナが呟く。
「え?」
「たとえあなたが彼のことをまったく好きじゃなかったとしても、テオさまにとってどうかはテオさま自身にしか分からない。恋はひとりでするものじゃない。あなたが勝手に判断したテオさまとの関係性なんて、私にはなんの安心材料にもならないのよ」
ハッとした。
ロアナの言うとおりだ。
私がテオのことをなんとも思っていなかったとしても、テオも私と同じ気持ちとは限らない。
テオの気持ちも聞かずに、私はこんな発言をするべきではなかったのだ。
「……そうだね」
「ま、たとえテオさまがあなたを好きだったとしても、私は諦めないけどね。私は、報われるかどうかでひとを好きになるわけじゃないもの」
「へぇ……」
驚いた。ロアナは案外、真面目な子のようだ。
「……ねえ、ロアナ」
声をかけると、ロアナが振り向く。
「なによ」
「ロアナって、実はいくつ?」
魔法で若返ったのでは? くらいに思えてしまったが。関心していると、ロアナの眉間にぐっと皺が寄った。あ、しまった、と思った。
「……やっぱりあなた、私のことバカにしてるでしょ!」
「し、してないしてない! 本当に関心してるだけ! ほら、この国のひとって結構魔法が身近だったりするから……! あ、それにほら、私まだ、本気でひとを好きになったことがないし」
慌てて言うが、これは事実。私はまだ、本気の恋というものを経験したことがなかった。
「本気でって、じゃああなた、第一王子のことは好きじゃなかったわけ?」
「……あ」
私は思わず口元を押さえた。
そういえばそうだった。
ローズマリーは、投獄される直前まで、この国の第一王子であるロドルフ・リカールと婚約関係にあったのだった。
ひとを好きになったことがない、と断言してしまうのは、ローズマリーの過去を考えるとあまりよろしくないかもしれない。
「あー……いや、ロドルフさまのことはもちろん好きだったのだけど、えっと、なんていうか……」
しどろもどろになっていると、ロアナは「まあ、分かるけど」と呟いた。
「え」
「ロドルフさまは、なんといっても第一王子だものね。そういう肩書きに目が眩むのは、仕方がないと思うわ」
「……あ、えっと……う、うん。そう……ね」
曖昧に頷く。
果たして、ローズマリーはどうだったのだろう。
おそらく、当時の状況に救いを求めて彼の手を取ったのは事実。でも、それだけではきっとない。だって、それだけだったら、私がロドルフと再会したときに感じたあの胸の痛みはないはずだ。
ローズマリーはきっと、ロドルフのことをちゃんと想っていた。……とはいえ、この場に本人がいない以上、本当のところは分からないけれど。
「……ねえ。あなた、なんでさっき、言わなかったの」
「え?」
考え込んでいると、ロアナが私に訊ねた。私は顔を上げてロアナを見る。
「あのとき既に、私がテオさまのこと好きだって気付いてたんでしょ。だったらなんでいやがらせのこと、テオさまの前で言わなかったのよ。あのとき私がやったって言えば……」
私は、ロアナの言葉を遮るようにして返した。
「……そんなこと言ったって、だれも幸せにならないじゃない」
もしそんなことをしたら、ロアナはもっと私を許せなくなっただろうし、私だって良い気分にはなれなかったように思う。
「なにそれ。それで私に恩を売ったつもり?」
「べつにそんなつもりはないけど……」
そもそもの話だ。
私はただ、美味しいご飯が食べたいというそれだけだった。
ロアナの意地悪を暴きたかったわけでも、ロアナからテオを奪いたかったわけでもない。
もやっとした気持ちになったとき、そもそも私はなにが望みだったのかということを考えることが大切だ。そこを間違えると、人間関係が拗れてしまう。それを間違えなかっただけ、今の私には余裕があるのだろう。
「……あんたって、変わってるのね」
それを言われたらぐうの音も出ないじゃないか、とでもいうような顔で、ロアナは私を見て言った。
「へへ、よく言われる」
私は笑って誤魔化しつつ、
「でもま、結果的にロアナを守ったことにはなるから、そこは感謝してくれてもいいかもね?」
わざと挑発するように言ってみると、
「はあ?」
とロアナが不機嫌な顔をした。
「なにそれ! なんで私が! あのね、私があなたに感謝するなんて一ミリも有り得ないから!」
一ミリも、を強調された。
「む」
悔しい。私は言い返す。
「一ミリくらい感謝してよ。せめて一ミリくらい」
「いやよ!」
「はぁ〜悲しいなぁ。テオは心が広い子が好きだと思うけど。そう、たとえば私みたいな」
「なっ……」
ロアナが悔しげに奥歯を鳴らす。
「……あんたってほんと、いい性格してるわよね」
「えーロアナほどじゃないよ?」
「はぁ!? なによそれ! 今のもういっぺん言ってみなさいよ!」
「えぇえぇ。何度でも言ってあげますとも!? 私はロアナに比べたら天使のようですって」
「なんですって!? ちょっとあんた、表に出なさいコラ!」
「残念でした〜! 私は今罪人なのでこの牢から出られないんですー!」
「得意げに言ってんじゃないわよ! ねえ!」
私たちの言い合いは、ルドヴィックとテオがほかほかな食事を運びに来るまで続いたのだった。
無論その際、ロアナがテオの前で借りてきた猫となったのは、言わずもがなである。