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56.告発

 昇降口にはほとんど人が残っておらず、窓の外から差し込む夕焼けが長い影を伸ばしていた。湿った空気が肌にまとわりつく。外では遠くで部活動の掛け声が聞こえるが、この場には妙な静けさが漂っていた。


 柱の陰に潜む人影が、少しずつ鮮明になっていく。制服の袖を強く握りしめ、怯えた表情を浮かべる女子生徒。その顔を見た瞬間、俺は彼女の名前を思い出した。藤咲ふじさき由梨ゆり──同じ学年の生徒であり、いじめグループの一員でもある。

 以前、俺が凪沙をいじめから助けた時も、由梨はその場にいた。リーダー格の女子の後ろに隠れるようにして、表立って手を出すことはなかったが、視線を逸らしながらも、黙ってその状況を見ていたのを覚えている。


「……何か用?」


 俺は警戒しつつも、落ち着いた口調で尋ねた。由梨は戸惑いの表情を浮かべながら、小さく頷く。


「私……もう限界なんです。あのグループにいるのが……」


 俺は由梨をじっと見つめた。彼女の肩は震えており、今にも泣き出しそうだった。だが、ここで焦らせるのは得策ではない。俺は静かに彼女の話を待つ。


「……美優みゆが怖いんです。ずっと脅されていて……本当は、いじめなんてしたくなかったのに」


「美優……?」


 俺の問いに、由梨はさらに顔を伏せた。


「私たちのグループのリーダーの……新田にった美優みゆです。その子のお兄さんがこの間、雲雀君の自転車に細工がされていた事件で逮捕された三人組のうちの一人なんです」


 その言葉に、俺の全身が強張る。あの三人──世羅に嫌がらせをした挙句、孝輝の自転車のブレーキワイヤーを壊し、事故に遭わせた首謀者たち。凪沙のいじめは、彼らとは全く関係のない問題だと思っていたのに……まさか、意外なところで繋がりがあったなんて思わなかった。

 由梨の手が、ぎゅっと拳を握りしめていた。制服の袖は少し皺が寄り、手の震えがはっきりと見て取れる。


「私……美優に逆らったら、何をされるかわからないんです。だって、彼女のお兄さんは怖い人だから……。もし、今グループを抜けたら、お兄さんが出所した後にきっと殺される……」


 最後の言葉は、ほとんど囁きだった。その恐怖は尋常ではないのだろう。俺は思わず唾を飲み込んだ。


「……ずっと、グループから抜けたかったんです。でも、どうすればいいのかわからなくて……」


「新田は、どんなふうに君たちを支配していたんだ?」


 俺の問いに、由梨はびくりと肩を震わせた。


「最初は普通の友達だったんです。でも、いつの間にか命令口調になっていって……逆らおうとすると、次の日には教科書が消えたり、体育の時間に靴がなくなったりしました。それだけなら、まだよかったんです。でも、ある日、私のスマホが勝手に操作されていて……」


「スマホ……?」


 由梨は頷いた。顔は青ざめている。


「誰かに勝手にSNSのアカウントを使われていたんです。いつの間にか、私の名前で同級生の悪口が投稿されていて。それを見た子たちが私を責めて……気づいた時には、誰も信用してくれなくなっていました」


 由梨の声は震えていた。その様子を見て、俺は言葉を失った。


「それでも……私は黙って従うしかなかったんです。もし逆らったら、次はもっと酷いことをされるってわかっていたから……」


 ふと、俺は凪沙が見せてくれたスマホの画面を思い出した。


「……このアカウント、見たことない?」


 俺はスマホを取り出し、凪沙が受け取った嫌がらせのメッセージの送信元を由梨に見せた。彼女は画面を覗き込み、途端に顔色を失った。


「こ……これ……」


「知っているの?」


 由梨は震える指で画面を指し示しながら、小さな声で言った。


「……美優が、私たちのグループ用に作った裏アカウントです。彼女が、気に入らない子の悪口を書く時によく使っているんです」


 俺は驚いた。このアカウントは、凪沙を執拗に攻撃していた。つまり、凪沙のいじめを煽る投稿は、美優が主導していた可能性が高い。


「このアカウント、まだ動いてるな……」


 俺は投稿履歴を辿っていった。


「……あれ? 放課後の時間帯に投稿が集中しているな」


 投稿の時間を並べてみると、どれも学校が終わる時間帯に集中していた。つまり……。


「グループ内の誰かが、放課後に投稿していたってことか……」


「美優が直接やっていたか、彼女の指示で誰かが投稿していた可能性が高いですね」


 その言葉に、俺は頷いた。


「……もう少し調べれば、新田がいじめを仕掛けていた証拠が掴めるかもしれない」


「あの……湊君?」


 不意に背後から声がした。振り向くと、そこには世羅が立っていた。心配そうにこちらを見つめている。


「さっきから様子が気になって……もう大丈夫なの?」


 俺は少し考えた後、頷いた。


「うん、大丈夫だよ。この人は敵じゃない。世羅にも確認してもらいたいことがあるんだ」


 世羅はほっと胸を撫で下ろすと、こちらに歩み寄り話に加わった。俺はそんな彼女に経緯を説明する。


「──というわけで。とりあえず、みんなで協力して新田の動きを探ろう」


「え? 協力してくれるんですか?」


 女子生徒は目を見開きながらも尋ねてきた。


「もちろん。命令されていたとはいえ、君がしたことをすぐに許すわけにはいかないけど……でも、君は自分の過ちを認めて変わろうとしている。それなら、俺は君を見捨てたりしないよ」


「……ありがとうございます!」


 彼女は心の底からの感謝を告げた。嘘偽りのない言葉であると、表情を見ればわかった。きっと彼女も、自らの過ちを悔いているに違いない。だからこそ、俺は力になりたいと思ったのだ。


 それに……このまま放っておけば、きっと次のターゲットが生まれるだけだ。凪沙のいじめは、単なる学校内の嫌がらせではなく、計画的に行われていた可能性が高い。

 俺たちは改めて顔を見合わせた。誰も口を開かなかったが、互いの目には同じ決意が宿っていた。


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