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62.反撃の狼煙

 俺は少し離れた場所から、息を殺して様子をうかがっていた。由梨はいつも通りに振る舞っているが、肩にはわずかな緊張がにじんでいるのが分かる。

 やがて、取り巻きの一人が、わざと間を置いてから声をかけた。


「怪しい……絶対なんかあるでしょ?」


「別に……何もないですよ」


 由梨は落ち着いたふうにそう返したが、その声には微かな硬さがあった。俺は無意識に唇を噛む。そのまま成り行きを見守っていると、取り巻きの一人が由梨に鋭い視線を向けた。


「へぇ? じゃあ、スマホ見せてよ」


「……っ」


 その一言に、由梨の肩が震えた。焦りを隠そうとした仕草が、かえって疑いを深める結果になってしまった。


「ほら、やっぱり何かあるんじゃん」


 取り巻きがじわじわと詰め寄る。由梨は一瞬息を呑み、表情を引き締め直した。


「どうしよう……藤咲さんがこれ以上追い詰められたら……」


 世羅の言葉が終わる前に、取り巻きの一人が一歩前へ出た。由梨に向かって、じわじわと距離を詰めていく。

 物陰に身をひそめたまま、俺はぐっと堪える。由梨のわずかな動揺が、取り巻きたちの圧力を一層強めていた。少しでも隙を見せれば、彼女の立場は一気に崩れてしまう。


「もう、強引にでも助ける……?」


 世羅が耳元で囁いてきた。その表情は真剣そのものだ。だが、俺は首を横に振る。


「いや、それはリスクが高すぎる」


 世羅の眉がわずかに寄る。


「でも、このままだと……」


「下手に動けば、藤咲さんが不利になってしまうよ」


 俺はそう答えながら、由梨の小さく震える背中を見つめた。

 無理に助けようとして、俺たちの存在が明るみに出れば、かえって由梨を追い詰めることになる。美優の取り巻きに「由梨は裏切った」と確信させるだけだ。そうなれば、今以上にひどい仕打ちが待っているに違いない。


「じゃあ、どうするの?」


「逃げ道を作る」


 俺は静かにそう言った。世羅はしばらく考え込むように沈黙していたが、やがて小さく頷いた。


「……分かった。でも、もしやばくなったらすぐ引こうね」


「ああ」


 俺も頷く。取り巻きたちの追及はさらに激しくなっていく。由梨の肩がこわばり、視線が彷徨うのが見えた。

 取り巻きたちは、まるで獲物を逃がさぬように取り囲みながら、次々と疑いの言葉をぶつけている。


「最近、なんかこそこそしてるし……もしかして、裏で誰かと連絡取ってるんじゃないの?」


「まさか、私たちのこと裏切ったりしないよね? だって、仲間だもんね?」


 彼女たちの言葉は軽く笑い交じりではあったが、その裏にあるのは明確な圧力だった。いつ「証拠を出せ」と詰め寄られてもおかしくない状況だ。


「は、はい……もちろんです」


「へぇ?」


 取り巻きの一人が、意地悪く由梨のスマホに視線を落とした。


「じゃあさ、スマホ見せてよ」


 一瞬で由梨の表情が強張る。


「……え?」


「だって、何もないんでしょ? だったら、見せられるよね?」


 取り巻きたちがじわじわと間合いを詰めてくる。由梨は一歩、また一歩と後ずさるが、すでに背中は壁際に追い詰められていた。今しかない──逃げ道を作るなら、この瞬間だ。俺は覚悟を決め、世羅と目を合わせる。スマホを奪われたら、全てが水の泡になる。


「……よし、やろう」


 静かに告げると、世羅は小さく頷いた。俺は立ち上がると、周囲を見渡した。正面から踏み込めば、由梨も俺たちも、一緒に捕まるリスクがある。ならば――もっと意外な方法で、連中の注意を逸らすべきだ。


「……これでなんとかする」


 俺はそう言うと、ポケットからスマホを取り出す。すると、世羅は怪訝そうな顔をした。


「これでなんとかするって……どういうこと?」


「まあ、見ていればわかるよ」


 俺はスマホを素早く操作すると、ある音声を探した。再生ボタンを押すと、スマホのスピーカーから鋭い声が響き渡った。


『あんた、マジでウザいんだけど。さっさと消えてくれない?』


 美優の声だ。先日、由梨から送られてきた証拠データの中に含まれていた彼女の暴言──それを今、この場で爆音で流してやった。突然の音声に、取り巻きたちは一斉に顔をこわばらせる。


「え? 何これ?」


「新田さんの声……?」


 ざわめきが広がる。俺はすかさず、さらに音量を上げた。


『は? 何? まさか私に逆らおうとか思ってんの? 馬鹿じゃないの?』


 驚きと混乱が取り巻きたちを襲う。由梨を問い詰めていた連中も、一気にそっちに意識を向けた。


「ちょっと……誰よ!? こんなの録ったの! てか、この音どこから聞こえて──」


「やば、これ広まったらマジで終わるんじゃ……」


 ざわつく取り巻きたちを見て、由梨が小さく息を呑んだ。俺と世羅は彼女に小さく合図を送る。


「……!」


 由梨はすぐに察したようで、スマホを握りしめたまま、一歩ずつ静かに後ずさる。

 そして――次の瞬間、踵を返し、一気に駆け出した。


「あ! ちょっと待っ――!」


 取り巻きたちが気づいた頃にはもう遅い。俺たちもすぐに物陰を抜け、彼女の後を追った。


「ナイス判断、湊君!」


 世羅が小声で笑う。だが、問題が解決したわけではない。これがきっかけで事態がややこしくなったのは事実だ。


(新田がこの騒動に気づけば、間違いなく手を打ってくるだろうな……)


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