放課後、俺と世羅は学校近くのカフェに入った。店内は程よく静かで、会話をするにはちょうどいい。窓際の席に座ると、世羅がメニューを眺めながら小さく息をついた。
「……それで、どうしようか? 藤咲さんのスマホのやり取り、使えると思う?」
俺はポケットからスマホを取り出し、由梨から送られてきたスクリーンショットを見直した。
「証拠としては十分すぎるくらいだ。でも……」
言葉を濁すと、世羅が俺の顔をじっと見つめる。
「でも?」
「これを公にしたら、新田はきっと動く。証拠を隠そうとするか、こっちに何か仕掛けてくるかもしれない」
そう答えると、世羅はわずかに表情を曇らせた。
「……そうだよね。あの新田さんが大人しくしているわけないもん」
俺たちは同時にため息を吐く。
「じゃあ、慎重に動く?」
「それが正解だと思う。新田の影響力がどこまで及んでいるのか、まずはもう少し調べた方がいい」
由梨のスマホに残されたやり取りを見る限り、いじめに関与している生徒は複数いる。だが、全員が進んでやっているわけではない。高橋のように、仕方なく従っているだけの人間も多い。
「取り巻きの中には、新田に逆らえずに従ってるだけの人もいる。もし他にもそういう人がいたら、こっちに情報を流してくる可能性だってある」
「協力者を増やすってこと?」
「うん、それもひとつの手だと思う。ただ、慎重にやらないといけない。……新田にばれたらややこしいことになるだろうし」
世羅は頷きつつ、考え込むように視線を落とした。
「……でも、動くのが遅すぎても駄目じゃない?」
「うん」
俺はコーヒーを一口飲んでから、言葉を続ける。
「時間をかけすぎれば、そのぶん新田に証拠を消す余裕を与えることになる。こっちの動きに気づかれたら、きっと何か仕掛けてくるはずだ」
慎重に進めるべきか、速攻を仕掛けるべきか。俺たちの意見はまだ揺れていた。
「……藤咲さんは?」
「ん? 藤咲さん?」
「藤咲さんは、どうしたいと思っているんだろ。彼女も新田さんのこと、すごく警戒してるよね」
俺は、あのときの由梨の顔を思い出した。美優に裏切りがばれることを恐れていた、怯えたような表情を。
「藤咲さんは、慎重に動こうとしていると思う。彼女、新田のことを極端に怖がってるし」
「そうだよね……」
しばらく沈黙が流れる。カフェの奥では、女子高生たちが楽しそうに談笑していた。俺たちとは無関係な、平和な空間。その光景が、妙に遠いものに思えた。
「いずれにせよ、新田をこのまま野放しにはできないな」
俺はテーブルの上で指を組みながら考えを巡らせる。今までのやり取りを思い返してみても、取り巻きの中に純粋に美優を崇拝しているような人間はほとんどいない。
「とにかく……新田に逆らえずにいるけど、本心では反発している人を味方につけよう。藤咲さん以外にも、そういう人は絶対いるはずだ。高橋は……まあ、あの感じだと、今はまだ厳しいかもしれないけど」
「そういえば……湊君、高橋さんに接触しちゃったんだよね? 大丈夫かな? 新田さんに言いつけられたりしない?」
世羅は不安そうにそう訊ねてくる。
「心配ないよ」
俺は軽く首を振った。
「高橋は、事なかれ主義なんだ。できるだけ、波風を立てたくないタイプ」
「……どういうこと?」
世羅が小首を傾げる。俺は少し考えてから言葉を選んだ。
「この前、高橋に話を聞いた時さ……あいつ、最初は逃げようとしたんだよ」
俺はストローを弄びながら話を続ける。
「本当に新田の味方なら、もっと彼女を庇うはずだろ? でも、高橋は違った。むしろ、俺との関わりをできるだけ避けようとしてた」
「それって……?」
「要するに、高橋にとって一番大事なのは、『自分が面倒ごとに巻き込まれないこと』なんだ。だから、俺と話していたことを新田に報告すれば、逆に『なんで由井と話していたの?』って詰められるリスクがある。それを避けるために、何も言わない可能性が高い」
世羅は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「へえ……よく見ているんだね、湊君って」
(まあ、タイムリープ前の世界で接客業をしていた時に嫌というほど見てきたからな)
俺は心の中で苦笑する。客のちょっとした表情や言葉の選び方一つで、その人間が何を考えているのか、ある程度は察せるようになる。高橋の態度は、そういった連中とよく似ていた。
「だから、大丈夫。高橋は新田に告げ口しないし……むしろ、追い詰められたら、彼女がこっちの味方になる可能性だってある」
俺はストローを噛みながら考え込む世羅を横目に、そう言い切る。
「とりあえず、もう少し情報を集めてみよう。誰彼構わず引き込むのは危険だろうし」
俺の言葉に、世羅は小さく頷いた。
「うん、そうだね。慎重にやろう」
こうして俺たちは、次の一手に向けて動き出す準備を始めた。
***
Side 美優
夕暮れが校舎を赤く染める頃。美優は廊下の窓際に立ち、スマホを弄っていた。細く整えられた指が画面を滑る。そこには、取り巻きの生徒たちから寄せられたメッセージが並んでいた。
『高橋が図書室で由井と話していました』
美優は小さく笑った。まるで予定調和のように、思った通りの流れになっているからだ。
「へぇ……面白い。随分と積極的に動くじゃん。あいつ、実はただの陰キャじゃないのかも」
独り言のように呟きながら、美優はスマホをポケットにしまう。焦りや怒りは微塵も感じない。むしろ、状況を楽しんでいるような余裕さえあった。少しずつ、美優の目の届かないところで歯車が狂い始めているのは確かだ。だが、それをすぐに修正する必要はない。
「……少し、様子を見てみよっと」
美優は唇の端をわずかに吊り上げた。焦るのは向こうのほうだ。いずれ彼らは、自分の掌の上で踊らされていることに気づく。その瞬間を想像すると、次にどんな手を打とうか考えるのも愉快だった。