「ということは……やっぱり、あの投稿は……」
反応を見る限り、やはり投稿者は由梨だったようだ。隣にいる世羅が「だ、大丈夫かな……」と不安げに呟くのが聞こえる。俺は黙ったまま、由梨の様子を見守っていた。
彼女はスマホを握りしめたまま、うつむいたままだ。ざわつく教室の空気の中で、その肩がじわりとこわばっていくのがわかった。
「藤咲さん。さっきの話、マジなの?」
「ねえ、ちゃんと説明してよ」
周囲の生徒たちが、距離を詰めながら彼女に問いかける。いや、問いかけというより、詰問に近い。
由梨は唇を噛みしめ、視線を床に落としたまま微動だにしない。さっきより肩の震えが強くなっている。生徒たちが、さらに距離を詰めて由梨を囲む。
「黙ってるってことは、やっぱり図星なんだ? 本当はいじめグループの主犯だったのに、全部新田さんのせいにしようとしていたんでしょ?」
その一言で、俺はおおよその状況を察した。美優が自分を“被害者”として仕立て上げたことで、立場が逆転してしまったのだろう。
(……このままだと、まずいかもしれないな)
口には出さなかったが、そう思った。でも、すぐに助け船を出すのは違う気がした。由梨がどこまで踏ん張れるのか、それを見極める必要があった。簡単に崩れるなら、その程度の覚悟だということだ。
糾弾の声に、由梨は目を見開いた。スマホを握る指は、力が入りすぎて白くなっている。
俺は黙って様子を窺っていたが──由梨の顔が限界ギリギリの色を帯びた瞬間、足を踏み出した。
「あのさ、君たち。ちょっといいかな?」
低めの声でそう言うと、由梨を囲んでいた生徒の一人が「何?」と怪訝そうに振り向く。
「藤咲さんに用があるんだ。だから、ちょっと退いてほしいんだけど」
俺がじっと見つめると、彼らは何かを察したのか、一瞬躊躇った後、渋々距離を取る。由梨の前に立つと、彼女の顔が思った以上に青ざめていることに気づいた。唇を噛み締め、必死に感情を押し殺しているのがわかる。
「……あのさ、藤咲さん。このまま逃げたら、きっと後悔するんじゃないかな」
俺がそう言うと、由梨はビクッと肩を震わせた。
「で、でも……」
弱々しく言葉を絞り出すが、俺はそれを遮るように続ける。
「君は、覚悟を決めてあの証拠を出したんだろ? だったら、最後までやりなよ」
由梨は目を伏せる。何かを言おうとしているようだが、声が出せないようだった。そんな彼女を見て、俺は少し声を和らげる。
「怖いのはわかるけど……君が逃げたら、それこそ新田の思うツボだよ」
少し強めにそう言うと、由梨の唇がわずかに震えた。
「だ、だって……もう完全に形勢逆転されてしまったんですよ? みんな、美優の言っていることを信じているし……私なんかに、どうにか出来るわけが……」
「関係ないよ」
俺は軽く頭をかきながら、由梨をまっすぐに見た。
「自分が信じたことをやったなら、最後まで貫くんだ。もう後戻りはできないんだから」
由梨はじっと俺を見つめる。その瞳に、わずかに光が戻った気がした。
「怖いのはわかるよ。でも……ここで立ち止まったら、過去の自分にずっと縛られたままになっちゃうんじゃないかな?」
静かにそう続けると、由梨は強く唇を結んだ。彼女がどう動くのか……今はそれを見守るしかない。
少しの沈黙のあと、由梨が静かに顔を上げた。
「ちょっと、頭を冷やしてきます」
そう呟いて、教室を後にする。閉まるドアの音が妙に遠くに感じられた。さっきまでのざわめきが嘘のように消え去り、今はただ、自分の心臓の鼓動だけがやけに大きく耳に響いていた。
「ちょっと、行ってくる」
俺は小さく息を吐くと、世羅にそう伝えて教室を飛び出した。
