夕闇がゆっくりと校舎を包み込み始め、学校は静寂に包まれていた。昇降口を出た俺たちは、校門近くの街灯の下で改めて顔を見合わせる。由梨は未だ緊張の色を滲ませていたが、先ほどよりは落ち着いているようだった。しばらく沈黙が続いたが、やがて世羅が一歩前に出て、穏やかな声で由梨に問いかけた。
「藤咲さん、大丈夫?」
由梨は少し戸惑ったように頷いた。
「はい……お気遣い、ありがとうございます」
彼女の声には、自責の念と安堵が入り混じっていた。今まで美優に支配され、従わざるを得なかった環境。その呪縛から解き放たれつつある今、彼女は自分の選択に恐怖しながらも、微かな希望を抱いているのだろう。
俺はふとスマホを取り出し、美優たちの裏アカウントの投稿を改めて確認した。投稿のほとんどは、相変わらず放課後の時間帯に集中している。いじめの主導者が動いていた時間と重なるのは、偶然じゃない。まだどこかに繋がりがあるかもしれない──そんな予感が頭をよぎった。
「とりあえず、新田の動向を探ろう。……藤咲さん、協力してもらえる?」
俺が尋ねると、由梨は少し目を見開いた。
「は、はい……もちろんです」
「君が知っていることを教えてほしい。新田が普段どういう風にグループを動かしていたのか、いじめをどのように仕組んでいたのか。それが分かれば、俺たちも対処の仕方が見えてくる」
由梨はしばらく考え込んでいたが、やがて意を決したように頷いた。
「……わかりました。私が知っている限りのことをお話します」
彼女の決意を感じ取り、世羅が安心したように微笑む。
「ありがとう、藤咲さん」
俺たちはその場を後にし、近くの公園へ移動することにした。人通りが少なく、落ち着いて話せる場所が必要だったからだ。
公園のベンチに腰掛けると、由梨はスマホを取り出し、少し躊躇いながらも、美優との過去のやり取りを見せてくれた。そこには、美優がいじめの指示を出していた痕跡がはっきりと残っていた。画面には、グループトークのやりとりが映っている。
『ターゲットは前に言った通り。明日、ちゃんとやって。スルーしたらどうなるか……わかってるよね?』
『あいつ、今日の昼休み泣いてたっぽいw 超ウケるw』
『今日、あいついじめるとき手加減しただろ。ちゃんとやれよ、お前ら』
美優が直接送ったと思われるメッセージは、淡々としていたが、その中に込められた冷酷さがはっきりと伝わってくる。特に、「スルーしたらどうなるか……わかってるよね?」という一言には、暗に従わなければお前たちが標的になるという脅しが含まれていた。由梨は俺の手元の画面を覗き込むと、ぎゅっと唇を噛みしめる。
「……これが、私が受け取っていた指示です。毎回、美優からこういうメッセージが送られてきていました」
由梨がそう言うと、世羅が眉をひそめた。
「ひどい……本当に、こんなことやっていたんだ……」
「これで決定的だな。新田がグループのメンバーにいじめを強要していた証拠もある。あとは、どうやってこれを突きつけるか、だ」
俺が画面をスクロールしながら呟くと、由梨が小さく頷いた。
「ええ……でも、実は私たちのグループだけじゃなくて、他にも美優に従っている人がいるんです」
その言葉に、俺は眉をひそめる。
「つまり、新田の支配はもっと広範囲に及んでいるってことか……」
「はい……彼女の影響力は学年全体にまで及んでいて、いじめの対象を次々に変えていくんです。だから、誰も逆らえなくて」
俺はため息を吐いた。由梨の話が本当なら、美優はただのいじめの主犯ではなく、組織的に人を支配し、恐怖を植え付けている存在だということになる。だが、それならなおさら放ってはおけない。
「……まずは、証拠を集めよう」
俺の言葉に、世羅と由梨は真剣な表情で頷いた。
「藤咲さん。これからも、新田の動向を確認できる情報があればすぐに共有してくれ。俺たちも別の手段で探る」
「はい、わかりました」
由梨の目には、これまで見せたことのない強い意志が宿っていた。彼女の覚悟が、夕闇に染まりゆく空気の中にそっと溶け込んでいくようだった。
「藤咲さんは……怖くないの? もし、新田さんに知られたら……ただでは済まないよね?」
ふと世羅が優しく訊ねると、由梨は少し驚いたように目を瞬かせた。その問いに、彼女は一瞬だけ唇を噛みしめたが、やがて小さく息を吐いて答えた。
「怖いです……正直、すごく。でも……ずっと悩んでいたんです。どうして、私は美優に従ってばかりだったんだろうって。いずれ誰かが変えなきゃいけないなら、それをやるのは私じゃないか──そんな気がしていたんです」
彼女の声は震えていたが、その奥には確かな決意が込められていた。俺はその言葉を噛み締めながら、茜色が残る夕空を見上げる。西の空にはうっすらと雲が流れ、沈みかけた陽がかすかに光を残していた。
「藤咲さんは、一人じゃないよ。私たちがついているから」
世羅がそっと由梨の手を握った。
「……! はい!」
由梨は目を伏せたまま、小さく微笑んだ。
一通り話し終えると、俺たちはそれぞれ思案しながら、公園をあとにした。帰り道の途中、ふと足を止めた俺は、小さく呟いた。
「……もしかしたら、裏で新田を操っている人間がいるのかもしれないな」
俺の呟きに、由梨が驚いたように振り向いた。
「え……?」
そんな由梨に、俺は曖昧に微笑んだ。まだ何の確証もないが、胸に湧いた疑念を簡単には払拭できなかった。やはり、美優の背後にもっと大きな何かが潜んでいる気がしてならない。