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68.沈黙の裁き

 昼休みが始まったばかりの教室は、異様な静けさに包まれていた。いつもなら弁当の包みを開く音や笑い声が飛び交うはずなのに、今日はその気配すらない。張り詰めた空気が、教室をぴたりと凍りつかせていた。


 その静寂の中心に立つ美優を、俺は黙って見つめていた。

 先ほど、髙橋が突きつけた告発──スマホに映し出されたスクリーンショットと、録音された冷たい声。

 それは、美優が生徒たちを支配していた動かぬ証拠だった。そして何より、告発者が二人いるという事実が、それを決定的なものにしていた。


 生徒たちの視線が一斉に美優に注がれる。しかし、その眼差しには、かつてのような恐れや従順さはもうなかった。ただ、凍てつくような疑念と、乾いた冷ややかさがあるだけだった。


「こんなの、捏造だから!」


 美優が突然、声を張り上げた。その声はわずかに上ずり、隠しきれない焦りが滲んでいた。


「私を陥れるためのでっち上げに決まってるじゃない……!」


 その顔には、無理に作った笑みが張りついていた。だが、その仮面はすでにひび割れている。頬は引きつり、目はかすかに揺れていた。

 俺は、その様子を黙って見つめていた。誰も助け舟を出そうとしない。

 以前なら、美優のひと言で騒ぎ出していた取り巻きたちも、今は視線を泳がせながら黙り込んでいる。


「もう、君の言い分を信じている人なんて、誰もいないみたいだよ」


 俺がとどめを刺すようにそう言うと、周囲の生徒たちも無言で頷き、同調する気配を見せた。

 その空気に焦ったのか、美優が突然声を張り上げる。

「わ、わかった! 認める! でもね……今回のことだけは、本当に私のせいじゃないの! 実は、ある人に頼まれて仕方なくやっただけなの! 今までは、自分でターゲットを選んでいたけど……桜庭凪沙のことだけは、私の意思じゃなかったの!」


 美優の告白に教室中がざわめき立ち、誰もが戸惑いの表情を浮かべた。

 そんな空気の中、俺は静かに口を開く。


「へえ……やっぱり、背後に誰かいたんだ。誰もそんなこと聞いてないのに、自分からポロッと口を滑らせるなんて……墓穴、掘ったな」


「あ、えっと……それは……」


 美優は慌てて言い訳しようとしたが、もう手遅れだった。

 突然、取り巻きの女子のひとりがそっと椅子を引き、足音も立てずに静かに教室を出ていった。

 それに続くように、他の取り巻きたちも次々と席を立ち、彼女の後を追った。その何気ない動きが、かえって教室の静けさをより一層際立たせていく。

 美優の視線がその背中を追うが──誰ひとり振り返らなかった。その光景を見て、俺は確信した。


 ──新田美優の時代は、もう終わった。

 剥がれ落ちていったのは、美優がかぶっていた仮面だけではなかった。これまで彼女が築き上げてきた“権力”さえも、音を立てて崩れ去っていった。


 教室の空気が、ぴんと張り詰める。誰もが、次に何が起こるのかを固唾を呑んで見守っていた。

 俺は一歩、足を踏み出した。正面には、美優が立ち尽くしている。顔色は真っ青で、視線は宙をさまよっていた。


「……これが、君がしてきたことへの報いだよ」


 感情を抑え、できるだけ淡々と告げる。


「君は“支配”のために、不安を煽ってきた。他人を孤立させ、恐怖で繋ぎ止めて──それを、ずっと続けてきたんだ」


 ちら、と教室を見渡す。前列にいた女子が、美優をまるでゴミでも見るかのような目で見つめている。教室の後ろの方では、うつむいた男子が小さく呟いた。


「やっぱり……あのとき見たの、いじめだったんだ……」


 おそらく彼は、美優がターゲットに危害を加えていた現場を目撃していたのだろう。

 この反応が、すべてを物語っていた。

 美優は何か言おうと口を開いたが、声が出なかった。まるで喉を塞がれたかのように、顔が引きつっている。もう反論の余地はない。彼女が築き上げてきた“支配の構造”は、崩壊という名の結末を迎えた。

 そのとき、由梨がゆっくりと一歩、前に出た。その瞳は、しっかりと美優を見据えていた。


「……私、ずっと美優に『裏切ったら殺す』って脅されていました。お兄さんの名前まで使って……」


 声は小さかった。けれど、教室全体にしっかりと届いた。

 この一言を口にするまでに、どれだけの勇気がいったことか。それでも彼女は、今、まっすぐに立っていた。怯むことなく。


「なっ……!」


 美優が何か言いかけたその瞬間、俺はスマホを取り出し、音声データを再生する。由梨が託してくれた、あの記録のひとつだ。


『グループから抜けたら、うちの兄貴があんた殺しに行くから。マジで』


 その声は、紛れもなく美優のものだった。高圧的で冷酷――人を脅すために最適化された、彼女の“本性”。


「これは編集されてないよ。元の録音ファイルの時間もちゃんと確認してるし、由梨の証言と時刻も完全に一致してる」


 俺は冷たく言い放つ。


「君の“兄”が脅迫に使われた件、すでに刑務所職員に報告済みだ。録音も提出してある。暴力団との接触歴もばれているから、出所後は保護観察が厳しくなるか、警察にマークされるよ」


 一瞬、美優の目が大きく見開かれた。


「……は?」


 驚いたというより、何かが崩れ落ちたような反応だった。由梨が録音していたあの音声が、確実に美優の首を絞めている。

 俺は淡々と、言葉を重ねる。


「もう、これ以上誰かに手を出しても無駄だよ。君が切れるカードは――全部、もう回収済みだから」


 教室の空気が、さらに冷え込んだ。

 美優の脚がわずかに震える。それを悟られまいと一歩引いた拍子に、背後の机の角にぶつかり──軽い音が教室に響いた。


「……っ! ふざけないで……!」


 ようやく絞り出したその声は、はっきりと震えていた。

 教室の生徒たちは、一様にうつむくか、黙って視線をそらしていた。その沈黙と無関心こそが、何より雄弁に状況を物語っていた。

 ついさっきまで彼女を信じていたはずの生徒たちも、今ではまるで最初から無関係だったかのように、視線を床に落としたまま何も言わない。


 孤独――それが、今まさに美優の目の前に、はっきりとした“形”となって現れていた。

 彼女が最も恐れていたもの。誰からも必要とされず、誰にも見向きもされず、ただ“そこにいる”だけの存在。

 俺は視線を逸らさず、最後に言い放った。


「……これが、“支配”の終わりだよ」


 その言葉は、静まり返った教室にしんと響いた。

 誰も何も言わない。ただ、重く張り詰めた沈黙だけが場を支配している。その中で、美優だけがひとり取り残されたように立ち尽くしていた。


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