廊下に出ると、少し先を由梨が歩いているのが見えた。ようやく追いついた俺がその背中を見つめていると、彼女はぴたりと止まった。
「……桜庭さんのためにも、美優の支配を止めないといけないんです。なのに……私、失敗しちゃいました」
声が小さく掠れていた。由梨は拳を握りしめ、震える息を吐き出す。
由梨は、ゆっくりとではあるが、確かに前に進もうとしている。けれど、その足取りには迷いが滲んでいた。
「それに、不安なんです。全部終わったとしても……その後、桜庭さんとどう接すればいいのかわからないんです」
凪沙との軋轢──それは、由梨自身が最も向き合いたくないものなのだろう。俺はしばらく考え込んだ後、静かに口を開いた。
「それを考えるのは、今じゃなくてもいいんじゃないかな?」
由梨がこちらを振り向く。困惑したような、怯えたような瞳。俺は彼女を見据えると、言葉を続けた。
「今は、ちゃんと向き合おうとする気持ちが大事なんだと思う。無理に答えを出さなくてもいい。ただ――逃げないって覚悟を決めるだけで、きっと何かが変わるんじゃないかな」
由梨の表情が揺れる。彼女はまた、何かを考え込むように目を伏せた。けれど、俺にはわかった。この短い時間の中で、彼女の中で何かが少しずつ変わり始めているのを。
やがて、由梨はそっと息を吸い込むと、小さく頷いた。
「もし、今度桜庭さんに会ったら……その時は、ちゃんと向き合います。彼女が許してくれるかどうか分からないけど……それでも、私はもう逃げたくないから」
震えながらも、そう言い切った由梨の瞳には確かな覚悟の光が宿っていた。そんな彼女を見て、俺は安堵し微笑んだ。
***
Side 美優
昼休みの教室は、いつも以上にざわついていた。美優は席に座ったまま、ちらちらと向けられる視線に気づいていた。
「藤咲さんに命令されていたんだよね? 可哀想に……」
「新田さんって、本当は被害者だったんだね」
そんな囁きが聞こえてくる。美優は視線を落とし、悲しげな表情を作る。うまく演じきった。このまま周囲を味方につければいい。──だがそのとき、不意に頭上から声が響いた。
「うん。俺も、新田さんはいじめの主犯ではないと思うよ」
一瞬、教室が水を打ったように静まり返る。驚いたように顔を上げた美優の前には、湊が立っていた。その隣には、世羅の姿もある。二人の視線が、まっすぐ美優に注がれていた。
(は……? 何……? どういうこと……?)
美優は動揺する。何故、湊はこんなことを言っているのだろうか?
「……え?」
思わず、声が漏れる。静まり返っていた教室が、再びざわつき始めた。美優の口元が、わずかに引きつる。まさか、湊がこちら側につくような発言をするとは思わなかった。だが、それが本心なのかは分からない。
彼が自分の味方をするはずがない。何か裏がある。そう思った瞬間──
「命令されていじめていた、か……。確かに、嘘じゃないよね。でも、それって藤咲さんじゃないよ。少なくとも、俺が知ってる限りではね」
そう言われた瞬間、美優の心臓が跳ね上がる。
「え?」
「だってさ、新田さんって、誰かの指示を受けて凪沙をいじめていたんだろ? 大体想像つくよ。だから……少なくとも、凪沙へのいじめに関しては新田さんが主犯だったとは言いきれないと思う」
その言葉に、背筋が凍った。
「は? そんなわけないでしょ……」
とっさに否定の言葉が口をつく。けれど、その声がわずかに上ずっていたのを自分でもはっきりと感じた。美優はごまかすように、無理に笑顔を作る。
クラスメイトたちが、少しずつ表情を変えていく。そして──その視線が、今度は美優に向き始めた。
(やばい……このままだと、嘘がばれる……)
必死に平静を装うものの、心臓が激しく鼓動していた。