その日の朝。俺はスマホを手に、画面に映る画像や動画をただ見つめていた。
(これって、やっぱり……あのとき藤咲さんが見せてくれた“証拠”だよな)
そう思いながら、今度は動画をタップして再生する。画面には、この学校の生徒と思われる女子が美優にいじめられている様子が映っていた。おそらく、過去に美優のターゲットになった生徒の一人だろう。投稿者の配慮か、被害者の顔にはぼかしが入っていて誰なのかは判別できない。
数日前から、「なんかやばい投稿が出回っているらしい」という話はクラスでもちらほら聞こえてきていた。でもそのときは、正直そこまで気にしていなかった。ここ数日、新田の動きを探るので手一杯だったし、それに──正直、あの由梨がそんな大胆なことをするなんて思ってもいなかったからだ。
「……まさか、こんなに早く動くなんて思わなかった」
思わず独り言が漏れた。どう考えても、今は情報を出すには時期尚早すぎる。もちろん、こういう展開があり得ること自体は頭の片隅にあった。……でも、まさか一人で、何の相談もなしに動くなんて。そこまでは読めていなかった。
とはいえ、俺はすぐに冷静さを取り戻す。そして、これから巻き起こるであろう混乱を頭の中でシミュレーションしながら、考える。思いがけない動きではあったが、逆に言えば──これをどう活かすかが重要だ。
隣にいた世羅も、スマホを片手に目を見開いていた。彼女もここ最近はずっと俺と一緒に動き回っていたし、噂を拾う暇なんてなかったはずだ。
(まあ……世羅が知ってたなら、俺に黙ってるわけないよな)
世羅は画面に映る反響を見つめたまま、震える声で口を開く。
「ちょっと待って……まだ公開するには早すぎたんじゃない? こんなふうになったら、新田さんが怒ってかえって事態が悪化するかもしれないし……」
その声には、はっきりと焦りがにじんでいた。由梨が動いたことで、もう後戻りできない地点まで来てしまった──世羅はそれを怖れているのだろう。俺はその不安を感じ取りながらも、あくまで冷静に応じた。
「確かに、このタイミングでの公開はリスクが高い。でも……こうなった以上、仕方ないよ」
世羅は不安げにスマホを操作しながら、目の前で広がる騒動にどう対応すべきか分からずに戸惑っている様子だった。俺はそんな彼女の不安を無視せず、まっすぐに目を見て言葉を続ける。
「これは、藤咲さんが選んだ方法だ。俺たちはその選択を無駄にしないよう、彼女を援護しよう」
俺の言葉を聞いた世羅は、しばらく考え込んだあと、ようやく少し落ち着いたように頷いた。
「……う、うん。そうだね。彼女が自分で選んだことだもんね」
俺は世羅に小さく頷いてから、再びスマホに視線を落とした。どれだけ混乱が広がろうと、俺たちで必ず制御してみせる。由梨が公開した証拠は、これからのすべてを左右する鍵だ。
SNSでは、すでに大きな波紋が広がっていた。証拠として上げられた動画にはコメントが殺到し、フォロワー数も急増している。美優やその取り巻きがどう反応するか、そして学校内でどんな動きが起こるのか。これから先の展開が予想できないだけに、不穏な空気が漂っていた。
***
Side 美優
昼休みのざわめきが教室を包んでいた。誰かが笑い声を上げ、誰かが何気ない会話に興じている。そんな日常の喧騒の中で、美優はスマホの画面をぼんやりと見つめていた。
不意に、通知音が鳴り始める。最初は気にも留めなかったが、その数はみるみるうちに増えていき、やがて異常な頻度で鳴り続けるようになった。
スマホの画面に、SNSのリプライ通知が次々と表示されていく。内容はいずれも、美優のいじめを追及するものばかりだ。眉がわずかに動き、指先に力がこもる。
「……チッ」
短く舌打ちした美優は、すぐに顔を上げた。苛立ちが胸の内をかすめるが、それを悟られないようにすぐに冷静な表情を取り繕う。そして、取り巻きの一人に視線を送ると、低い声で命じた。
「これはデマだってことにしなさい。由梨が私を貶めるためにやったことだ……ってね」
「で、でも……動画まで出回っているんですよ……? ここまで証拠が揃っていたら、さすがに無理があるんじゃ……」
「はぁ? 証拠? ……馬鹿なの?」
美優は取り巻きを睨みつける。少しでも迷いを見せれば、それは即ち敗北を意味する。だから、冷たく言い放った。
「動画なんて、いくらでも捏造できるでしょ。由梨は、いじめに加担させられた“可哀想な子”を演じているだけ──そういうことにすればいいの。私が本気になれば、由梨の計画なんて簡単に潰せる。……違う?」
その言葉に、取り巻きは困惑しながらも小さく頷いた。美優の命令に逆らえば、自分たちが標的になる可能性もある。それがわかっているのだろう。美優はスマホを弄りながら、さらに続ける。
「それと、学校にも圧をかける。あの投稿の信憑性を疑わせるように仕向ける」
「え……でも、どうやって?」
「先生たちに言えばいいのよ。由梨が過去に問題を起こしていたって。嘘でもいいから、以前から虚言癖があったことにすればいい」
美優は唇を歪めて笑う。
(……さてと。ちょっと調子に乗りすぎちゃったみたいね、由梨。今まで泳がせてあげたんだから、そろそろこっちも反撃ぐらいはさせてもらわないと)
心の中でそう呟くと、美優はスマホを机へと置き、足を組み直した。教室のざわめきの中で、彼女の動きに気づいた取り巻きたちが、次々と視線を向ける。美優は唇を歪め、静かに言った。
「由梨を呼んできて」
その一言で、取り巻きの一人が素早く動き出した。命じられた生徒は足早に廊下へと向かい、美優は再びスマホの画面に視線を戻す。
投稿は瞬く間に拡散され、コメント欄には「本当?」「どうせヤラセでしょ」「これ、どこの学校?」と、賛否入り混じる声が次々と寄せられていた。その言葉の波に、美優はさらに苛立ちを募らせていく。
と、そのとき──廊下の向こうから足音が響いた。静かな緊張感が教室を包む。数秒後、由梨が戸口に現れる。表情は硬いが、その瞳には怯えの色はなかった。
「……何ですか?」
由梨の問いかけに、美優は冷たい笑みを浮かべながら手招きした。
「話があるの。こっちに来て」
その言葉を受けて、由梨は一瞬だけ周囲を見渡した。そして、観客のように沈黙する生徒たちの間を静かに通り抜け、美優の前へと歩み寄った。
「ねえ、由梨。あれは、さすがにやりすぎじゃない?」
美優は由梨の耳元に口を寄せると、威圧を帯びた声音で問いかける。周囲の取り巻きたちは何気ない動作で教室の出口を塞ぎ、逃げ道をなくしていた。
「……何の話ですか?」
由梨は視線を逸らさずに問い返した。彼女の手は軽く拳を握っているが、震えはない。その態度に、美優は目を細めた。
「とぼけないでよ。あの投稿、すぐに消して。そして、私に謝りなさい」
「嫌です」
即答だった。由梨の声は静かだが、迷いは感じられない。その言葉に、取り巻きの何人かが驚いたように顔を見合わせる。美優は口元をわずかに引きつらせた。
「へぇ……そう。わかった。素直に謝れば、少しはお情けをかけようかと思ったけど、もう容赦しないことにする」
美優は静かにそう言うと、スマホを手に取り、操作を始めた。
「……どういうつもりですか?」
由梨が警戒するように尋ねると──美優はゆっくりと顔を上げ、笑みを深めてみせた。