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第35話 アバニの憂鬱

「アバニ…」


呼びかけても、その男はいつも通り、上の空だ。


同僚になって、一か月も経っていない男はやる気になる事があるのだろうか?

さらに言えば、第一皇子は今日も姿を見せない。

建国祭のパーティには姿を見せていたと聞くのにな。


まだ本格的に政治に関わってはいないにしろ、あの方は次期皇帝となられる方なのだ。


だから、皇都の一部の領地運営を任されている。仕事は山積みだというのに!


自覚がない。今日はどこかで遊び呆けているんだ。

胃が痛くなってくる。


ただでさえ、聖騎士達の暴挙のせいで、皇家への反感は強まっている。

さらに巷では第一皇子の妙な噂まで流れている。

頭まで痛くなってくる。


ロベスの実家であるキアン家は皇族派だ。それでも今の皇族の現状を芳しくないとも思っている。

故にいつでも首が切れる俺を第一皇子に付けたのだ。

何かあった時に本家のせいではなく、分家のせいにするために…。


どこまでもヘドが出る。


だが、もっと腹が立つのは革新派のアバロニア・エヴィウスが送り込まれてきた事だ。


革新派は諸外国との繋がりを重視し、積極的に他国の文化を取り入れるべきだと主張している。

逆に帝国派は他国を排除しようとしている。

皇族派は今のところ、現状維持のままの政権運営を目指している。

要は様子見だ。陰謀渦巻くこの瞬間も皇宮はどこもかしこも腹の探り合いの真っ最中なのだ。


皇帝はこの状況をどう見ているのか本心は分からない。だが、バランスを保とうとしてるのだろう。

それらの関係が悪化すれば、息をひそめている第4の勢力である皇族排除派の奴らに隙をつかれ、戦争に突入するかもしれない。だからこその人事なのだろう。

だというのに、この男の言動はいささかも理解できない。

奴だって、俺と同じように微妙な立場の上で送り込まれているはずだ。


それなのにすべてを台無しにする気なのか?


「アバニ!」


ロベスは再び、同僚の名を呼んだ。しかし、返事はない。


「アバロニア・エヴィウス!」

「すまない。ボーっとしていた」


最初はあえて、そうしているのかと思ったが、見ていれば違うと知った。

アバニについての情報を仕入れてきたのは同じ皇族派の貴族だった。


「エヴィウス家のアイツはある女に入れあげていたんだが、最近その女が死んだらしいぞ」

「それであの状態なのか?」

「しかも、その相手というのがあの騒動を起こしたという令嬢らしくて…」

「建国祭に泥を塗ったっていう?」

「ああ…」

「奴は女を見る目がない」

「聖騎士の件だって、彼女の一族の怨念だっていう噂もあるしな」

「お前も近づかない方が身のためだぞ」


なるほど。それで言動に合点がいった。

アバニは特定の見た目の女性に関心があるのには気づいていた。


俺は例の女を見ていないが、美人だったという話だ。

だからと言って、同情はできない。

例え、派閥が違うとはいえ、革新派も帝国派も、皇族派も考え方に違いはあれどあくまで皇族を筆頭に国を回す事を考えている。さらに今のところ第一皇子についた執務官は俺とコイツの二人だけ。

アバニに身を引き締めて貰わなければ、業務のほとんどは今後も俺一人で回す羽目になる。

それはごめんだ。

だから、ローズの話は良い案だと思った。


さすが、僕のママ。


「アバニ。なんだか疲れているな。どうだ?今日は街に繰り出さないか?」

「いや、俺は…」


なぜだか、いつも以上に顔を青くしているアバニを疑問には思う。

確か、先ほど手紙が来ていたようだが、親戚の訃報でもあったのだろうか?


どちらかというと、怯えているようにも見えるが、知ったこっちゃない。


「たった二人の同僚じゃないか。皇子様も姿を消したままだしな。そう言う事で諦めてくれ」


アバニはしぶしぶ頷いた。

よし、コイツにやる気はないが、気は弱い。押せば乗ってくるとは思った。

これで奴を連れて行けば、ローズはきっと褒めてくれるだろう。

彼女に褒められるだけで、僕は幸せなのだ。



★★★



「あら、ベスティ。お友達を連れてきてくれたの?」

「当然だよ。ローズ」


今夜のローズも美しい。


「俺はやっぱり帰る」


だが、アバニは違うらしい。


「折角来たんだ。楽しまないと損だぞ」

「どんな女性がお好みでらっしゃるのかしら?」


ローズは優雅に微笑んだ。


「俺は…」

「ニニ。いらっしゃい」


ローズが二階の階段に視線を向け、声をかけると一人の女性が降りてくる。

美しいブロンドと青い瞳の愛らしい雰囲気を放っている。


「ルシア…」


正直、俺の好みではないが、アバニには興味を引いたようだ。

小さなつぶやきが聞こえてくる。かすかな吐息で言葉の意味までは分からない。


「名前は…」


幽霊でも見たようにブロンドの女をアバニは見つめていた。


「ニニと言います。貴族様は?」

「アバロニア…。アバニと呼んでくれ」

「ええ、もちろん。どうぞ、お部屋へ」


だが、思い直したのかアバニは首を横に振って、出て行こうとする。


「あら、つれませんのね。ニニがお気に召しませんでしたか?」

「そういうわけでは…そう言う気分じゃないんだ」

「ではしかたがりませんわ。馬車を用意いたします。お帰りには十分にお気を付けを…」

「ああ…」


アバニは返事もそうそうに屋敷を出て行く。


「ベスティはどうする?」

「僕は君に会いに来たんだ。いつも通り頼むよ」

「いいわよ。いらっしゃいな」

「うん。ママ…」


今宵も男は幻想の世界へと消えていく。一方、アバニの方は止まった馬車に乗り込んだ。

ぐったりと疲れたように外を眺めれば、ゆっくりと車輪が動き出す。


「折角、好みの女性を用意してもらったのに…」


アバニは自分しか乗っていないと思っていたため、驚いて横を見れば、女が座っていた。


「やっと、お会いできて光栄だわ」

「誰だ!」

「私とは初対面だったかしら?違うと記憶していたのだけれど…。アバロニア・エヴィウス。ルシアに求婚の手紙を送り付けていたでしょう?」

「なぜ、それを…。その声、君はルシアの…」

「あら、気づいてくれるの?エルだった頃の面影はなくなったと思ってたのだけれどね」


シアは恐怖で慄く男を前にして妖艶に笑みを称えたのであった。

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