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65.被害者の仮面

 Side 美優



 次の瞬間、美優は目を伏せ、わずかに震える手でスマホを握りしめる。そして──深呼吸するように胸を上下させ、目に涙を浮かべたままゆっくりと顔を上げた。


「……もう、やめてよっ……!」


 声を微かに震わせ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべてみせる。周囲の生徒たちは驚いたように顔を見合わせた。美優は唇を噛みしめながら、絞り出すように言葉を続ける。


「ずっと……由梨に脅されていたの。怖くて……でも、どうしたらいいのかわからなくて……」


 教室内にざわめきが広がり、誰かが「マジで?」と小さく呟いた。美優は震える指でスマホを操作すると、あるスクリーンショットを表示した。


「証拠ならあるの……これ……」


 画面には、まるで由梨が美優に指示をしているかのようなメッセージが並んでいた。実際は別の会話を切り取って編集した、完全な捏造だった。だが、こうなることも予想して、美優はあらかじめ画像を用意しておいたのだ。


(由梨って、前々からすぐ裏切りそうだと思っていたのよね。我ながら、用意周到だわ)


 そんなことを考えながら、美優は心の中でほくそ笑む。──それからは、思惑通りに事が進んだ。美優が震える声で訴え、加工した証拠を見せたことで、教室内の雰囲気が一変したのだ。生徒たちはスマホの画面を覗き込みながら、小声で話し合いを始める。


「え? 新田さんって、陰で色んな人をいじめてるって噂があったけど……もしかして、誤解だったのかな?」


「実は藤咲さんに命令されてやっていただけだったのかも……」


「まじかよ……じゃあ、いじめグループの真の主犯は藤咲だったってことか……?」


 ひそひそと交わされる声が、じわじわと教室全体に広がっていく。中には驚いた表情を浮かべながら、由梨の方をちらりと見る生徒もいた。


「藤咲って、大人しそうに見えるけど、こんなに怖い奴だったんだ……」


「スクショ見た? ちょっとヤバくない?」


「怖すぎ。つまり、藤咲は被害者を装っていたってわけか……」


 生徒たちの間で、由梨への疑念が広がっていった。由梨に対して疑いの目を向ける声が、どこからともなく聞こえ始め、次第に大きくなっていく。


「ねえ、やっぱり藤咲さんが黒幕なんだよ。前から、ああやって新田さんを脅していしていたんだよ」


「確かに、言われてみればあの投稿にはおかしな点があった気がする……」


「そういえば……藤咲さんって、前に新田さんにひどいことしてなかったっけ? 俺、見たことあるような気がする。あれ……? もしかして、みんな忘れちゃってるだけなんじゃないか?」


 その言葉が出ると、他の生徒たちも「うん、確かに……」と反応する。由梨が過去に美優に嫌がらせをしていたという証言が、次々と浮かび上がった。


「そういえば……藤咲さんって、前からなんとなく新田さんを避けていたし、見ていてちょっと様子がおかしかったよね」


「授業中もさ、ずっと新田さんのほうを見ていたよね。今思えば……あれは、裏切らないように見張っていたのかも」


 教室中が美優を擁護する空気に包まれ、少しずつ由梨から離れていくのがわかる。それはまるで、ひとつの大きな波が押し寄せてきたようだった。


「私、新田さんが言ってること信じるよ。きっと、藤咲さんに脅されて怖かったんだよね。だから、従っちゃったんだよね。そもそも、そんなに悪い人には見えなかったし」


 一部の生徒たちは、完全に美優側に立つようになり、その言葉に他の生徒たちも頷き始めた。由梨の味方は徐々に減っていき、彼女の孤立が深まっていく。そして、ある生徒が静かに言った。


「やっぱり、新田さんが言ってることが正しいんだよ。大人しい藤咲さんがあんなことするなんて、信じられないけど……」


 その言葉がクラス中に響き、最後のひと押しのように、最後まで由梨を支持していた生徒たちも黙り込んだ。由梨は目を伏せ、言葉もなくただ立ち尽くしている。周囲の冷ややかな視線が、彼女を完全に包み込み、まるで孤独な島に取り残されたかのようだった。


「ねえ、藤咲さん。新田さんに謝りなよ」


 誰かがそう言った。その声を、由梨は呆然とした表情で聞いている。教室の中では、美優を擁護する声がまるで嵐のように彼女の周囲を吹き荒れていた。



***



 休み時間になると、俺と世羅は廊下を駆け抜け、由梨のクラスに向かった。あの投稿を見てから、ずっと心が落ち着かなかった。彼女が投稿した証拠が拡散され、それが今、学校中で話題になっていることは間違いない。俺の目にも、それがどれほどの反響を生んでいるのかがはっきりと伝わってきた。


 教室に着いた瞬間、外にいても異様な空気が伝わってきた。扉を開けると、すぐにざわめきが耳に飛び込んでくる。生徒たちはスマホを手にひそひそと会話を交わし、画面を覗き込んでいた。その中心で、由梨は何も言わずに俯いている。俺と世羅は、迷わず由梨のもとへ早足で向かった。


「藤咲さん……これって……」


 スマホの通知音が鳴るたびに、由梨の表情はさらにこわばっていった。無言のまま画面を見つめる彼女の目は、どこか焦点が定まらず、不安げに揺れている。俺には、そんな彼女をただ見守ることしかできなかった。

 そんな中、ふと違和感を覚えた。生徒たちが投稿された内容を信じているのなら、批判されるのは美優のはずだ。けれど、どういうわけか彼らは由梨を軽蔑するような眼差しで見つめている。


「藤咲さん……一体、何があったの?」


 首を傾げつつも尋ねると、由梨は虚ろな目のまま呟いた。


「これで終わりにできると思ったのに……」


 そう呟いた由梨の目が、俺の方に少し向けられた。その眼差しには、不安と恐怖が詰まっていた。


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